第13話 期末テストが終わった神たちはパパ活なんかしない
テストの結果が返ってくるとともに、かけあしの一学期が終わった。制服のかわいさとカトリックの純潔なイメージ以外、なにもない坂のうえのふかい森にうもれるような辺境の女子校にも、とがった奴はいるもので、残念ながら学年一位はのがした。坂といえばアイドルだが、うちの「坂」は、たいていの高校がそうであるとおり、投票でもらうかわいさより自分できたえあげた学力によって、移動教室のときのショムニみたいな(ふるくてごめん)廊下の歩き方が決まるぐらい、残酷なまでに順列というか校歌にもなっている峰よりたかいカーストができる。来年になれば理系と文系にわかれるのだが、エリートコースこと理系の物理クラスに行くだろう生徒が私のほかに八人いて、また馬鹿馬鹿しい話なのだが「神ナイン」と呼ばれている。期末テストも中間テスト同様、この神ナインがダントツで上位を占めた。私は全体で五位、つまり神ナインのなかでも五位だった。数学は必要十分条件のヤマが当たって満点だったし、もしかしたら、と思ったけど、夏休みが来ることを差し引いても明るすぎるみんなの表情からさっするに簡単な回だったらしく、ピンクのヒョウ柄をした財布なんか持ってるくせ旧帝の医学部を狙っている通称「女帝」と、彼女をとりまく「メガネ三姉妹」(いちばん後ろの小太りが回復役だから最初に倒さなきゃとかいつも思う)の牙城を崩すのはむずかしかった。ちなみに、ネコメロはちょっと順位を落として八位だった。中学のころはネコメロも医学部を目指しており、上履きにさびた画びょうでも入れかねないぐらい苛烈に「女帝」と一位を争っていたのだが、お兄ちゃんが医学部に合格して食卓の話題がそっちに持っていかれてからは、自由になったみたいで、いいのかわるいのか、あまり勉強に身が入っていないようだった。それでももともとの地頭のよさというか、シスターの愚痴みたいなしょうもないおしゃべりでも「同性のセクハラってよっぽどエグイからね」と藤井聡太なみに先手を打たれたり、ネコメロの思考のはやさに着いていけないときがある。彼女がおさないころメンサに勧誘された噂とか、そういうことじゃなしに、彼女と接しているうち私のプライドは角が取れて、使いふるしの消しゴムみたいになるのはわるくない。「夏休み、どっかいくの?」と尋ねると、マルばかりならぶテスト用紙を、手渡しのビラとかは丁寧に折りたたむくせ、くしゃくしゃにして私よりうすっぺらいカバンの底に投げこんだネコメロは、「うちはバイト禁止だからなあ」とわざとらしく舌をだす。ネコメロは自由にさせてもらっているようで、皮肉っぽく言う「パパ」と交わしたらしい約束がふたつあり、「バイトをしないこと」「彼氏をつくらないこと」につき血判の誓約書まで書かされたらしかった。両耳にじゃらじゃら安全ピンをさして、自分で染めたまっかな髪をふりみだし、誰よりもみじかいスカートをゆらしながら廊下のまんなかを大股で歩き、教師に注意されれば振り向きざま爪のとがった中指をたてるネコメロは、無敵なようでほんとうはぜんぜん無敵じゃない。いっしょに駅前で募金のたすきをかけ声を涸らした総合学習の授業、教室に帰って募金箱をひっくりかえすと、ネコメロの持っていた箱だけ見るからにお金の山がこんもりしていた。わかったことはふたつ。ネコメロはモテるということと、それと、箱のなかの北里柴三郎は二つ折り財布にしまうときのクセがそろっていて分かったとおり、ネコメロは自分で募金箱にそれを入れたのだということ。ネコメロがあっけらかんと教えてくれたおこづかいの額は、「え、新卒のサラリーマンの手取り?」と耳がもげるぐらいだったが、彼女はぜんぜん、おひるごはんはブリックパックの豆乳だけだし、カラオケは平日昼しか行かないぐらい、試験勉強はスタバでする片親の子よりよっぽど質素な生活をしていた。「私がパパ活しないようにって金積んでんだよね」とわらい、「捨ててるようなもん」と、ボランティアなんかバカにしていたくせ、留学用に積み立てている月一万ずつを除けばおこづかいのほとんどを地元にある児童養護施設や朝鮮学校への募金に突っ込んでいたことも、うっかり見えてしまったキティちゃんの通帳の明細で知ってる。もし訊いたら「偽善のサブスク」とかひねた言い方をするんだろう。生きる理由というならば、彼女のほうがよっぽど、もっていない。私は十年後、まちがいなく、そこそこいい企業に就職して、はたらいてるか、結婚とかしてるかもしれない(たぶん、その相手は、トンガリではないけれど)。けれどネコメロは、十年後どころか、三年後すら想像できない。ある日きまぐれな猫みたいにふっと姿を消すんじゃないか、それがわかっていながら、なにもできない私は弱くて、でもそんなことのために使うものを強さだとか呼んでやらない。「私もバイトしないよ」と、ネコメロに伝えてみた。「え、なんで」とネコメロが尋ねてくる。見渡すかぎり山に囲まれた盆地にしずむ碁盤目状の小都会は、二日目のゆううつとか、湿り気のある熱がたまりやすく、ほのかに陽炎のうきたつアスファルトを歩いていると、いったあとみたいに頭がぼうっとする。たとえばこの町の、路地が山車でにぎわうお祭りがあって、ひんやりした川のうえにお座敷ができて、そこかしこの山に灯るおおきな火の文字がお盆の夜空を彩るけど、ふいに「こんなことしてていいのかな」と思っちゃうぐらい、ぜんぜん現実味のない夏から逃れたかっただけかもしれない。「でっかい案件が終わって、三ヶ月ぐらい遊んで暮らせそうなバイト代もらえたの。だから夏休みは、しばらく旅に出ようかと思って」。かわいた声で、そう教えると、ネコメロは制服の胸元を薄ピンクの谷間とくろいレースのブラジャーがみえるぐらい大きくひらき、もう片方の手であおぎながら、「どこに?」と興味なさそうに訊いてきた。すっと息を吸った。さんざめく蝉のこえが止まった瞬間、遠くまでひびくよう、あの土地の名前を呼んだ。
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