第12話 未来のためのバイト

 うちの女子校のバイトは許可制で、よっぽど家計が困窮してるとか、父がいないなんかの事情がなければ、価値観も前髪も後退した「自分の生活を指導してろよ」みたいなM字ハゲの申請書チェックで、ぺろりと舐めた赤ペン一閃の門前払いを喰らうのだが、そのへんは先輩から代々つたわる抜け道がいくらでもあって、路地が入り組んだ坂のうえの女子校らしく、にゃーんと裏の裏をすりぬけた雌猫ちゃんたちは、かいがいしくバイトに勤しんでいた。パパ活に手を出している子もいて、信頼できる相手をさがすツテはあり、情報交換のためのLINEグループもあるし、ちょっとお茶をいちおうレイプドラッグに警戒しつつ(トイレに行くときは飲み干す、とか、マスターと顔見知りでないお店にはいかない、とか)「さしすせそ」の相槌をスネアみたいに打つだけで渋沢栄一をUNOのドローツーみたくもらえる手段をいくつか聞いてはいたが、それなりの自尊心はあって、そういうのをしたことはねこちゃんの片手で(むろんニシンならぬ二進数で。にゃーん)数えられるぐらいしかない(といっても不景気のご時世、彼女らにも事情はあるから、さがり眉の引き方もしらないような子が「大人ありホ別苺」してる噂を耳に入れたって、ノートを写させてもらったついでにピルのアドバイスを「血液検査は受けといたほうがいいよ」とすることはあっても、見下したり教師にチクったりはしない)。私がしているのはプログラミングのバイトで、トンガリに紹介してもらったものだ。彼の研究室では知財を扱っており、著作権上クリーンな生成型人工知能を開発しているのだという。およそアートの素養がない一般人でもスマホに「セザンヌの描いたひまわり」などと注文すればファッキンのポテトよりはやく展覧会の目玉になりそうな名画を描けちゃう時代だが、人工知能はいまの構造上、過去のあらゆる生成物を取り込んで学習する必要があり、「著作物のフリーライドでは」とそっちにうるさいアメリカで不毛な訴訟合戦が繰り広げられてから、生成系の人工知能はすっかり廃れてしまった。そこで著作物を学習することなく、セル・オートマトンが出力したわずかなデータ(これを「シードデータ」と呼ぶ)をライフゲームのごとく再帰的に学習することで、著作権を侵すことなく生成できるのでは、という試みが、トンガリの研究室で行われ、実用化まではまだ遠いものの、藪内亮輔の「藪」すら書けないような素人と協調して生成した短歌が一首だけちいさな賞の予選に残ったのは、地元の新聞の文化欄をにぎわした。いまどきの研究室らしく、産学連携で、開発自体は下請けに託されており、ノーベル賞で世界的に顔が売れた名門大学だろうと独立行政法人なわけで中出しだか中抜きだかのひどいお役所体質といおうか、取材を受けるのはぴかぴかな一面ガラス張りの向こうで足を組みクールにタブレットをあやつるイケメンエンジニアでも、プログラムを実際に手打ちするのは下請けの下請けの下請け、元カレの元カノの元カレがよっぽど他人みたいに、うすよごれた安アパートの一室をカラフルなLANケーブルと磁気テープで埋めて大仰なサーバを並べた「AKIRA」の世紀末を思わせるような零細企業である。そのあたりになると、まさしく猫の手も借りたい窮状、Linuxの「cat」も知らない女子高生がバイトに忍びこむのもゆるい。面接で「Python書けます」の呪文を唱えるやいなや威力はイオナズン級、その場でキングファイルのぶあつい仕様書と開発用マシンをどさどさ渡された。もとから、年齢はむっつもサバを読んで(ついでにバツイチ子持ちだとおたふくみたいな厚化粧で嘘をついて)いたのだが、気づいてるのか気づいてないのか、あやしまれず、いまや学校がえりに制服で行っても「さいご鍵しめといて」しか言われないガバガバっぷりである(セコムがなければディンプルキーでもないし)。開発用マシンはちょっとふるいがサファイアラピッズのXeonにごついヒートシンク付の外部電源ありグラボを搭載したなかなかの高性能モデルで、周りの声も聞こえないぐらい筐体ファンの音が喧しい(スペック重視だから静音に気が向かないのだ)うえオフィスに行かないと作業できなかったのだが、いきなり開発を任されたかたちだけの見習い期間が終われば権限のあるアカウントをもらえたので、プロキシを通し家からもアクセスできるようにしてからは、自室で作業することが一般的になった。うちのマンションは3LDKで、ガンジーとテレサはいつもうなぎの寝床みたいにほそながいリビングででかいアボカドのしたポリネシアみたくだらだら過ごしており、ほかセミダブルの畳ベッドが占めるふたりの寝室と、テレサの本(意外とおおいのはくたびれたMOEだったりする)を天井までぎちぎちに詰めた書斎があり、もう一室を私に割り当ててもらっている。北向きで冬は暖房をつけても寒く、結露が隙間に引き出物のタオルを詰めないといけないぐらいひどいけど、みっつある部屋のうちいちばんひろい六畳間で(中古で買ったマンションだから、いまどきらしくなく、柱や梁が突き出しているので、じっさいはもっと狭い)、高校にあがったおりに「そろそろあなたもひとりで寝たいでしょう」と(私はこれまでどおりふたりのベッドの横に煎餅布団を敷くのでもよかったんだけどまあテレサらしいといおうか)背のたかいロフトベッドを買ってもらえたので、スペースを有効に使えるようになった。その下と向かいには勉強するときにつかう机がある。ガンジーが在宅勤務するときは、宮島の引き潮であらわれたあかい鳥居のしたで撮ったテレサとのふるい写真が飾ってあるほうの机で作業することもある。ガンジーとふたり、カナブンみたいに丸めた背中をむかいあわせ、私は赤軸、ガンジーは茶軸のメカニカルキーボードを叩く軽快な音と、ガンジーが淹れてくれたコーヒーをすする音を、針もとんと替えてないレコードプレイヤーがぎこちなく鳴らす「ミッドナイト清純異性交遊」に紛らせる。ガンジーもプログラマだが、組み込み系なので、レガシィなC言語だし、私の作業とかさなりあう部分は多くない。けどおたがい疲れたときにバグの相談を愚痴ぐらいの格好でかわしあえば、守備範囲が森は森でも友哉と敬斗ぐらい違うぶん思わぬアイデアをもらえたり、デスクライトを点けてもうすぐらくミュシャのポストカードがだらしなくぶらさがるロフトベッドのしたが悪の結社の秘密基地みたいで、たのしい。「それリアルモードならGPIOの未使用レジスタからスクラッチパッドみたいに32bitまで値取れるんじゃない?」とか、プログラミングの話をするときのガンジーの声は、いつもより低くて、ガンジーなのにぞくっとするぐらいかっこいい(いや、意外と顔はいいんですよ。息してなかったらモテそうなのに)。キリのいいところでベッドにあがり仮眠をとることもある。休憩を終えてしたに降りると、かわりにまぶたがブルドッグぐらいおちたガンジーがゾンビみたくベッドにはいあがってきて、「選手交代」と手を叩く。ゆたかな時間だと思う。将来、私がなにをするか知らないけど、こういうふうに過ごす時間がずっとつづけばいいな。ガンジーがいて、テレサがいて、ネコメロがいて、どういう形であれトンガリがいて。生きる理由、のことを帰りみち、ネコメロと話したことがあった。彼女は「そんなものはない」んだと、手首を切ったことを自慢げに話したときみたく、せせらわらう。あのときは言えなかったけど、なくていいんだよ。いまでもうまく言えないと思うけど、それでも私たちは生きていかなくちゃいけない。高校の三年間は、そのための助走期間だ。水泳の授業のまえの塩素と汗のにおいがモザイクにまじりあう更衣室でのいきぐるしい着替え、ブラジャーのホックを片手の指ぱっちんで外すと、女の子はだれの背中にも天使の羽根が生えた跡がある。飛ぶ理由、はあると思う。そういうふうに、はたらく。プログラミングは、私にとって、飛ぶやりかたにちかい。コンパイルが通れば、ショートマンとのラリーを制したチョレイ張本みたいなガッツポーズをつくる。ガンジーがおなじようによろこんでくれて、彼と共有できていることが、うれしい。納期よりはやく仕事があがった。今月は工数の計上がおおく(出社するとタイムカードがあるけど、在宅の場合、業務時間はマクロつきエクセルで自己申告するという変則の成果主義。騙そうとおもえばいくらでも騙せるのに、信頼してくれてることがうれしい。私はいつも、じっさいよりすこし少なめに申告するけど、「ゲッシーのスキルでもこのコードならもっと時間かかったでしょ」とかオタクっぽい早口でプライドをくすぐりつつ怒ってもらえたりする)、成果物が発注元にたかく評価され、検収でプロジェクトマネージャがサーバの入れ替えを検討するほどの(コンパクトカーならフルオプションで買えるぐらいの値が張るマシンだ)入金があったので、暦どおりの夏のボーナスといおうか、工数あたりの単価が上がり、いつもの月より桁ちがいの給料をはずんでもらった。通帳を開いてにまにましながら、使いみちに、未来と会う自分を考えていることに気づき、あわてて表情をひきしめる。ほんとうは、わかってた。私は生きるため、未来をみつけなくちゃいけない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る