第11話 蒼井優ちゃんが前髪を上げたとき世界がオギャった

 彼氏に足のうらと弱みは見せたくないのだ。それをネコメロは「信用してないんじゃないの」とわらうのだけど、さすが徹カラで「ここにキスして」という替え歌を披露すれば私の膝のうらに「はやお」と名付けてベロチューしたこともある幼馴染の言うとおりで、私は彼氏を「腰ふり合うも多生の縁」ぐらいに感じることがある。少子化対策万歳! そういうわけで、ガンジーやテレサが実の親じゃないこととか、妹の未来のことも、重い気がして、「生理が来ないの」とはからかいはんぶんで話せるくせ、トンガリには話してなかったのだが、彼の部屋の中古で買ったらしいちいさなテレビで蒼井優ちゃんの映画をみて目の蛇口がこわれたみたいに泣いてしまった。基本的に私はちょろい。そしてちょろくさせてしまうのが、まだ前髪があったころ、田んぼに立つ凧よりたかい鉄塔から飛び降りて以来、蒼井優ちゃんなのだ。トンガリと観た映画の舞台というのがまた、未来とか、お母さんが暮らしてるらしい町だったので、弁慶のなかの弁慶をタンスの角で強打したみたく、どかんときた。泣きながら大岡越前守にたのむ小作農みたいに「うちの両親は本当の両親じゃございせん」と使い古しの綿棒とか切った爪が散らかるきたねえ床にアラーに祈るムスリムみたく額を擦りつけつつ訴えていたところ、愚痴に正論を返されたとき「慰めは言葉じゃなくてアルコールでしょ!」とうーんライト福留ばりに怒ったことを覚えているのか、トンガリがだまって冷えたビールを出してくれた。トンガリはひどい下戸で、「アセトアルデヒド脱水素酵素2型がないんだ」と噛みそうな主張はともかく、ビールジョッキどころかグラスにはんぶんのはんぶんでもトイレの住人になるから、無駄におしゃれを気取ったとうめいな冷蔵庫にはいってるケース買いしたやすい缶ビールはすべて私のためにストックしてあるものだ。受け取るなり、ぷしゅ、と、ステイオンタブを引いて、きんきんの黄金水を乾いたのどに流し込む。かー、これだよ、これ。私はトンガリはおろかあのネコメロが「血のかわりにアルコール流れてんじゃないの」と引くぐらい、お酒にめちゃくちゃつよい。日本酒? ウオッカ? え、スピリタス? 上等。お酒で酔ったことがない。というか、不敗神話ことザ・ベスト・エバーのフィリーシェルもよもや「酔う」という感覚をまだ知らない(吞んでないときも呑んでいる。お前が吞んでないとき俺は呑んでいる。お前が吞んでいるときもちろん俺は呑んでいる)。晩酌で空のジョッキをテーブルに叩きつけるたび、琥珀色の瓶を両手で支えビールを注いでくれるガンジーが「やっぱり夏至子は酒の町の子なんだなあ」と出世が心配になるぐらいへたくそな泡をたてながら目を細めたものだ。そうそう、日々トリスのロックを麦茶みたいに嗜むテレサもいい線行くけど、実のお母さんのほうはよっぽどお酒に強かったらしい。という与太話をまくしたてていたところ、「夏至子はお母さんとか妹に会いたいの?」とトンガリにたずねられ、一円玉を拾ったときみたいな気分になる。チーン。トンガリは、幼少期になにか心の傷を負ったんじゃないかというぐらい、他人の痛みに無頓着な傾向がある(それでよく歴代の彼女にはフラれたらしいが、自分では理由がぜんぜんわかってない、とは、共通の友人から聞いた話である、というかあのバタくさい物知り顔って元カノだろ)ので、そのぶんあけすけに相談しやすいわるく言えばサンドバッグみたいな相手なので、へんに気をつかわれるのも勘弁だった。「へんなもの食べた?」と冗談っぽく尋ねてみたところ、「賞味期限が半年すぎたパスタを皿いっぱい食べたよ」との満点回答である。まあ顧みれば、トンガリらしい反応ではあった。ヒップホップならケツでよっつ踏むものしか聴いたことがないような、田舎そだち、ダルそうなやつはだいたい友だちの好青年で、大学入って七年たついまも、縁のやたらほそい丸メガネだとか全身黒ずくめはスティーブ・ジョブズの真似をしてるくせスタバで開くノートパソコンはもろWINTELだし、メガネも服もオールユニクロで(それは全然いいんだが着こなしというものがね。よれよれのチェックシャツをジーンズにタックインすんなよ)あかぬけない。好きな音楽はあのちゃん。好きな漫画は鬼滅の刃。そして新海誠の映画は手のひらに「すきだ」と書かれる場面で台本どおりにクリスタルみたいな涙をこぼす。この令和元年うまれも若者の乳離れどころかパイズリを覚えた世にしていまどきレッドリスト級の純朴な男なのだ。両親とは血がつながってないんです、とわかれば、ピタゴラスイッチで、本当の両親に会いたいんじゃないの、とシンプルに考えてしまうタイプのカビゴン級ノーマルポケモンなのだ。スペイン風「ティキ・タカ」スタイルもすっかり陳腐化しちゃったし、カウンターからのはやいサッカーが流行るいまどきのスマートさというか、アルゴリズムを研究してるガチの理系らしい。私はそういうところを尊敬してるし、やっぱり賢くて好きなのだけど、この日はちょっとアホの坂田をリーンカーネーションして浮気したくなるぐらい満腹丸だった。というのは、けして感謝はしてるわけだ。ぐらいのもやもやを「別に会いたいんじゃないよ」の返答にまぎらせたが、お寺の鐘ぐらいにぶいトンガリは「無理してるんじゃないの」とはばからない。そのうるさい口はなんのためにあるんだとばかりに、押し倒してやった。私はベッドより尻がはれるほどかたい床でやるほうが生々しくて好きだ。いっぽうださいペンダントはおろかメガネも靴下も外すし「かわいそうだから」とかいうよくわからない理由で正常位しかしようとしないトンガリが好きな少女小説に「セックスは仲直りの呪文」という描写を見つけたことがある。ピュアすぎてさすがに笑ったけど、自分はもうぜんぜんピュアだって思えば、笑ったあとに泣けてしまう。いいよね、セックス。けどしたあとに、私もこういうふうに作られたのかなあ、と思うと、あんあんという声がせつなくて、いつかこういうかたちで啼いたとき、そこにいたのは誰なんだろう。愛の証として私がここにいる、のがたしかならば、ルーツはとおく、未来のくらす土地にある。私は嘘をついていました。申し訳なくなって、トンガリのトリケラトプスみたいな骨盤にいたいほど下半身を叩きつけるのだけれど、どれだけ体をこすっても、石鹸みたいにすりへるだけで、0・01ミリのATフィールドにさえぎられていればなおさら、人と人がひとつになるため、埋められないものはある。それはたぶんいま、未来がもってる。「いく」とよわいほうの耳元で聞こえた。どこへ?

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