第10話 日曜は父親とサービスエリアに行こう

 ガンジーがサービスエリアに行くというので、産まれたてのあひるみたいなアホ面でがあがあ着いていった。このつまらない男は、好きな曲は恋愛ならあいみょんよりユーミンといったぐあいに昭和なくせ(テレサは音楽のセンスがいいのにな)、浮気だのギャンブルだのといった昭和的ダンディズムの甲斐性はどこ吹く風で、とにかく意味もなくサービスエリアに行くのである。軽自動車のほそいマフラーにあのピンク色のリトルモンスター(見たのよ)をぶちこむド変態ではあるまいか。行きつけのキャバクラぐらいの感覚で、贔屓にしている三木ちゃんやら赤松ちゃんやらサービスエリアがいくつかあり、この日はそれなりに距離があり、スタバとかミスドも併設された大きなところだったから、私にとってはクリスマスのユニバデート(といっても大抵はなかに入らずそとでスポンジボブのぬいぐるみをいじめるだけだが)よりわくわくして、エスパー伊東がはいりそうなボストンバッグに文庫本だとか参考書どころか「万が一のため」とはなんなのかお気に入りのジェラピケの靴下なんかもぎっしり詰め込んだ。行き帰りにガンジーとおしゃべりするのは悪くないが、政治とか経済にハーバード大学的アプローチでふかく切り込むならまだしも、ドナルドトランプの失政よりマクドナルドのハッピーセットの景品にしか興味がないこの男と話すのは無駄のきわみ乙女なので、真面目な私はたいてい本を読んだりして過ごす。さいしょは、ゆれる文字を追っていると「つわり」の寸劇をしてしまうぐらい酔って仕方なかったのだが、「心をつよく結ぶと酔わない」とかいう週刊少年ジャンプの読みすぎみたいな精神論をガンジーに施され、首尾よくあの青い粒が透けたカプセルの酔い止めをくれるイケメンでもないし、こいつバカかな、と人生で百八度目ぐらいに思ったけど、漫画なら漫画で「ドン!」と見開きで載りそうなぐらい迷いない口調だし、「卍解」を試したときみたく騙されたつもりでやってみたら言われたとおりだった。猫も杓子もポリコレで人外も人権があるようなこのご時世、サピオも差別と言われようが、燃えるゴミの日に使いふるしのコンドームともども捨てたくなるぐらいバカは嫌いで(あれってISO的にはプラごみ?)、テレサもそのはずだが、ガンジーぐらいたいしたバカだと嫌いにならない(なれない)し、テレサもそうなんだろう。バカの度合いがほどよく上品というか、まんま言葉をしゃべる忠犬ハチ公なんだよな。サービスエリアの小錦が四股を踏めそうなほどひろいテーブルにヴェンティサイズのフラペチーノを並べてがりがり勉強していても、「いい天気だなあ」とながい八分休符みたいな鼻毛をゆらしたまま窓のむこうの凪いだ海をながめつつ、文句ひとつ言わず待っててくれる。おかげで家で充血したクリトリスみたいにスマホをいじってるときより勉強がはかどった。もうじき期末テストである。私のばあいは私立にいくつもりはないし、内申点は緊張しまくった教育実習の英語教師に「今日のブラ、ブルーじゃん」と話しかけて泣かせるぐらいどうでもいいのだが、市区をつらぬく川にうかんだケンケンパを遊ぶのにちょうどいい亀石ぐらいの高さのプライドはある。いい点数を取ったら「後輩やな」とうれしそうに言ってくれるトンガリにも格好はつけたい。うちの女子校からトンガリの大学に行く子はほとんどいないので、いちおう目指してることを公言してる手前、せめて十位以内、いや、学年で五位以内には入ってしかるべきだろう。目下の目標は来春ちゃんと理系の物理クラス(旧帝大か早慶を狙う実質のエリートクラス)に亀山努みたいなヘッドスライディング(もちろんYouTubeの上原チャンネルで。URLはこちら!)ぐらいのいきおいで滑りこむことである。ガンジーが買ってきた名物のわっか状をしたオニオン揚げを摘まみつつそんなことをまくしたてているうち(ガンジーがおおきいものから掠めるうえ、指についた衣を皿のうえに擦り落とすので、おいたをする手を叩いてやった)、あたりは水のおおい墨をぬったようにほんのり暗く、様相を把握したらしいテレサから「ふたりでごはん食べて帰ってきなよ。私も締切前だし、帰りにトリスの中瓶とカップヌードルプロみっつ買って帰ってきて」と絵文字もないまま家族LINEに届いたので、週末は子ども連れでごったがえすフードコートを諦め、トマト色の夕陽をとかしたような海をみわたせるお洒落なレストランで夕食をとる流れになった。サービスエリアのこの「ちょっと贅沢」という絶妙な非日常感がまたいいんだ。ガンジーはかけそばを、私はトンカツ定食をごはん大盛りでたのんだ。「よくそんな食えるな」とガンジーに呆れられ、ぶあついカツを噛みちぎりながら、左手で裏ピースをつくる。ガンジーもテレサも隔年で「砂よりまずい」バリウムをなかよく乾杯するようなアラフォー。ガンジーは高コレステロール、テレサは高血圧、ふたりそろって罪を満期で終えた受刑者みたく枕を高くして寝るような逆流性食道炎なうえ、共有してるヘルスアプリでは、体重のグラフが日銀の介入を受けた円の為替ぐらい不穏当。いっぽう私は「バリウム? あああいつ球は速いけどそれだけだよね」と春のキャンプの007ぐらいノリがかるい女子高生。食べても食べても胃がワームホールに通じてるみたいに太らない。球技大会の打ち上げで焼肉食べ放題ののれんをくぐれば、「もう食べらんない」となったタイミングでみな一斉にスカートのホックを外し、リミッターカット、からの追いカルビ、からの〆抹茶アイス。とくにガンジーやテレサと食べるごはんは朝急いでるときにガンジーが「これってコムロ関係してんのかな」と呟きながらざつに作ってくれるTKGすら深夜のカルマもといカップ焼きそばより美味しい。ふたりに血縁を感じたことはないけど、テレサには布団に忍びこんだときぐらいうざがられそうだけど、家族ではあるかな、とこっそり思ったりする。いや正確にいえば、たまに血縁を感じることだってあるな。ずっと一緒にいて、おなじものを見て、おなじものを食べてれば、七年ですべて入れ替わるという細胞ちゃんたちも足並みもといシナプスをそろえ、産みの親より育ての親なんてふるくさい文句も島倉千代子が歌うだけあり、だいすきな唐揚げの遠慮の塊を取りにいくタイミングとチョップスティックスの前陣速攻なフォームすら似てしまう。たとえば私はガンジーやテレサが屁をこいてても気にならない。むしろ私だって負けじとかます。みんな屁の音がソだと思う。音がちがったら和音になって、それはそれで食卓を宴と呼びたくなるぐらい雅なものだけど。スカシならスカシで、匂いが「にんにくでも喰ったのかオメー」ぐらいにしか気にならないのって、ナンバット家族じゃん。坂に沿ってまぶしい夜景をみおろす片側三車線のおおきな橋を越える車のなか、規則ただしい振動とカーオーディオから流れるさだまさしに身を任せているうちまどろんでしまい、意識を手放すてまえ、「パパ」と呼んでしまった。ガンジーは応えない。パパじゃないからだ。彼はガンジー。水曜の定時帰りと牡蠣フライをひとつ多くくれるようなやさしさにしか取り得がない凡夫。どうして彼は私を引き取ろうと思ったのかな、と、逆向きに考える。テレサに聞いてみようかな。彼女はきっとそのとき、反対したはずなんだ。と、愛されるべきかわいい眠り姫は、悲しくなったとか、ならなかったとか。そういえば、「やさしい」と「さだまさし」で、踏めるな。

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