第9話 いつものかえりみち

 ネコメロは幼いころから子役をやってたりテニススクールに通ってたりバイオリンを習ったり、「上には上がいるって」とぜんぜん自慢しないから知られてないけどとにかく多才で、発表会とか行けば素人目にも頭抜けてレベル高いし、楽器屋のストリートピアノを叩けばみんなスマホをかざす輪ができるし、入学後すぐの新歓のころは初日からいきなり目立っていろんな部活にしつこく勧誘されたものの、「人間関係だるくね」と示し合わせた結果、ふたりとも部活には入らなかったから(どっかには所属しないといけないので、正確にいえば、形だけの物理部員だが、部長は貴闘力似のいいひとだけど、プログラミングだのなんだのには興味ない。バイトでやるぶんにはいい金もらったねPython)、私がトンガリとお部屋デートするんじゃない日は、ネコメロと手をつないで帰る。卒論が終わったらトンガリはインドに旅行したいらしく(youは何しにインドへ? ガンジス川でバタフライでもすんのか?)、しばらくバイトが夜中のハムスターみたいに忙しそうで、在宅勤務なのをいいことに裸でベッドに寝転がり「セックスが気持ちよくなる」と噂のピラティスに励んでたら、「後ろにいるのは妖精かなにか?」とカメラに見切れてたらしく、けっこうキツく叱られたのち、「もう浮気してやる」と三行半ではないけどそのへんにあったトミカのカニクレーンを戸愚呂兄じゃないほうの又吉みたいなサイドスローで投げつけて、ネコメロと過ごすよっぽどあまい時間がふえた。トンガリとおなじ大学に行きたいから成績がきびしい私とちがい(摸試のD判定で喜んでたら「Dはダメという意味」と進路指導の水玉ネクタイに怒られた。言い方!)、ネコメロはおなじ大学のしかも薬学部がB判定なくせ、お兄ちゃんが三浪で地方とはいえ国公立の医学部に滑りこんだからどこに行ってもいいことになったらしく(いわく「許された」とのこと)、私立だと学閥さまさまで就職につよい名門もあるし、手作りの箱を抱え駅前に立って要領よく誰よりも多い募金と内申点を稼ぎつつ、しゃくしゃくと音が鳴るぐらいの余裕とともにモラトリアムを踊っている。彼女が推している地下芸人(一回YouTubeで見たけど笑うぐらいつまんなかった)について「一億年ぶりの」とかオタクっぽい最大級表現を多用するプレゼンが落ち着いたのち、あんまり反応が芳しくないことを察したのか、「夏至子、なんかあった? プロレタリアート中野に食いつかないとか、珍しいじゃん」と尋ねてきた。「あったってわけじゃないけども」と言葉を濁しつつ(ごめん君が早口すぎてエスカレータに乗れないおばあちゃんみたく口を挟めないけど本当は好きじゃないんだプロレタリアート中野)、訊いてもらえたのをこれ幸いと、お母さんについての気持ちを打ち明けた。「別に会いたいってわけじゃないんだよ」と言葉を気が利かないホステスみたいに継ぎ足したとたん、「それ、何回いうねん」と、わらいながら腰のうしろをバレーのアンダーサーブみたくばちこーんと息が止まるぐらい叩かれた。「会いたいんでしょ」と小鳥にふれるみたくやんわりと撫でられる。こそばゆいとこ分かられてるし、ネコメロが言うなら従順に頭をすりつけつつ「うん、そうなの」とかつぶやいてしまう。未来のSNSを見ていると、くら寿司のガチャよりたかい頻度でお母さんの愚痴が出てきて、「おれがししゃも嫌いなこと伝わってなかったのかな」とかお前は「徹子の部屋」に出る大御所かというぐらい偉そうなうえ、胸を押しつけながら歯石を取ってくるお姉さんみたいにねちっこい句読点もない文章がいつもより長い。そんなところが、ほんとうに未来のことが嫌いで、ああいま気づいたけど、これ、未来への嫉妬なんだな。だってお母さんは私より未来を選んだってことでしょ。しかも腹違いってことは、お腹を痛めて産んだんじゃないほうの子どもを。血縁とか、どうでもいいと思ってたのに、話せばそこで初めて産まれる気持ちもあるというか、腹立たしいやら、情けないやら。「無痛分娩かもしれないじゃん」と微妙な慰めとともにネコメロが抱きしめてくれて、ふえーん、と泣き真似で、制服に顔をうずめると、あばらがかたくって、ほんのり、セブンスターの匂いがした。ネコメロが吸うのはメントールのいちばん重いやつだ。バス停まえにコンビニがあり、暇なのか浮気調査の探偵(いちど興味本位でバイトしたことある。ラブホ入るかと思ったらまさかのネカフェ)みたいに張り込みしてる教師に見つかったらそれこそ内申点に響くだろうに、カップのエクセルシオールを買ってきてくれた。ちょうど部活が終わる時間だと上りも下りも(碁盤目の町は北とか南とかあまり言わない。どっちが左でどっちが右かは異性の友情ありかなしかぐらい論争あるけど)バス停の周りはうちの生徒でごったがえし、制服の色を「チャバネゴキブリ」と揶揄されたりもするのだが、いまは誰もいなくって、ベンチに並んですわり、カフェインレスカフェラテを一本のストローで3Pみたく回し飲みしながら、ネコメロのよく整理された話を聞く。賢い子って優しいんだよな。私にはもったいないぐらい。夏休み、もし私がお母さんに会いにいくのなら、貯金をはたいて付き合ってくれるのだという。その貯金、アメリカに留学するため貯めてる大事なお金でしょ。「大丈夫だから」と伝え、もう一回抱きついて、「急速充電」とふざけながらおもいきり息を吸ったあと、「その制服、クリーニングに出したほうがいいよ。バレたらやばいでしょ」と煙草を吸うそぶりで悪態をつき、クラクションを鳴らされつつ身障者用に低くなったノンステップに飛び乗った。バスが動き出すと、ネコメロが冗談っぽくヒザ神の走りを真似て追いかけてくる。ほんとうに、かわいい子だな。家に帰って制服をウォークインクローゼットのハンガーに干すと、袖のあたりに癖のある赤い毛が一本付着していた。そっと摘まんで、ちょっと迷ったすえ、爪のさきでひっかいてちぢれさせてから、文庫本の「きらきらひかる」のいちばん好きなページに挟む。われながら気持ち悪いことしてる。ロフトベッドに這い上がって、布団に寝転がり、おおきく息をした。まだどきどきするぐらいあの匂いを覚えていて、骨のない鼻の頭を指先で押してみる。この匂いがわかるまでは大丈夫。でもだんだんセックスしたあとの罪悪感みたいに消えていって、そしたらまた、だいじょばない。

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