第6話 坂のうえの女子校
坂の女子、といえば、世をはなやぐアイドルだけど、うちの町の女子高(正確にいえば、どれも中高一貫)は、ぜんぶ坂のうえにある。うちはカトリック系で、ほかふたつは浄土真宗の大谷派と、どこかやはり仏教系の学校だったと思う。坂のうえならさしずめ高嶺の花、学祭の券が高値で取引されるようなお嬢様校も、毎朝坂をのぼっているうち太腿もたくましくなってしまい、あそぶところには事欠かない都会なので、それの使い方もわかってたりする。どうにも二等辺三角形の面積の求め方すらいやらしい。まだうれたバナナもちぎれないほど締まりがわるい一年生の教室の窓からは、高さ制限された古都の市街地を見下ろすことができて、目立つところにはまっしろい塔が建ち、改装中のときは、ほんのりふくらんだ先端に被せられた半透明のネットをコンドームみたいだと笑ったりした。笑うけど、大事だって知ってる。ここに高さを掛けて2で割ること。できてしまうぐらい、女子高生たちは底辺で、無敵だと思う。でも、校則は、基本的人権をうたうはずの憲法より大事なんじゃないかというぐらい、きびしかった。眠気でわたがしがつくれそうな月曜朝、ステンドグラスの落とす影が馬鹿みたいにきれいなテレジアホールに品評会のごとく並べられ、いっせいに膝をつくよう指導されて、ぎょうぎょうしい修道服を着たシスターがいやらしく縁のほそい眼鏡を整えながらじろじろと見てまわる。もしスカートの裾がわずかでも床に着いていなければ、ああカッコつきの「宗教」だなあとうんざりするぐらい、「赦し」はどこに行ったのか、「あなた様もこちら側ですか」と嘆くぐらいあわれなイエス様の像に見守られながら、地獄の火だの最後の審判だの説教されるならみんな慣れてるしイワシの頭程度の信心で傷つきつつ受け身が取れるけど、脳のかわりに使用済みナプキン入ってんじゃねえかという人格否定みたいな言葉を浴びせられるのはまだ何者でもないお子さまの自尊心でもキツい。ありがたいお言葉もよくそんな口が回るなあとカラオケでお経もとい日本語ラップを聴いてるときより耳の右から左にメッシばりのスルーパスで、現代の踏み絵みたいなチェックを擦り抜けたあと、口々に毒づきながらスカートの丈をふたたび折り込んでいると、チュッパチャップスを舐めながら遅れて登校してきた誰よりもスカートが短いネコメロにいちご色の舌でせせら笑われた。いわく「モラルパスポート」なのだという。聖職者のような、ただしいことをしている人間は、それを文字どおりの免罪符にして、このぐらいなら悪いことをしてもいいだろう、と逆にモラルを損ねた言動を犯す傾向がある。「モラルってなんだろうねえ」。三時間目が終わると、屋上に抜け出し、コンビニで買ったカニみたいな菓子パンをもさもさ咀嚼しながら、ネコメロにそう話しかけた。「巨人の新しいダメ外人でしょ」。昼をいつも抜くネコメロからはそう返事があった。早弁をするのはいつものことだが、増改築を繰り返したガンダムのホワイトベースみたいな校舎は推しへの感情みたく廊下を上がったり下がったり屋上までけっこう遠いので、着替えもある四時間目の体育に間に合わないことはあきらかだった。あまずっぱい青春を描いた漫画やラノベでは転校だとか転生ネタとおなじぐらい定番な屋上だが、そういう作品ではガチのセックスが描かれないのとおなじで、じっさいに出ることのできる学校はそう多くないらしい(と、一度だけ保護者面談に来てくれたテレサが、いないと思ったら屋上に横座りでぜんぜん青春らしくない太宰を読んでいて、十四歳で企画出版したこともあるホワイトヒストリー女もそれなりに暗黒の学生時代だったのか、うらやましそうに教えてくれた)。そう言われ、この高校の屋上がいっそう誇らしくなった。それ以外にろくなことはなく、春には空がきいろく見えるぐらい花粉が飛ぶし(かわいく見えるから患ってない子もしろいマスクしてる)、夏には変質者がプールの授業のときに下着を盗んでいくし(意外とみつあみのクラスメイトが犯人だったりする)、秋はカメムシが下駄箱で毎回靴の中身を確かめるぐらい多いし(ムカデもいるよ)、冬はいうまでもなく寒いけど、意地になってスカートをもっと短くしたりとか、なんたって景色がすこぶるいい。手すりからよっと上半身をのりだすと、きもちいい涼風がぱっつんの前髪を跳ね上げた。ありがちな学校の怪談で、屋上から飛び降りて死んだ子の幽霊が出るらしいが、こんな景色をみながら飛び降りるなんて、ちょっと夢みすぎ。なんならネコメロもだし、朝っぱらから高野悦子を読んだりして、友だちに死にたがりは多かった。でも死のうとしなかったのは、そういう子ほど真面目で、カトリックの教えと、この景色があったから。というのは、じっさいの話じゃなくて、この景色みたいな、未来を信じられたから。やってけそうじゃん。神聖かまってちゃんのガンギマリMCを真似てそんなことを言おうと思い、ネコメロを振り返ると、壁に背中をあずけたまま、くうくうと眠ってしまっていた。ネコメロが寝ていると、なぜか安心する。そういう子と友だちになれてよかった。目をつぶるとほそくなって、ほんとうにねこみたいだ。かたちのいい頭をよしよしし、くしゃくしゃのあかい髪の毛が、うれしくなって、低脂肪の豆乳のブリックパックを彼女の手から奪い、つばの味をたしかめつつ、いっきに飲み干した。やせてるのになあ、ネコメロ。ねむれない夜をかぞえる線みたいな傷がたくさん癒着した左手首をにぎり、起きないよう祈りながら、くちびるを添わせれば、うっかり紅をつけてしまった。はっと誰かに呼ばれた気がして、ふりかえると、この世界そのものみたくせまい校庭に、ジョギングをする彼女らの掛け声が響いていた。あ、いっせいに胸がゆれてる。ニュートンなら物理法則を発見してるだろうけれど、「モラル」とつぶやけば、泣きそうになったのは、自分のためだなんて、よっぽどかまってちゃんじゃないか。
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