第5話 トンガリはお父さんよりいい男
彼氏のトンガリは大学院生だ。いまどきの付き合いらしいといおうか、大森靖子まわりのSNSで知り合い、私から韓国代表のフォワードぐらい熱烈にアプローチして、ライブで初めて会った夜の興奮も冷めないうちに(料理も男も熱いうち!)味見したのち、魚だしの醤油ラーメンみたいな脇のにおいが大変よろしく、つぎの日の電話でしりとり「る」の字固めぐらいもったいぶったすえ合格を出した。トンガリというのはつまりSNSのアカウント名で、彼はゴンドワナ大陸の地図を部屋の壁に貼るぐらい、物理的にも精神的にも、とんがってない(だってあの地図、イオンのビレバンに売ってたよ)。彼いわく、高校のとき仲がよかった友だちの仇名がトンガリで、頭がいいことで有名だった彼のほうはキテレツと呼ばれていたらしい。ややこしい。この地方ではいちばんのノーベル賞で有名な某国立大の研究科に通っている、といえば、自慢、というか木でピノキオの鼻をくくったような高慢ちきだが、おなじように大学生の彼氏をもつ女子高生たちのマウント合戦はまさしく経血で経血をあらう女子プロレス、彼氏の学部でマウント・エベレストより高いカーストが作られる現状、「あたまい学部」こと医学部はみんな開脚前転からひれ伏す「Aラン」、「あほう学部」こと法学部はありよりのありな「Bラン」、「あそぶん学部」こと文学部と「パラダイス経済」こと経済学部が「Cラン」なら、彼氏のいる通称「おとこう学部」の工学部は「浮気しないからいいよね」と蔑みまじりの慰めを受ける「Fラン」らしかった。さらに浪人ならワンランク、ロンダならツーランク落ちるし、私立の大学生だとか高校生を彼氏にした場合はサンキュー・フェミニズム、女子として人権のない「問題外」の「Zラン」。いいけどね別に。いやはや、そんな模試よりだるいランキングはさておき彼氏の自慢をさせてほしい。まず、毛がうすい。これすごい大事。テストに出ますから。オバQみたいにおなじデザインのを何着も持ってるダサいジーンズを「北風と太陽」の寓話もかくやイヤンバカンと誘惑して脱がせれば、腐敗した海を捨てて陸に上がった人魚みたいなうつくしい足をしている(内陸県なので、河童はともかく、人魚をみたことはないが)。私はテレビでタレントを観ても「下を見て評価をするな」とチコちゃんに叱られる足フェチなので(ルッキズム全盛の昨今、アイドルでも痩せた子が多くてつまんない。「太ももはマシュマロであるべし。マシュマロは太ももであるべし」と偉い人も言ってただろ)、裸で寝転がっているとき、となりに投げ出された足のふくらはぎの殻をむいたゆでたまごみたいなすべすべ具合を指でたのしむ時間が、本番そのものよりしあわせ、というか、本番なら本番で、入れ歯がとれたおばちゃんみたいなアヘ顔を見られたくない正常位より69を好みスネオヘアーもといすね毛にくちびるより濃厚なキスをする有様である。つぎに、頭がいい。IQが20ちがうともはや異邦人、ETとも指をあわせれば通じあえるのはご都合主義な映画のなかだけで、コミュニケーションって言葉だから、会話がなりたたないのだという。そして俗世の人間の半数は偏差値が50以下なのであるから、さびしいという感情は、なかなかに傲慢なものだとも思う。すくなくとも、トンガリといるとさびしくない。こういうひとと結婚するのかなと、あまり現実感はないくせ、会話が途切れた瞬間なんかに次の言葉が聞き倒した「ロビンソン」みたいにわかるから、ぼんやり思う。彼の暮らす安アパートは、大学からはてっぺんに花手水がきれいな神社のあるこだかい山をはさんだ向かいにあって、碁盤目状の町では直線距離よりマンハッタン距離、通学は大変らしかったが(一限があるキャンパスによって北から迂回するか南から迂回するか決めるらしい。「山を登っていったら?」と冗談はんぶんで提案したところ、ワシントン条約むなしく瀕死になったシマウマみたいな足取りで帰ってきた)、なんと私の高校から坂を下りたバス停のすぐ裏にあるので、帰り道に彼が好きな復刻版メンズポッキーをたずさえて立ち寄り、ちょっと勉強して帰ったりする(そのあとはもちろんあっちの加法定理を……やだ、もうこんなにタンジェント)。彼の部屋は三階にあり、学生用らしくエレベータはないので、磨りガラスから漏れる光がおぼろげにケサランパサランみたいな埃を目立たせる建築法違反ぐらい急な階段をあがれば、すぐのところにある角部屋である。隣にはお祭り終盤の金魚みたいにつかれたブロンド髪の風俗嬢が住んでて、朝方にすれ違えば育ちのよさそうな挨拶をしてくれる。学生街らしくポストには大学サークルのチラシがどっさり詰まっていて、部屋に入るまえ自己紹介がならぶそれをヒヨコの雄と雌をさばくみたく「まって」と「ごめんなさい」に振り分けるのが私の仕事だ。JRのポスターにもなったぐらい、紅葉をはじめとする観光でしられたこの町の物価は自販機を見ればジンバブエかと思うぐらい高く、おもに学生向けの賃貸物件も例外ではないなか、「悪徳」と付ければ重複表現になるような不動産屋さんなんて最初はしょうもない物件ばかり見せてきただろうに、「値段だけで即決した」らしい彼のアパートは(おなじ感覚で私も選んだんじゃないかと思うとバスのとなりにきときとの加齢臭をただよわせるジジイが座ってきたときぐらいテンション下がる)、キッチンふくめ一部屋しかないため手狭だが、いわく「九畳ぐらい」と開放感はある。ユニットバスとちいさな納戸のところだけへこんだテトリスで落ちてきたら頭を悩ませるような正方形で、ゲーセンで取ったらしいさくらももこのパクリみたいなぬいぐるみがならぶ北向きの出窓のすぐそばに「お値段以上」で有名な家具屋の姫ならインソムニアを訴えそうなほど固いシングルベッドが置かれてあり、そこでレースカーテンごしの朝日を浴びて目覚める瞬間が産まれてきたとたん「天上天下唯我独尊(コロンビア)」とガッツポーズ決めたときぐらい幸せだった。彼が淹れてくれたミルクたっぷりのモーニングコーヒーで「眠りは麻薬ってよもやだなあ」という心地よい眠気をまぎらせていると、どっかから見てたみたいに大仏アイコンのガンジーからLINEがある。「教科書もっていこうか?」。ああ、今日は土曜じゃなかったのか。ねこちゃんがお願いしてるスタンプを送り、下着と制服をととのえて、靴下ははかず、シャワーの代わりに香水というかアナスイを振って、もうしばらくまどろむことに決めた。ガンジーもテレサも彼氏のことは住所や電話番号や腰のうらの性感帯まで知ってるし、食べほうだいの焼きたてパンがおいしいこじゃれたワインレストランで食事をしたこともある。上座にすわったガンジーは呑めないお酒をあおるぐらい不機嫌だったが、「耳の垢には乾いているものと湿っているものがある」話を汚職の追及を受ける政治家ぐらいひきしまった顔でしただけで、なにも言わなかった(あいつはそういうやつだ。ミノムシぐらい、気がちいさくて、よわいのだ)。テレサには、トイレのまえですれ違ったとき、「あなた、お父さんよりいい男じゃないなら、止めなさい」と、なんだか女っぽさが鼻につく口調で横浜の久保みたいな(ガンジーといっしょにYouTubeの上原チャンネルで観たのよ)牽制を刺された。いやいや、ガンジーなんか、赤星なみに第三コーナーで視界から消してやんよ、と思ったけれど、もしテレサが言ってるのが、「ほんとうのお父さん」のことだとしたら、私は見たものしかわからないよ。
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