第3話 テレサは魔法をつかえる幻想少女

 母の名前はテレサといい、なにをかくそう(!)偽名である。本名がなんだったのか、なんなら左右対称の漢字三文字で生後五か月の首ぐらいすわりのいいペンネームのほうが本人も精神科でさらさらそっちを書いてしまうぐらい身近だし、本名といえばそろそろアイーンのかたちで「ここまで出てるけどもー」となってしまう。職業はいちおう、資本主義に鼻くそをつける恥かき、ならぬ小説書きである。いちおう、と注釈をつけたのは、彼女の本は大手版元から戸愚呂兄がキメ顔した立派な帯つきで出てるわけではないので、密林の本屋さんにたのめば翌日に恐怖新聞ぐらいの格好で寝起きのパジャマぐらいざつな梱包のものが集合ポストにぶち込まれるけれど、JRの駅前の府下でいちばんでかい本屋さんに行っても、板のうえでは跳ねないくせなぜか女優と結婚した芸人の自伝が窮屈そうな書架にすら並んでない。が、私は彼女の小説をはんぶんいたずらはんぶんほんきで書架に混ぜたい、なんならひよこ色の紙に赤文字ゴシック体の手書きポップ付きで面陳したくなるぐらい、すきだった。私はもともと、アンパンマンクラスの根暗だし友だちより愛と小説を好むほうで、というのはおこづかいはスロットで増やさないでいいぐらいもらってるものの財務省ばりにケチなので、古風といおうかタイパよりだんぜんコスパ優先、ワンコインでしばらく時間をつぶせるラノベよりよっぽどサロメといったぐあいにマジすかワイルドな文庫本を声のデカい某有名古書店なんかで値切って読んでいた。すきなのは森茉莉とか長野まゆみとか、ちょっとふるいけど全然ふるびない樋口一葉とか。わかりやすく「幻想と少女」推しである。そんな私からすれば、テレサの書いた小説は誰のそれよりも、悪役商会ふうにいえば「まずい! もう一冊」。自分で「体験したことしか書けない」とあまえた声でいうわりに原稿用紙をペンで瀉血した赤インクでよごす私小説書きなので、「いろいろ大変だったんだね」と滂沱の涙ならぬ緑茶ののこり一滴もかくやというエグみをのぞけば、枕したくなるぐらい水のながれるような文章もといピロートークとしてはまさしく耽美オブ耽美、ほう、とメメント森鴎外ばりの美に耽ることができた。いつかの誕生日にシルバニアの「森のゆかいなようちえん」に後ろ髪をひかれつつ「私のことも書いてよ」とたのんだら、「幸せになれると思うなよ」と悪びれながらひとなつの背伸びした女の子をテーマに短編を書いてくれたそれは、自分で印刷所にたのみ文庫本に綴じてもらったものを引き出しの二重底に隠したBLコミックと取り換えるぐらい、テレサが私のためだけに書いてくれたんだと思えば作中の恋愛模様もいっそうてれくさく(相手のモブ男は川に落ちてスケキヨ化したけど)、世界一のプレゼントになった。一回、プロになる気はないのか、「耳をすませば」の逆回転の高速きりもみで、訊いてみたことがある。私も「阪神・大谷・たまごやき」といったぐあいに名にしおわばのミーハーなので、テレサが芥川賞なんか取ってくれたら天狗に乗ったいきおいで町中にデイリーのドラフト記事も虎のしっぽ巻いて逃げ出すぐらいベタ褒めの怪文書とかバラまいちゃう。が、テレサは「いまの日本で小説だけで食べていけるのはせいぜい五人でしょ」と、生命線がモルモットのしっぽぐらいみじかい片手を歌舞伎の「よおー」みたいに広げるだけで、そっけない。欲がないなあ。テレサなら戸愚呂兄にかわって暗黒武術会ならぬその五人になることもできると思うけどね。霊剣! いや、欲といえばトリスのでかい瓶を主食にプロテイン入りカップラーメンを飲みものにするぐらい食欲にもとぼしいし、小説に必要なもの以外のすべてを欠けさせている、あるいは、小説という欠落したパズルのワンピースになれるぐらい適切に欠けている人間がテレサだった。まず、首のしわをナメック星式スカウターで精査しようと四十歳にはみえない。三十代もあやしい(じっさい、お酒をコンビニで買おうとしたらウオッカなのに年齢確認され、なにを血迷ったか自分で手帳に書いた生年月日を出していた)。好きな靴はまっかなサブリナで、1センチぐらい浮いているようにふわふわ歩く。いや、出かけることはほとんどない。天岩戸もEXILEに陽気な舞をたのむぐらいの超絶ひきこもりで、首ねっこを引きずるようにしてやっと外に出たと思ったら、ふうやれやれと、出先のカフェのテーブルいっぱいにパソコンだか筆記用具だか巻き尺だか般若心経だかを広げ、そこにドクダミのごとく根を生やしてしまう。そして「もうここから離れたくない」と訴えたすえ血はもちろん膀胱がつながってるはずもない私にマリオネットみたくトイレまで代わりに行かせようとするのだ。よくいえば深窓のご令嬢、まわりのひとは大変だろうけれど(私ふくめ)、まさしく彼女の小説、筆に迷いがない一人称なところが妙にうらやましかったりする。とうぜん無意識のマウントといおうか、おなじ姫タイプのメンヘラ女子から「Here Comes A New Challenger!」からの一方的なキャットファイトを挑まれることはよくあって、私の「人という字は支え合って」風ありていなアドバイスもむなしく、テレサも虫どころか米をつぶしたこともなさそうなかわいい見た目のわりにハウザー様ぐらい退かないし媚びないし顧みないから、なんどめか朝イチの小便ぐらいキレがいい縁切りがあったのち、彼女はアンニュイな横顔で窓のそとを眺めこうつぶやいた。「また私の毒にやられてしまったのね」。いけてるふうに言うなよ。実際、アヴリルよりアリアナより、断然いけてるひとではあった。小説以外なにもできなかったけれど、ぎゃくにいえば、小説に書くふうならなんでもできるひとでもあって、とりわけ、そんなふうに作られた彼女の料理は、黒胡椒じゃなく黒魔法をかけてるんじゃないかというぐらいおいしく、芥川賞をあげたくなるぐらい、だいすきだった。

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