第2話 ガンジーは地獄の運転手
父の名前はガンジーというが、もちろん二葉亭ならぬ偽名であるし、そのうえ、実の父ではない。「血がつながってない」とベッドメリーのしたあまやかな子守歌がわりに聞かされて育ったので、いつ知ったのかおぼえてないし、絶望なんかトイレトレーニングより練習するひまもなかった。いや、長渕剛なら「乾杯」を歌うほどけっこうおいしい人生のステージなんだから、ちょっとは絶望ぐらいさせてくれよ。ハタチになったら漫画みたいなホールのケーキをかこみ、アナコンダよりふといローソクの火を台風みたく力いっぱい吹きけして、産まれた年に買ったワインのコルクを開けてもらいカビの匂いをかいでから大人びた味に初めて呑むお酒みたくかしこまれば、まっしょうめんで血色ばんで手をかたく組んだお父さん(イメージは佐野史郎)がもってまわったふうにふるえる声で「……夏至子。実はお前は、俺の本当の娘ではないんだ」。金属バットのフルスイングで後ろ頭をなぐられたふうに、ガーン! 信じてたのに! 振り返ればそこには54本目のときのウラディミール・バレンティン。9回裏ツーアウトの周東ばりに廊下を猛ダッシュ。おきにの五本指ソックスのつまさきだちでカモシカみたいに外へとびだせば後ろからお母さん(イメージは永作博美)が手をのばして悲壮なさけび声「夏至子!」。そこでカメラがフレームアウト。オールウェイズ三丁目の夕陽はピカチュウのほっぺよりまぶしかった。……うーん、夏至子って名前じゃ夢女子おとくいの妄想もやたら進行がおそい漫画のアニメ化ぐらいはかどらねえな。雰囲気的には「えなこ」とそう変わらないはずなのに、いまや女優としてチャンネルを変えるたび顔以下をすげかえてファッションショーを繰り広げる日本一のコスプレイヤーといったいどこで差がついたんだろう(はじめから!)。ともあれ、私はえなこほどかわいくないし、漫画を描けばヒロインに「はなこ」と名づけるほどセンスないし、名前をつけたのはガンジーではないらしいので、そこで怒ったりしない。というかガンジーに怒ることはトイレの暖房便座をすぐ切る世が世なら絶縁ものの重大インシデントを除けばほぼない。日本全国のご家庭を覗けばどこにでもいるような、あるいは平日の使者こと「サザエさん」ならぬ家庭というリアリティショーを演じてるマスオみたいな、同僚に「お前、もっといいの着ろよ」と誘われてコストコで買ったスーツが七五三ぐらい似合わないこと以外に特徴のない、量産型乙式サラリーマンである。ええッ、昨日の明日は今日なのかい!? 朝はだいたい八時前に出て(だからいっしょにバス停に並びあっちむいてほいを遊ぶこともよくある。ガンジーはパーを出すとき鼻毛がでる)、夜は七時ごろ家族LINEに「いまからかえる」とシンプルな連絡があり(テレサは筆不精ならぬLINE不精だし、あんまり動いてない家族LINEなので、油断すればこの「いまからかえる」だけ雨後のかえるみたいにぴょんぴょん跳ねてたりする。けろけろ)、中間管理職がプリンだいすき腰掛けOLみたいな付き合いのわるさで出世は大丈夫なのか呑みに出かけることもなく、三十分後ぐらいに「ただいまんこ」(おもんな)のつかれた声とともに玄関がひらく。それから三人でテレサの作ってくれた名前はよくわからないがやばいもの入れてそうなぐらいおいしい創作料理をたべる。それから皿とお風呂をガンジーが洗う。まさしくテレサの言い得て妙、「ふつうすぎてふつうじゃない男」がガンジーなのだ。そして私にいわせれば、世俗への情緒をくしゃくしゃの卒業証書ともどもブロークン・ユースに捨ててきたんじゃないかというような、金曜ロードショー「恐怖の無趣味男」。土日はこれが趣味なんじゃないかというぐらいていねいにベランダの側溝まで掃除したあと延々アウトレットで買ったやすいパソコンのエンターキーをしたたか打ち、「音出していい?」と誰にともなく駄目と言われたら止めんのかというような無能の象徴みたく許可をもとめ、ありがちな四つ打ちのUKロックをひどい音質でながして仕事にいそがしいテレサの眉をハの字にひそめさせる(お嬢さまそだちのテレサはうるわしい女声ボーカル以外を聴くと耳がくさるのだ)。で、「ときどき動かさないとバッテリーが上がるから」と誰もきいてない言い訳をのこしてそんなこともないだろうにこの燃料高のご時世いい身分なもんだが車にのり出かけてしまう。カンバスいっぱいの水彩画に描いて「凡庸」とタイトルを付ければ社会派の現代アートとして大賞をまぬがれないぐらい、甲子園のレフトスタンドぎりぎりに入る大山のホームラン級につまらない男だ。でもまあ、耳をうたがうぐらいへんな名前の企業の子会社に勤めてるわりに給料は東洋経済しらべだと四十歳男性の並み以上あるし(明細が家族LINEに流れてくるから有休の残りまでマメにチェックしてる)、金づかいはちょっとあやしいが(気づいたら棚のうえに火星人のうんこみたいなオブジェがあったりする)わるくない。それに車で出かけるときは、「夏至子、いまひま?」と気のいい友だちみたくかならず私に声をかけてくれる。「ちょっと忙しいんだけどなあ」とわざとらしくさかさまの教科書をひらき不満をもらしながら、きたきた、とばかりに、よそ行きのフレアスカートに着がえてちゃっかりいつもより濃いアイラインを引いてたりする。ガンジーと出かけるのはたのしかった。ガンジーが乗ってるのはいまどきガソリン車で、ずいぶんふるい軽自動車らしく、いちおうターボ(ガンジーには「電動ウェイストゲートバルブ」だと言い直される。なにそれ窪塚のドラマ?)で、なぞにドラえもんの亀頭みたいなミッションが6速もある。助手席をたおしてフルフラットにした即席のオットマンだ。いつもそこにすらりと足をのばすのは妻の貫禄、テレサの役得なのだが、ガンジーとふたりで出かけるときはお姫様のようにすました私がそこに座る。ながす音楽も任せてもらえる。ガンジーはお風呂でうたってると隣から苦情のファンレターがくるぐらい公害レベルの音痴なくせ、車のオーディオにだけ無駄なこだわりがあり、車内にはツイターもふくめれば六つもスピーカーがあるうえ、オートバックスのチラシのでかい赤丸を見るかぎりウーハーも検討してるらしい(購入のさいはぜひ私も連れてってください。カイジの続き読みたいので)。ガンジーのジムカーナでは通用しないようなとろくさいアクセルワークでも軽自動車のエンジンはやかましいが、負けないぐらい爆音でだいすきな大森靖子をながし、うたうのは気持ちいい。大森靖子もZOCも昔のほうがよかったね、なんて、乳ばなれもあやしい令和キッズなくせガンジーゆずりのhey say的な老害気分にひたったり。「なんかいった?」とガンジーが車内のマイクをつうじてたずねてきた。いってねえよ。きいてんじゃねえよ。「どこむかってるの?」と大声でどなりかえす。「どこいこうかなあ」。赤信号で止まったとき、アイドリングストップで月夜の砂漠みたいにしずかになった車内、ガンジーのセックスすらしらない隊商の少年みたいにかすれた声がよく聞こえた。どこでもいいよ。ガンジーの連れていってくれる場所は、ダイソーでもイオンでも、地獄ですらたのしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます