第4話 <王国の長剣>
「体調はどうだ?」
客間に移動すると、青年はライカを見て尋ねた。低いが良く通る声だ。ライカはどこかで聞いたことがあるような、少し懐かしい気持ちになった。
「だいぶ良くなりました。――あの、助けてくれてありがとうございます」
記憶にはないものの、礼ぐらい言わなければ失礼だろう。ライカは対面に座ったゼナイにぺこりと頭を下げた。
「もっと早ければ良かったんだがな」
自分ではわからないのだが、ライカは以前よりも随分と痩せてしまい、調子が良い日でも顔色はぎょっとするほど悪いらしい。ゼナイは彼女の姿を見て、罪悪感を抱いているようだった。
――助けてくれただけで十分なのに。強い人ってもっとって考えちゃうのかな?
小説の中のゼナイも誠実で親切な男であった。主人公が困っているとそれとなく助け舟を出し、大したことではなかったかのように振る舞うのだ。
ゼナイのエピソードといえば、主人公に絡んでいたチンピラを、彼は素手で追い払うという場面がある。
――剣の腕を披露する場面じゃないの?
――抜かなくても強いっていう描写なの。あと、実は剣より槍の方が得意なのよ。
ふと、かつて交わした親友との会話が頭に浮かぶ。あまり役立ちそうにない情報にライカは遠い目をした。
――元の名前とか、もっと重要なことを思い出したいんだけど……。
ライカが思い出せるのは元の世界でのぼんやりとした生活風景と、小説の前半部分だけなのだ。ずいぶんと歯がゆい記憶喪失になってしまった自分を静かに呪った。
「息子は少しずつですが回復しております。医師からも後は良くなる一方との診断で。――シルヴィス侯爵には、妻も私も大変感謝をしております」
それからゼナイと取り止めのない世間話を続けた。当たり障りのない会話であったが、彼は違和感に気付き、躊躇うことなく指摘した。
「どうも記憶が合わないな?」
ゼナイがじっとライカを見る。まるで少しの変化も見逃してくれなさそうな、鋭い眼差しだ。睨まれたわけでもないのにライカは少し身を竦めた。
ロウザが濁すような言葉で答える。
「……はい。少し、少しだけ息子は混乱しているようなのです」
困ったな、とゼナイはぼやく。二人を責めているわけではなさそうだ。床に目を落とし、どうしたものかと思案している。
「――第二王子殿下がお呼びだ」
ロウザの顔から、いつものにこやかな笑みが抜ける。
「それは……事故の件ですか?」
「ああ、話を聞きたいそうだ」
ライカネルが襲われたのは、第二王子・ネイゼンの生誕祭の夜に開催された宴でのことだった。会場からふらりと抜け出したところを狙われたのだ。
「もう、その件でしたら……」
ライカが無事であればそれで良いのか、ロウザは大事にしたくないらしい。セイランも同じ考えである。
「殿下はいたくお怒りで、無理にでも連れて来いとの仰せだ」
ロウザは短く息を吐いた。先ほど回復しているとは言ったが、ライカの体はまだまだ万全ではない。両親が大事にしたくないのもそのせいだ。そもそも、記憶のないライカを連れ出してもあまり意味はなさそうだ。
――ネイゼンは怖いんだよなぁ。
第一王子・ユイレンは暖かく太陽のような王子と名高い。人の話に耳を傾け、諍いがあれば率先して仲介を行う仁徳者である。
対して、第二王子・ネイゼンは月のように冷やかで、冴えわたる頭脳と凍りつくような性格で恐れられている。人の話は鼻であしらい、いざこざがあればすっぱりと斬り捨てる冷淡者である。
――<王国の長剣>を使いっ走りにするなんて。
こうまでされては、クラシェイドでも従わざるを得ない状況なのだ。ロウザはどうにか断る理由を考えているようだが、傍目にも無理そうだ。
「行ってみます」
ライカは呟くような小さな声で答えた。自分を襲ったならず者が野放しになっているのも気がかりではあったが、屋敷にいるだけでは何もわからないと思ったからだ。
両親はあまり多くのことを教えてくれなかった。記憶喪失は一時的なものかもしれないと言う医師の言葉のせいである。けれど、実際はライカネルに彼女が成り代わってしまったからなのだ。どれだけ時間が経っても、ライカにライカネルの記憶を取り戻すことはできないのだ。
「宴のあったラカート離宮まで往復で半日はかかるんだ。その体では辛いだろう。――それに、セイランが承諾しないよ」
うっ、とライカは言葉に詰まった。セイランは、過保護な母は、外出を許さないだろう。もしかすると、あの綺麗な顔を高揚させて怒られるかもしれない。
「いや、でも、ねぇ?」
ライカは同意を求めるようにゼナイに視線を送った。しかし、髪色と同じ色をした赤い目は責任を逃れるようにさらりとそっぽを向いた。
「お母さ……、お母様はいつ帰るんだっけ?」
「夜になると言っていたけど、さすがに今日はもう無理だね」
夜か、とゼナイは呟いた。赤い目を閉じて一瞬だけ何かを考えると、おもむろに立ち上がった。
「馬車を待たせてある。夜までに帰るぞ」
ひぇっ、とライカが息を飲む声が部屋に響いた。
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