第3話 <特権>と継承問題
ライカネルの父・ロウザは、嫡男のいないクラシェイド家に婿入りした下級貴族の男性である。
クラシェイドというのは<王国の天秤>に与えられる爵位であり、基本的には世襲制のため、ライカネルの家門の名でもある。しかし、その爵位は父を一つ飛ばしライカネルに継承されている。ロウザが継いだ爵位は、ライカネルの祖父にあたる前クラシェイド伯爵・ケオニールが兼任していたリンカー子爵であった。――ということを、ロウザは散歩をしながらライカに説明した。
「どうして<王国の天秤>をお父様が継がなかったのですか?」
「向いてなかったからじゃないだろうか」
ロウザはライカの疑問に気分を害した様子はない。義理とはいえ、自分を飛ばして娘に高位の爵位を譲渡されれば、気持ちの良いことではないと彼女でさえもわかるのだ。
「父さんはセイランと結婚できただけでも申し分ないんだ。でも、お前には悪いことをしたね」
ロウザはライカの頭をわしわしと撫でた。彼の口ぶりからして、爵位に対する執着はなさそうである。がっしりとした体格に見合わず、性格は温厚すぎるほどなのだ。
ライカが持つ<王国の天秤>は、王国裁判を開くことができるという特権である。王国裁判は基本的には国王によって開廷されるものであったが、対象が王族や国王自身となった場合、その最高裁判官がクラシェイド伯爵となるのだ。
――それで、ライカネルの最初の役目が王位継承者の選定だっけ……?
<王国の天秤>の意義は、王国の〝均衡〟である。権力争いの火種となる王位継承に関して、激化しないようその均衡を保つ役目が<王国の天秤>にはあった。
そのため、<特権>を持つ他の有力貴族とともに継承者を選出し、最終的に承認するのが<王国の天秤>の役目の一つだった。つまり、<王国の天秤>が王国裁判で断罪するのは、自らが認めた王ということになる。だからこそ、次期国王の選出は、裁判など必要のない信頼できる人物でないと格好がつかないのだ。
作中、ライカネルが必死で思案していたのが、まさに王位継承問題だ。エルドガール王国には異なる王妃から生まれた二人の王子がおり、順当にいけば人望厚く学問に秀でた第一王子・ユイレンが後継者となる。
けれど第二王子・ネイゼンもまた、武芸に優れ、軍の指揮官となるほどの腕前を持つ優秀な王子であった。彼を国王にと支持する貴族も少なくない。
二人の王子の関係は良好だが、継承争いに発展しかねない可能性がこの国にはあった。
「早く陛下に選王会議を開いていただかねばならないのだけどね」
継承問題を発生させないためには、さっさと後継者を決定してしまうことが一番だ。けれど、選王会議を国王がなかなか許可しないため、貴族たちは訝しがっていた。
そして、その不信に最も影響を受けているのが、<王国の天秤>ライカネルだった。なかなか決まらないのは、ライカネルのせいではないかと非難が集中していたのだ。
――こんな子どもに重いよ。
ライカネルを指名した祖父は、なかなか頑固な人であったらしい。ロウザとは最後まで打ち解けることなく、多くを語ることなく、静かに逝ったという。幼くして特権を継承したライカネルは、会議を開けない現状に対処できていないのである。
「今はまだ考えなくていいんだ。まずは体力を戻さないとな。――ああ、ほら馬だよ」
少し俯いたライカの気を紛らわせるように、ロウザは柵の向こうに見える馬を指差した。つやつやと毛並みが揃ったその馬は、こちらに気付くとぶるりと鼻を鳴らす。
「お父様、あれはお客さんじゃない?」
馬の向こうには青年が立っていた。遠目にもはっきりと目立つ真っ赤な髪色だ。父ほどではないが背が高く、腰には剣を帯びている。
「連絡もなく申し訳ない」
鉄でできた柵越しに青年は軽く会釈をした。後ろに控えていた従者らしき男達も、倣うように頭を下げた。
「これはこれは、シルヴィス侯爵」
父は恐縮した様子で深く頭を下げた。そして、隣で首を傾げるライカにそっと耳打ちをする。
「<王国の長剣>ゼナイ・シルヴィス侯爵だ」
わぁ、とライカは目を輝かせた。特権の持ち主ならば、当然知っている人物だからだ。
――本当に真っ赤だなぁ。
ゼナイは燃えるような赤い髪と、良く鍛えられた体が特徴の青年だ。もちろんイケメンである。
性格は髪色のように情熱的かというとそうでもなく、歳の割には落ち着いた頼れるお兄さんみたいな存在であった。
しかし王国最大の軍事力を持つシルヴィス家の名は伊達ではない。作中でも<王国の長剣>の名に恥じない腕前を披露する場面があった。
――強いんだよね?
ライカがここまでどきどきしたのは目覚めて以来、初めてかもしれない。正直な話、卑屈なライカネルについて描写するよりも描きやすかった青年だ。
「……ライカを助けてくれたのも彼だ」
「えっ?」
そのような描写があっただろうか。ライカは首を傾げた。そもそも小説で思い出せるのは、ライカネルが事故に遭い、その知らせを受けた主人公が涙に目を曇らせる場面までなのだ。
――生きてて良かった。
小説では死んでしまったのではないかというような書き方をした気がする。ストーリー担当の親友が感動したと褒めていた記憶がほんのりと浮かんだ。
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