第2話 若き伯爵の秘密

 男の子として登場させたライカネルの体が、女の子のものであった。その事実に少女は困惑する。

 少しだけ理由を考えたが、しかし、すぐに思考を止め、母であるという女性に尋ねた。


「私……女……ですよね……?」


 擦れてたどたどしい話し方になってしまった。水すらも拒む喉はからっからに乾いていたからだ。


「ええ、そうよ。あなたは私の娘です」


 セイランは口を耳元に近付けると、小さな声でそう言った。その様子に、女の子であることは隠しているのだと察する。


――そんな設定あったのかな。


 親友から聞いた覚えはなかった。思い出せていないだけの可能性もあったが、今となっては確かめようがない。


「鏡を……」


 セイランはライカネルの机から手鏡を取り出し、体を起こせない彼女のためにその鏡をかざして見せた。

 紫がかった髪。丸く大きな目に、品よく整った唇。そこには母親譲りの端整な顔が映っていた。


 ――これは、美少年だ。


 小説の登場人物は美男美女ばかりだったが、ライカネルも例にもれず、天使のような美しい顔をしている設定だ。


 ――もう私、ライカネルでいいのでは……?


 決して見覚えのある顔ではなかった。自分ではないその顔に、見知らぬ部屋。ここは、親友が見たと言う夢の中なのかもしれない。


「ライカ?」


 セイランが心配そうにこちらを見ている。愛しい娘を見る母の顔だ。ずきり、と胸が痛む。


――私はライカネルでは……。


 では、誰だと言うのだろうか。

 自分の名も、元の生活も思い出せない。

 理由はわからないが、こうしてライカネルとなってしまったからには、彼女として生活する以外の道は思いつかない。


――この優しそうな女性を騙して?


 自分が悪いわけでもないのに、人を欺いているようなこの状況が苦しかった。


「いいのよ。思い出せなくても」


 涙で目を潤ませる少女の頬を、セイランは優しく撫でた。その言葉に罪悪感で痛む胸が、少しだけ温かくなるのだった。



 こうして、彼女はライカと呼ばれる生活を始めた。

 目覚めてからひと月は、体の痛みに耐える毎日であった。喉が荒れているせいで食事を通すことがままならず、水や味の薄いスープしか受け付けなかった。薬は飲まないわけにはいかないため、美味しくもない苦い薬湯を舐めるようにゆっくりと含んだ。それも胃に到着すると吐き出してしまうことが多く、体力を酷く消耗した。


 ふた月が過ぎる頃には、柔らかく煮た野菜や、スープに浸したパンを食べられるようになり、ようやくベッドから離れられることができたのだ。


「今日は顔色がよろしいですね」


 そう言って少し嬉しそうな表情を浮かべたのは、唯一の侍女であるリンゼであった。幼少の頃よりライカネルの世話を任されている姉のような存在で、彼女の性別を知っている数少ない人間の一人だった。

 体を動かせない間は多くのことを任せており、リンゼのことをライカはすっかりと信頼してしまっている。


「そうでしょ? だから、散歩してもいいよね?」


 散歩と言っても敷地内の庭を回るだけであったが、それすらも両親どちらかの同伴が必要だった。体が動かせるまで回復した今、たいした娯楽もない部屋に引きこもるのは若い彼女にはじれったくあったのだ。


「今日は奥様がいらっしゃらないので……」


 リンゼは困った顔をする。セイランはライカが出歩く際は必ず自分の同行が必要であるときつく言い聞かせていた。だから、ライカが一歩でも部屋の外に出ようものなら、慌てて侍女達に連れ戻されるのだ。


「お父さ……、お父様は?」

「朝のうちでしたら、同行していただけるかもしれませんね」


 表情にこそ出さなかったが、ライカは内心、期待に胸を膨らませた。


――あの人は絶対に断らないから外に出られる……!


 ここ最近、セイランは忙しいのか家を空けることが多々あり、なかなかタイミングが合わなかったのだ。

 およそ小説のイメージとはかけ離れた表情を浮かべると、彼女は男物の上着を羽織り、父の返事を待った。

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