残骸 4

 ロバートと別れ、帰路についたオーエンは人気の薄いところを歩いていた。


 ここは辺境と言われるシェードの中でも更に端っこの方。最北端の北端に位置する場所だ。これより先には、内戦時に激しい戦闘の行われた旧市街しかない。


 栄えている所へのアクセスは非常に悪いが、オーエンはただ家賃が安いからという理由だけでこの辺りに住んでいた。


 住むだけなら何不自由のない場所だ。人気がないから静かだし、多少騒いでも苦情は来ない。治安は……あまりよくないが、オーエンとしては別になんの問題もなかった。


 今日までは。


「お、いたいた」


 声を掛けられたオーエン。背後から数人の気配を感じた。


 ロバートと別れた頃から、誰かにつけられているような気がしていたが、気のせいではなかったらしい。


「あ?」


 この辺りで声を掛けてくるような連中にろくな奴はいない。嫌な予感がしたオーエンは、威圧するように振り向いた。


「……」


 ひと、ふた、みー、よー……何人いるんだろうか。かなりの大所帯。


 見たところこの辺に住んでいる人間ではなかった。人相はお似合いだが、この人数の集団は見たことがなかった。


「よお、昨日はどうも。お礼のひとつでもしたくなったわけでさ」

「お前、このあたりじゃ『シスター殺し』って異名で有名な狂犬なんだってな。ほら犬らしくお座りでもしてみればどうだ?」

「シスター殺しっ! かっけー!」


 どこかで見た顔の男たちが、神経を逆なでするような笑い声で喋る。


 あの顔の腫れ……昨日のカツアゲ連中か。どうやら家族を引き連れてお礼参りに来たらしい。ご苦労なことだ。


 と、余裕を装うオーエンだが、内心は全く穏やかではない。


 いかにこの街きっての不良と言えど、流石にこの人数を相手にケンカなんてできるわけがない。ざっと見ただけで十数人はいる。下手をすれば二十はいくかもしれない。


 いくつか考えを巡らせたオーエンだったが、気が付けば男たちに背を向けて駆けていた。


「あ! おい、逃げたぞ!」


「追え追え! 追い回せ!」


 全力で駆けだしたオーエンだが、逃げ出した先には何もない。今ばかりはこの場所に静けさに嫌気がさした。


 だから、仕方なく回り道をして来た道を戻った。


「はぁっ……はっ、クソっ」


 積もった雪が走る足を絡めさせる。それでも走って駆けた。時には道に積まれた木箱を引き倒して後続の妨害をした。


 しばらく走ると人の姿がちらほら見え始めた。


 背後をちらりと見るが、大勢の男たちが駆け寄ってきている。距離はおよそ十メートルほどだろうか。思ったよりしつこい。


「あーくそっ」


 走るのに夢中で忘れていたが、デラックスの入った箱を思いっきり振り回している。中身はさぞ楽しいことになっているに違いない。


 しかし、このまま逃げてどうすればいいのか。ケンカには自信があるが、持久力があまりない。隠れ家のようなものもない。


 オーエンの頭の中で自分自身への質問が飛び交った。


 このまま走って逃げ切れるだろうか。あとどの程度走れるだろうか。逃げ切った後はどうする? 立ち止まって応戦するか? いけるか?


「いけるかよっ」


 分かりきっている。


 だから、オーエンは走った。


 気が付けば、菓子屋の付近まで来ていた。


 連中は人目があるにも関わらず、お構いなしで追いかけてくる。どうやら本気で狩りに来ているようだ。この様子じゃ流石に走って逃げるのは無理がある。


 曲がり角を曲がった。菓子屋が並ぶ通りに出る。通行人にぶつかりそうになって怒鳴られるが返答している暇はない。


 後方を確認すると、どうやら人込みに紛れられているようで、チンピラ連中はオーエンを見失っていた。どこだどこだと、声を荒げて叫び散らしている。


 ふと、視界の端に存在感の薄い路地が見えた。


「ありがてぇ……」


 もうこれ以上は走れない。そう判断したオーエンは、すかさずそこへ飛び込む。


 路地の奥へと進み、乱雑に置かれた箱の陰に隠れる。どうやら袋小路らしい。逃げ道がないので見つかれば最悪だが、まぁ見つからなければいい。


「はぁ……」


 白い息が、荒れた呼吸と共に出てくる。


 冷気のせいで、口の中とか、鼻とか、喉とかが痛い。空気の通り道全てが凍り付いてるみたいだ。


 表の方で男たちが叫んでいる。どうやら上手く隠れられているらしい。このまま諦めてはくれないだろうか。


「いや……」


 多分無理だ。家の近くで待ち伏せされていたことを考えると、住所がバレているのだろう。


 つまりこのままでは帰れない。


 結構どうしようもない状況に陥っているのではないかと、オーエンは思った。


 その時だった。


「やあ」


 背後から突然声をかけられ、オーエンは思わず叫びそうになった。


 そういえばこの路地裏は、昨日連中をボコボコにした場所だ。


 そして、ヘンなシスターに出会った場所でもあるわけで、


「昨日ぶり、なんだか追われているみたいだね」


 路地の奥、というよりもオーエンの隣にその少女はいた。


 相も変わらずこんなところで座り込んでいた。


 特徴的なフードの上に積もった雪が、長時間その場に座っていたことを物語っている。


「そうだよ、だから静かにしてくれ。つーかお前、ほんと気配消すの上手いな」


 シスターとの距離は一メートルも離れていない。なのにオーエンはたった今話しかけられるまでその存在に気が付かなかった。 


 それにしても、こんなときにまで変なことを言い出さないか、気が気じゃない。表にはまだ面倒な連中がオーエンを探し回っているのだ。いつここに入り込んできてもおかしくない。


「……」


 そんなオーエンのことを知ってか知らずか、シスターは黙り込んでいた。


 これで一安心、と思ったのも束の間。肩をポンポンと叩き、こちらを向くように促してきた。


 無視を決め込んでも良かったが、騒がれても面倒だ、というか詰む。だからオーエンは大人しくシスターの方に顔を向けた。


 緊張のせいで強張った顔のオーエンを出迎えたのは、何か壮大なイタズラを思いついたような子供っぽい顔だった。


 オーエンに底冷えするほどの嫌な予感が走った。


 多分、いや確実に面倒なことを言ってくる。


 そんな予感は見事に的中した。


「血をくれたら、黙っててあげる」


「おま、こんなときにまで何言ってんだ。そういう痛いことはチラシの裏だけにしとけって」


「そう? じゃ、わたしはこれで。丁度、表にいる男たちに用が出来たんでね。探し物はここだよって言ってあげないと」


 シスターは引き下がらなかった。そうせざるを得ない理由が彼女にはあったのだ。強行してでもオーエンの血を求める理由が。


「待て」


 重い腰をあげ、男たちを方へと向かう振りをしたシスターを、オーエンは慌てて引き留める。


 明らかな脅迫。聖職者からほど遠い行いだ。しかし、慣れない行いなのか稚拙でわざとらしい。いかにも無理をしているように見える。


 これには、オーエンも気づいただろう。


「血だろ、血なんだろ、血なんだよな」


 訂正。どうやら気づいていないらしい。


 オーエンは緊張のせいか、こんな分かりやすい演技に騙されていた。普段の冷静さと、暴力性からくる大胆さはどこにもなかった。


 一方、シスターは自信満々の演技が成功したので、ご満悦。内心で「才能があるのかも」なんて思い始めている始末。


 奇跡的なタイミングと、ビギナーズラックのおかげであることを、このシスターは知る由もなかった。


「おお、ありがとう。くれるんだね」


 先ほどまで脅迫してきていた口で、これまたわざとらしく感謝を告げてくる。


 しかし、これにもオーエンは気づくことはなく、自らの血を与えることに必死だった。


 拳に出来ていたかさぶたを無理やり剥がし、爪でえぐる。

 見ているだけで痛いその行為を、シスターは若干引きながら見つめた。


 どうやら本当に痛いらしく、血と共に、涙も滲んでいた。


 滲んだ血は、やがて一粒程度の大きさまで膨れる。


「ほら、頼むからこれで黙っててくれ」


 そのまま右拳ごと、シスターに差し出した。


 待ってましたと言わんばかりに、すっとシスターが顔を近づける。音もなく、そしてあまりにも自然に……オーエンの拳に唇をつけた。


「なっ」


 オーエンが感じたのは、まずやわらかい唇の感触――


 そして、ぬちっとした粘膜の温もりだった。


 その感覚に囚われたオーエンは固まってしまう。だが、シスターは違った。強引に、食い気味にちゅうちゅうと貪る。そのまま舌でぞりぞりと傷口を舐めてきた。


 痛気持ちいい。


(じゃねぇ!)


 心の中自分を押さえつけるように気を強く持つが、無くは続かなかった。


 妖艶なシスターの顔が至近距離にある。唇をつけた顔は更に色っぽく見えた。


(でもねぇ!)


 湧き出る煩悩に、状況を考えろと怒鳴りつけるが止まらなかった。


 端的に言ってしまうと、エロい。めちゃくちゃエロかった。


(違う!)


 もうどうしようもない。この流れが収まるまでオーエンは耐えるしかなかった。


 健全な青年であるオーエンは、こんな状況にも関わらず変な気分になりかけていた。顔から火が出そうなほど熱くなる。


 そのあまりにも背徳的。インモラルというやつだ。シスターが自分の手にキスをしている。


 指輪ではないものの、手に自らキスをしに来ている。それが何を意味するのかを考えると、しようのない感情が湧き立った。


 たっぷり五秒ほどの口づけをし、ようやく離れるシスターは、


「ごちそうさま」


 と言ってのけた。


「ごちそうさまとか言うな。普通、指で取るだろうよっ! なんでキスなんだ、俺は法王様じゃねぇぞ!」


 というか、キスがあまりにも強烈だったので忘れていたが、このシスター、血を飲んだのか。一体なんのためだろうか。


 まさか本当に吸血鬼なのか?


「君に服従しようか?」

「……」


 いたずらっぽい表情。それに先ほどまでの艶めかしい表情が重なり、思わず黙り込んでしまった。


「あれ、意外とまんざらでもない?」

「黙れ、もう黙ってくれ」


 図星を突かれたオーエンは、慌てて赤くなった顔を左手で覆った。


 そんな仕草を見て、気を良くしたシスターは、


「もう一度しようか?」


 大胆な発言をし、そのままになっていたオーエンの右手に顔を近づけた。


「なんでだよ」


 慌てて手を引っ込めるオーエン。


「つかほんとになんでだ、なんで血なんて欲しがる」


 少しだけ冷静さを取り戻したオーエンは、一向に不明なシスターの吸血行動について問うた。


「そりゃ、君の血で私を再定義するためだけど、それだけじゃわからないよね」


 色々端折ったしと言って、重要な部分はぼかされてしまう。


 実際、何を言っているのかオーエンはさっぱり分かっていなかった。


 一体どういうことなのか、確かめるようにシスターを睨む。するとシスターはこれまでの軽々しい表情から打って変わって、シリアスな顔つきになった。


「気になる?」

「……それなりに」


 ここまで関わっておいて、今更気にならないというのはあまりにも滑稽な強がりに聞こえる気がした。だから、オーエンは素直に答えておいた。


「じゃあ、後でゆっくり教えてあげよう」


 そういうと、シスターは今度こそ立ち上がり、表の通りへと向かって行った。


 何のためらいもなく、自然に立ち上がったので、オーエンは止めるタイミングを逃してしまった。


「おい、約束と違うぞ!」


 このままでは男たちに見つかってしまうではないか――


 だが、オーエンの焦りは杞憂であったと言わざるを得なかった。


 なぜなら、シスターの思惑はオーエンの予想を範囲外だったからだ。


「あー違う、違う。あれ、邪魔でしょ? 片してくるの」


 指を指した先にいるのは面倒な連中だ。


 それを片してくるだって? そんな馬鹿な。一体何人いると思っているのだろうか。


「片してくるって、お前。あの人数――」


 あの人数に勝てるのかどうかとか、気になることは山ほどあった。その上で、それを塗りつぶしてしまうほどのものをオーエンは見つけた。


 オーエンの興味を強く引いたのは、シスター服に似合わないあの腕章。


 正確にはそこに描かれたエンブレムだ。


 描かれていたのは『星を掴む有翼の女神』。


 つい最近、その特徴を有する存在について聞いたばかりだ。


 確か、ロバートが言っていた。

 ――星教の信仰対象、アストラエアだろ


 そして、こうも言っていた。

 ―― シスターレジスタンスのエンブレムになってんだよ


「お前……それ」


 興奮に震える手で、オーエンが女神の描かれた腕章を指差す。


「ん、これ? あーそういえば、自己紹介がまだだったね」


 シスターが振り向きながら言ってくる。


 表からの逆光で、シルエットだけが浮き出ていた。


「私は、ホーリー・オリーブ、歳は19。シェード第一教会所属のシスター見習い。以後よろしくね」


 その姿はあまりに神々しくて、あまりに頼りがいがあった。


「俺はオーエン・ケイター、17歳。よろしく頼む」

「そう、じゃあオーエン君って呼ぶね」


 なんせ彼女は、


「あれだけの人数は流石に骨が折れる。君も手伝っておくれよ、オーエン君」


 あの内戦で活躍した――


「……光栄だ」


 あの――



 シスターレジスタンスだからだ。

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