残骸 3
翌日。
オーエンは真っ白な世界を歩いていた。
昨日、オーエンが帰宅する途中から降り始めた雪は、そのまま今朝まで降り続け、町全体を真っ白に染め上げた。
積雪はおよそ2センチほど。行き交う住民たちの話を聞くと、どうやら初雪だったらしい。まだ十一月だと言うのにこれとは、この先が思いやられる。
グランデ大陸に位置するアールメリア王国。ここはその最北端の有人街『シェード』。
位置や環境としては辺境だが、隣国のアザレア帝国との交易拠点として、大きな役目を担っていた。
だから街は活気に満ちていた。仕事をする商人や、買出しに来たであろう人々、じゃれあっている子供など様々な存在が所狭しと雪の上を歩いている。
オーエンもそのうちのひとりだった。ある目的のために歩いている。
当然、目的はデラックス・アソートメントだ。
現在時刻は午後二時半。デラックスの販売は午後三時手前辺りから開始されるので、この時間帯から店内を回遊していると入手率がぐんと上がる。
今日こそは高級茶菓子を入手しなければ。昨日の苦々しい記憶を燃やしながら、オーエンは雪道を進んでいた。
実のところ、かれこれ一週間は手にできていないのだ。いや、正確には昨日手に入れていたのだが、あれは味わえていないのでノーカウントだ。
菓子屋の前までやってきたオーエンは、そのまま店内へと足を踏み入れる。
凍えるような寒さの外と比べて、中は温かい。全身の寒気が引くようだった。
甘い香りが充満した店内を見回す。お目当てのデラックス・アソートメントはまだ売り出されていなかった。代わりにある人物を見つけた。背後から近づいて声をかける。
「よお」
「ん? あ、暴力色男じゃないか」
とんでもない呼び方でオーエンを呼んだのはロバート・パイエルスだ。
背丈はオーエンよりも少し高い180センチ。明るい茶髪が似合う、腹立たしい目鼻の整った顔で、女子受けがそこそこいい。まぁ、受けがいいのは顔だけが理由ではないのだが。性格もイケメンなのだ。いわゆる男の敵。世界平和を乱す、魔王みたいなやつだ。本当に腹立たしい。
そして、数少ないオーエンと対等に話すことができる存在である。
だから、オーエンの方から声を掛けたのだ。
「似合わねぇな、なんでこんなところにいるんだよ」
ロバートは、甘味好きのオーエンとは違い甘いのは嫌いだ。わざわざ菓子屋に来るなんてことは絶対にない。
「それ、そっくりそのままお返しするわ。カツアゲ相手にカツアゲカウンターを決めるやつは菓子屋に相応しいか?」
相応しいか? という問なのであれば、答えはノーだ。しかし、それよりも気になってしまうことがオーエンにはあった。
「なんでそのこと知ってるんだよ」
ロバートの言うカツアゲカウンターとは昨日の出来事のことだろう。あれは誰にも見られていないはずだ……まさかあのシスターが喋ったのだろうか。いや、それもなさそうだが可能性としては全然あり得る。
「そりゃ、お前がボコボコにした連中がそこいらをうろついてたからな。試しにとっ捕まえてみれば、そのことをぽろぽろと話したってわけ」
「あーあいつら性懲りもなくこの辺でカツアゲやってんのな」
それも昨日の今日だ、ほとぼりが冷めるという言葉を知らないのだろうか。
「といか、お前も相当だよな」
「なにが」
「どうせ、連中の話を聞くために、大小痛めつけたんだろ」
「ま、仕事だから」
ロバートは、この街で活動している自警団グラディウスの一員で、よく仕事の愚痴を聞かされている。見たところ今日は非番だろうに、仕事熱心なことだ。これもイケメンの秘訣なのだろうか。
負け惜しみとわかりながらも、オーエンはこのことを言わずにはいられなかった。
「暴力色男め」
「だな」
「否定しろよ、罪な奴め」
「本当は嘘にならないんだよ」
からっと笑いながらそう言ってのけた。これが嫌味にならないのがロバートの凄いところだ。
「で、ほんとになんでこんなとこにいるんだよ」
「妹がデラックスなんとかが食べたいって言っててさ、それでここまでやってきたってわけ」
「お前もデラックス・アソートメント狙いかよ」
「あーそれそれ。なに、お前もそれ買いに来たのかよ」
「そうだよ、だから今日は敵だな」
そんなことを話しているうちに、時間は過ぎていき。気が付けば商品棚にデラックスが並び始めていた。
店内は、デラックスを買いに来た客が長蛇の列を作り出している。オーエン達も遅れずそれに並ぶ。列に並んだ場所は、先頭から順番を数えるとおよそ十二番目。確実に購入できる射程圏内だ。
普段はこう上手くはいかないのだが、今日は雪の影響か、客の人数が少なく見えた。雪万歳だ。
順調に列は進み、難なくデラックスを手に入れたオーエンは、店の前で雪と戯れていた。
「なあロバート」
戦利品の箱を手に、オーエンがロバートに話しかける。
「んー?」
ロバートがオーエンの方へと視線を向けるが、目は合わない。オーエンの視線は足蹴にしている雪に突き刺さっている。
話しにくいことを話すとき、オーエンは相手の目を見ようとしない。いや、しなくなった。
ある時を境に、明確に相手の目から逃げるようになった。
そして、その暴力性に拍車が掛かったのも同じ時期だった。
そんな記憶を探っていたロバートのことなど知りもしないオーエンは、雪を踏みつぶしたあと口を開いた。
「シスターってどう思う?」
「っ⁈ ……どういうつもりだよ」
オーエンの口から飛び出た『シスター』という単語に、ロバートは驚きを隠せなかった。そして、一定の感情が流れた後でやってきた感情は、僅かな熱を持った苛立ちだった。
ロバートは自分がそんな熱を持っていることなど気づかなかった。
熱が声に乗って排出されたことで、ようやく自分でも気が付くほどの小さな感情の起伏。
しかし、付き合いの長いオーエンにとっては……自覚を持っているであろうオーエンにとっては察するに十分の熱だった。熱の原因となる事件を引き起こした張本人にとってはあまりにも十分すぎたのだ。
「ちげーよ。キレんな」
と、僅かな熱を放つロバートに対し、オーエンは随分と冷めていた。
視線は未だに合わない。
いつの間にか眉間に皺が出来ていたロバートは思い出した。そういえば、最初から話しにくいことを話すつもりだったのだ、と。
最初からこの程度の反感を得ることは承知の上でこの話題を振ってきたのだろう。
情報が足りなかったなと、オーエンは前置きし、話を再開した。
「血を求めるシスターってどう思う?」
「はあ? 吸血鬼か?」
「やっぱそうなるよな」
ここで気が付いた。
(あ、クソどうでもいい話だな)
時たまに、オーエンは意味深な振りをしてどうでもいい話をすることがある。
今回のこれがそうらしい。それにしても触れる話題を考えて欲しい、少し間違っていれば拳のひとつでも出ていただろう。
そんな別方向の怒りを抑え、ロバートはそのクソどうでもいい話題に乗ることにした。
「はぁー全く……血の方は兎も角だ、シスターなら決まってるだろ? なんせ救世主様だ」
「だよな」
ロバートの返答をある程度予想していた、というよりもそれ以外の認識を持ってなかったオーエンは素直に共感を示した。
この国のシスターという存在は少々特殊で、他宗教の修道女とは全くと言っていいほど違う。
まず、宗教に属する者というより、軍属としての意味合いが強い。
全ては十七年前に起こった『アールメリア内戦』にある。
アールメリア内戦。当時、共和国だったアールメリアと、国策に反発したアストラ星教との間で大規模な軍事衝突が発生した。
その際に、最初に星教サイドで立ち上がったのが、十余名からなるシスター達。通称『シスターレジスタンス』だ。
彼女らの活躍はまさに超逸絶塵ちょういつぜつじんと言えた。
一年間に及ぶ大戦の中、増え続ける敵や、彼女らに賛同する味方ですら敵う者は現れず、いつしか革命の象徴となっていった。
その時の名残で、今ではシスターは軍人しかなれない。アストラ星教に属する宗教的思想を持っていてもシスターを名乗るためには軍属になるしかないのだ。
「有翼の女神にケンカを売るな。今でもうちで言われてるくらいだから、当時からよっぽど影響があったんだろうな」
「有翼の女神?」
それは初耳だ。
「星教の信仰対象、アストラエアだろ。シスターレジスタンスのエンブレムになってんだよ」
当然だろ、といった顔でロバートがオーエンを見つめる。
「実際、えげつない強さだったしな。この前の合同訓練にはえらい目に遭った」
「え、あいつらってまだ健在なのかよ」
シスターレジスタンスについて様々な話を聞いたが、どの話でもまるで昔話の英雄様みたいに言っているからもうこの世にいないものだと、オーエンは思っていた。けれど、そんな話が出てくると言うことはまだこの世にいるらしい。
「シスターレジスタンスの生き残りは、大体『王国守護天使』になってて、王都防衛に携わってるぞ。王都じゃ、今でも王国守護天使のことをシスターレジスタンスって呼んでるんだぜ」
それからロバートは、ほとんど戦死してるらしいけどな、と付け足してきた。
平和な世の中に英雄は要らないと言うが、我が国の英雄様は良い落ち着きどころを見つけたらしい。
「で、なんでいきなりシスターなんだ?」
クソどうでもいい話題だが、なんの脈絡もないわけではないとロバートは知っていた。オーエンの中では何か引っかかる話題のはずだ。
わざわざロバートの逆鱗に触れるリスクを負っているのだ、なにか裏があるはず……。
「いや、世の中変な奴がいるんだなって」
オーエンはあからさまにはぐらかした。
多分、これ以上話を広げると避けられない話題があるのだろう。
ロバートを確実に激怒させる話題が――
「……ま、あんま変なことに首突っ込むなよ」
こちらも見えた地雷を踏みに行こうとはしない。適当に興味がないように濁して、やれやれと笑って見せた。
「んじゃ、妹も待ってるし、帰るわ」
店内の時計を窓越しに見ると、すでに時刻は四時を過ぎようとしていた。これ以上の外出は妹の怒りを買う。
「おう、美味しく食えよ」
オーエンは離れて行くロバートの背に軽く手を振って見送った。
その背からは甘いのは嫌いなんだ、と聞こえてきた。
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