残骸 2

 オーエンは、てっきりさっきのやつらが仲間でも呼んできたのかと思い、睨みつけながら顔を声の方へと向けた。しかし誰もいない。男たちが逃げ去った表の方を見ても、平和そうな喧騒が聞こえてくるばかりで誰もいなかった。


 オーエンは困惑から顔をしかめた。眉間の皺が深まる。


 きょろきょろと確かめるように見まわしていると、再度声が掛かった。


「ふふ、こっち」

「なっ……」


 今度はすぐ下からだ。女の声。人を子馬鹿にしたような甘ったるい声がする。


 元から虫の居所が良くなかったオーエンは、険しい目つきのまま声の主を視界に入れた。


 だが、その睨みを向けた先に居た存在に、オーエンの困惑はさらに大きなものへと膨れ上がった。


「どうも、良い午後をお楽しみのようで」


 そこにいたのは、いや……座り込んでいたのはシスターだった。


 見れば可憐な少女だ。色素の薄い肌と、灰色の髪。そして対照的に真っ黒なシスター服。慈母のように微笑んだ瞳は紫色に輝いており、三日月のように湾曲していた。


 儚くも妖しい。妖艶とも言えるその姿。だが、シスター服はどこか小汚い、ぼろぼろだ。彼女の表情からはかなり浮いていた。


 あまりにも不自然な存在に、オーエンは反射的に半歩後ろに下がっていた。


「お前……いつから」


 困惑に満ちた頭を振り払って出たのはそんな言葉。


 オーエンには分からなかった。いつから、本当にいつからいた?


 カツアゲ共に連れ込まれた時、オーエンはこの路地裏には誰もいないことを確認していた。それはカツアゲ達も同じだろう。やましいことをする以上、目撃者なんていない方がいいに決まってる。


 ここは袋小路だ、建物の裏口とか窓もない。カツアゲのふたりをオーエンがぼこぼこにしている間も、三人目を飛ばせている間も、表からこちらに来る人間を見ていない。


 表の通り以外から、アクセスできないはずなのに。一体このシスターはどこから湧いて出たのか。


「ふふふっ」


 不気味なシスターは笑うばかりで、オーエンの質問に答えるような素振りは見せない。


 よく見ると、変なエンブレムが描かれた腕章をつけている。変な腕章に、このぼろぼろに汚れたシスター服。どれも普通のシスターからはかけ離れた印象だ。


 困惑を深めさせるシスターは、ひとしきり笑い終えるとゆっくり口を歪ませた。


「いたよ、ずっと」


 ここにいた、と宣言するシスター。


 しかしながら、オーエンはその答えに納得できなかった。当然だ、いなかったのだから。


「は? ありえねぇよ、誰もいないのは確認してたぞ」


 オーエンから見て、このシスターは明らかに今現れた。でなければオーエンは重度の記憶障害か、自身の足元にいる気配にすら気づかない間抜けだ。


 そんなオーエンの思いを他所に、シスターは続ける。


「かもしれないけど、私はいた。ずっと、ずっと……」


 発した声は意味深で、それでいて静か、かつ甘い。まるで溶けた飴のような声だ。


「なにが――」


 我慢の限界だったオーエンは、文句のひとつでも言ってやろうと思い、そのために口を開いた。その瞬間だった。シスターがぐいっと身を乗り出してきたのだ。オーエンの顔をのぞき込んでくる。アメジストのように綺麗な双眸がじっとオーエンを見つめた。


 オーエンは情けない声を出しそうになるのを寸での所でこらえたようだった。その証拠に、息を飲む音だけが聞こえた。


 少女の方はそうもいかないようで、身を乗り出した勢いのまま、オーエンの足にすがりつこうとしていた。それには残念ながらこらえようもなかったのか、オーエンは得体のしれない恐怖存在から逃げるように更に後ろへと下がってしまう。


 支えの失ったシスターはそのまま地面へと倒れこんでしまう。それでも自身の行動に揺らぎは無いらしく、次の手段を講じてきた。


「君にちょっとした頼みがあるんだけれど、聞いてくれる?」

「……なんだよ」

「お恵みをくれないかな?」


 まるで祈りを捧げるかのように両手の指を絡めると、そのまま自分の胸の前に持ってくる。とても自然な動作。流石シスター、随分慣れているらしい。


 だが、そこまでされてもオーエンの疑問も困惑も深まるだけだった。彼女の頼みはおかしなものだからだ。そういう恵みやらなんやらは普通、教会がかわいそうな連中に向けてするものだからだ。教会の一員であるシスター自身が一般人に恵みを求めるのはおかしい。


「ダメだろうか」


 いいか、ダメかと聞かれると、答えはダメである。


 それに、本当に彼女が言う通りこの場にずっといたとするなら、先ほどのどちらがカツアゲ犯か分からないやり取りを見ていたはずなのだ。


 一連の流れを見ていれば、オーエンが相当の暴力野郎であるのは明白のはず。というかそう見えるに違いないのだ、その上で恵みを求めてきているならこのシスターはどこかおかしい。


 一体、どういう神経をしているのか。


 オーエンは自身の疑問を少しでも減らすために、シスターとの対話を始めた。


「アストラ教のシスターか?」


 アストラ教。別名アストラ星教とも呼ばれるそれは、ここアールメリア王国の国教とされている。


 この質問はするまでもなく分かっていたが、どこかおかしいこのシスター。他国の異教徒である可能性も十分あったので、オーエンは愚問と分かりながらも、あえて質問した。あとは自身を落ち着かせるためでもあった。先ほどから怒りだの困惑だのと感情を揺さぶられすぎている。


「うん」


 すがるような声、そして顔だった。


「なら教会に行けよ」


 徐々に落ち着いてきた頭。言葉も現実味を帯び、冷めたものになってきた。


 何も間違ってはいない。本当にアストラ教のシスターで、本当に助けを求めているのなら教会に行けばいい。身内のシスターを放っておくような宗教ではない。


 現実的かつ、効果的な手段を提示されたシスターはどこかばつの悪そうな顔をした。


「それは……」


 視線を地面や左右に泳がせる。なにか訳ありな風に見える。


「それは、できない」


 時間にしておよそ三秒ほどの沈黙の後、彼女は静かに言った。


「……」


 祈りを捧げるような姿勢のままで固まってしまう。


 オーエンはというと、こちらはこちらでばつの悪い感覚に陥る。なにせ、状況的にシスターに祈りを捧げられているように見えるからだ。オーエン本人の認識では、自分は祈りを捧げられるような高尚な人間ではないと認識していたから。シスターにその気はなくても居心地のいいものとは到底違う。


 大きなため息を吐きながら、ポケットを漁るオーエン。


「……ほら」


 ポケットから投げ出したのはさっきの連中から回収した幾ばくかの小銭。それが地面へと散らばる。丁度、シスターが見つめているあたりに銅と銀の硬貨が転がった。


「そんだけありゃパンくらい帰るだろ」


 ゆっくりと頭を持ち上げ、再び降ろす。シスターはその動作を何度か繰り返した。繰り返す度に、アメジスト色の瞳に光が灯っていくように見えた。


 感極まったのか、シスターは口をパクパクとさせて声にならない言葉をどうにか紡ごうとした。


「あ、あの」


 シスターの声がようやく聞こえる。だが、続けようとしたシスターの言葉をオーエンは遮った。


「だから、さっきの暴力沙汰は黙っとけ、誰にも言うな」


 繰り返すが、オーエンは自分のことを高尚な人間ではないと思っている。これもそうだ、決して施しなどではない。


 これはただの口止め料だ。施しや恵みなんてものはオーエンの仕事ではない。そんなご高尚なことはどこかの救世主にでも頼めばいい


 それだけ言うと、オーエンはその場を去ろうとした。


 だが、


「あのっ!」


 今度はシスターの方がオーエンの行動を遮ってきた。


 オーエンとしては別に無視してその場を後にしても良かったのだが、見た目の儚い印象とは違い、やけによく通る声だった。


 少々驚いてしまう。無意識的に表通りへと向かうオーエンの足が止まった。


「なんだよ」

「……」


 一体何の用なのか、感謝でも言いたいのだろうか。いや、そんな様子でもなさげだ。なんというか、もっと言いにくいことを言おうとしている感じ。言うべきかどうか、葛藤しているようだ。


「ち……」


 聞こえた声は、先ほどの声と比べるまでもなく歯切れが悪い。それでいて小さな声。


「ち?」


 今更聞こえなかったふりは通じないだろうと判断したオーエンは素直に聞き返すことにした。


 聞き返したことを後悔することになるのだが……。


 この不気味なシスターがもったいぶって放った言葉は、とても衝撃的かつ狂気的だったのだ。


「血を……貰えないだろうか」


 その内容を理解するのに、オーエンはいくらかの時間を要した。


 なるほど。ち、チ、地……血? ふと思い立ち、カツアゲを殴ったせいで痛む、自身の右手を見つめた。擦りむいている。傷口から赤い液体が滲んでいた。


「……はぁ?! 血って血か?」


 理解した瞬間、オーエンは全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。背筋がぞわぞわする。あまりにも異質な要求に、鳥肌が立った。


 対して、シスターの方は淡々としていた。自らの要求を復唱できるほどに。


「そう、血。必要なんだ」

「おのれは吸血鬼か?」


 でなければただのイカレだ。


 血が欲しいだって? 病院にでも行け。二重の意味で。


「違う、吸血鬼なんて、そんなのじゃない」


 シスターは違うと首を左右に振るが、どう考えても吸血鬼だ。


 大体、血なんて何に使うのだろうか。飲んだり、浸かったり、あとは魔法の触媒とかだろうか。


 まずは飲む。吸血鬼とするなら第一候補だ。だが、自称吸血鬼ではないらしい。


 次点で浸かる。これはどこぞのお偉いさまが処女の血が美容に効くとかなんとかいって、血の風呂に浸かったらしい。このシスターはまず見た目からお偉いさまではないので、まぁ違うだろう。


 最後に、魔法触媒。これが一番ありえそうだ。というかこれしかありえない。だが、血を使う魔法なんて闇に葬られている魔女が使うものだ、よって聖職者であるシスターには対極的な魔法のはず。


 つまり、なんにも分からない。


 一体何に使うのだろうか。


 こうなってくると、そのシスター的な装いが一気にうさん臭くなってくる。実はシスターを装った魔女なんじゃなかろうか。


 であれば、こんな怪しげな存在に付き合う義理はない。


「もういい、金はやったからな。あとは知らん。血はそこいらに飛び散ってる」


 男たちを殴っている時の血しぶきが建物の壁に付着している。血が欲しいならそれを使えばいい。


 もう、こんな不気味な存在に関わりたくないオーエンは、そそくさと表の通りへと足を向けた。


 その後ろから、


「待って、お願い待って、待ってよ……まって、おねがいだ」


 と、シスターの悲痛な声が聞こえてきたが、華麗に無視。オーエンは袋小路の出口へと向かう。


「まっ……て」


 やがて望み薄と理解したのか、声も尻すぼみになっていった。


 通りが近づくにつれ、背後の不気味な気配が薄まる。平和な喧騒と共に安心感をオーエンに与えた。


 表へ出ると大きくため息をするオーエン。地面を蹴りつけるようにし、苛立ちを吐き捨てた。


「あーくそ、菓子はぶっ潰されるし、変な女に絡まれるし。今日は厄日だ」


 と、その日も終わらぬうちに、オーエンは今日を厄日を決めつけた。



 多分、この日がオーエンにとって――



 最後の平和な一日だったのに……。

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