川端康成と三島由紀夫
梅崎幸吉
第1話
川端康成と三島由紀夫
(前略) ――「佛界易入魔界難入」。川端康成は好んでこの言葉を書いた。彼も自己認識の果てに無常なる意識に至り、人生を観じ、その中にあっていかに己が身を処すべきか? どう在るべきかと自らに問い続け、あらゆる雑多な、多様な実生活のなかで自己のバラバラになった魂をもって、それこそ日常に生きているあらゆる人々の魂を描こうと、溶け込もうと、現そうと常に努力した、し続けた人である。三島由紀夫の言葉を借りれば「永遠の旅人」として存在していた。川端康成の意識は他者の魂から他者の魂へと、平凡、非凡を問わず、自らを魂から魂へとさすらうジプシーのごとき魂、「空間自体」と化した。
三島由紀夫は言う。「氏の感受性はそこで一つの力になったのだが、この力はそのまま大きな無力感でもあるような力だった。何故なら強大な知力は世界を再構成するが、感受性は強大になればなるほど、世界の混沌を自分の裡に受容しなければならなくなるからだ。これが氏の受難の形式だった。」と、さらに「かうして川端さんは、他人を放任する前に、自分を放任することが、人生の極意だと気づかれた。その代り他人の世界の論理的法則が自分の中へしみ込んで来ないように警戒すること。しかしその外側では、他人の世界の法則に楽々と附き合ってゆくこと。」と。
だが「戦争」という事件を通して川端康成の魂の裡にはある変化が生じていた。三島由紀夫は自分の師でもある川端康成の秘かに動いた内的意識の変化を見のがしてはいぬ。
「戦争がおはったとき、氏は次のような意味の言葉を言はれた。『私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい』――これは一管の笛のなげきのやうに聴かれて、私の胸を搏った。」
――師の名状し難い「痛み」が弟子の三島の眠っていた「実行家の精神」に火をつけた、――その種子がどのような形となるか、川端も三島自身もこの時点では予想だにしなかったであろう。(後略)
拙著「小林秀雄論」より抜粋
川端康成と三島由紀夫 梅崎幸吉 @koukichi-umezaki
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