弑逆と清拭

秋錆 融華

シイギャク ト セイシキ


 絶望が立ち塞がっている。一縷の希望を幾千幾万人分束ねた槍────殺到する未来への渇望────を絶ち砕く折伏しゃくぶくの門番。


たおせましたか?」


 何が可笑しくてその薄ら笑いを始終面に貼り付けているのか。俺には理解できないし、したくもない。


 楽園機関ヴァルハラ・エンジン第十座、神無月鞘迦サヤカ・カンナヅキ。それが俺の眼前に立つ絶望が冠する名。顔の半分は焼け爛れ、炭化して黒と赤がグロテスクに混じる。残り半分は抉り飛ばされて向こう側の景色が見える。傷口からは骨が覗き、凡そ生命活動を続ける事は不可能な筈の損壊。


「尤も……斃し、屠り、殺め、ころした所で、それでもわたしは潰えませんが」


 じゅうじゅうと、切断面にこびり付いた血が沸き立つ。数多の生命を食らった者の肉が焦げる香は、雑食獣の屍肉を炉に放り込むと同義。食肉とは一線を画し、お世辞にも馥郁ふくいくなどと呼べるものではない。目に染みる灰を巻き上げながら立ち昇る煙と、立ち込める悪臭。まさしく戦場に相応しい地獄を鼻腔に齎した。


「第十座の統括は『死生』……殺しても生まれ変わる、理外の化物め!!」

「……違いますよ?『第十座わたし』も含めて、この世の全ては法理ルールうちにある」


 焼け爛れた喉からしわがれた声が響き、神無月の笑まいに極僅かなきずが入る。不興を買った所で、追従ついしょうを試みた所で、結果同じ屍が積み上がる。ならばせめて隙が出来る可能性が高い方に賭けよう。零和なら相手の嫌がる事をするのは最善手だ。


「扠。時間は稼げましたか?」


 余裕の披見アピール。すなわち余裕が削がれた裏返し。案外にぐらついたと見える。


「十二分にな」


 左手に握り込まれた、愚かしい程に虚ろな顎門あぎとを開けた銃。ほうけたうろに詰まった火薬と有丈ありったけの殺意。60口径は最早携行銃から大きく逸脱し、軽火砲に足を突っ込んでいると言って差し支えない威力。


 プファイファー=ツェリスカ。回転式弾倉シリンダーには「神屠りの神」と謳われたヴァレリウス帝の遺した聖剣エクセリオンを鋳熔かして作った弾丸が六連装、左右都合十二発装填されている。黒い銃身には白の斜字体イタリックで「この剣を振るう者、一切の絶望を捨てよ」の彫刻エングレービング


 肥えて実の裂けた柘榴のような、神無月の治りかけの口腔。その傷口から心臓に向かって銃口を捩じ込んで発射。反動で肩関節が脱臼するのも構わず釣瓶打ちに撃ち続けた。一発毎に身は震盪しんとうし、五発を数える頃には貫通して四囲におびただしい血と臓器を撒き散らしていた。痛みと恐怖と爆音と殺意とを掻き混ぜて脳髄に叩き込まれる熱狂トリガーハッピー


 一頻りの銃声と騒乱が去り、灰色の空を見上げる。耳に痛い程の静寂を通り抜け頬を涼しく撫ぜる秋風。疲れ果てた身体は膝を付き、今にも地に伏せようとしている。勝者のみに許された油断と安心。


「これで……終いか」


 神無月鞘迦は、その機能を停止……


「無駄。無智。無為。無益。無用。無策。無能。無理。無効。一切無礙むげ


……していない。


「総て、斉しく意味が無い」


 声の主の所在も判らない。眼前の肉塊群には最早声帯と呼べる部位が跡形も残っていない。どこからこの声が?


 グシャリと、厭な音がする。


「抵抗────御苦労様」


 背後から耳許に声。


 痛みなく両腕を千切られた。否、押し拉ぎ圧し潰された。切断よりも暴力的。地に倒れ伏し、両腕は骨ごと真っ平らに圧潰して血の海に浸されている。


「お逝きなさい、安らかに」


 拒む為に全身に入れた力が、爪先から地面を伝って逃げていく。俺が、零れていく。神に抗するだけの益体も無い人生が今、まさに潰えようとしている。それでも不思議と悔しさは無かった。何もかもを出し切っても届かなかった。俺の命を絞り切っても殺し切れなかった。


「ねぇ、兄さん」


 走馬灯に妹の姿。木漏れ日に耀く清らかなブルネット。清々楚々、白いワンピースが揺れる。美化してもし足りない記憶の中の風景。


「どうしたの?顔色悪いよ……」

「いや……少し、思い出しただけだ」


 そして、何を以ても記憶から拭い去り得ない死に際の顔。涙と笑顔、鬼哭きこく怨嗟えんさ。俺の世界の全てを担保していた唯一人の妹。彼女を喪った哀しみを、空虚を、怒りを、怨みを、今日まで復讐で満たしてきた。


「兄さん、もう休んで?すごく疲れてる」

「いや、あと少しで、あと少しなんだ……手が掛かるまで」

「もう十分頑張ったよ!」

「だが俺は、まだあいつを」

「ねぇ……」


 手を握られた。既に潰されて無い筈の手を、武骨でちぬられてけがれた俺の手を、優しく柔い両手の温もりで包みこんでくる。争いや闘いを知らぬ平和の手。


「これ以上、兄さんが傷付く所は見たくないの……」


 そうか……


 俺は……


 がんばったんだな……


「くはははっ!韜晦とうかいかな?わらわせるなよ!」

「誰……だ……?」

「誰?か。そうだね、少年を嘲笑いに来た、唯の物好きだよ」

「他人の走馬灯に割って入り込んで来るとは、随分無粋じゃないか?」


 朦朧とした意識が少しずつクリアになる。


「走馬灯?違うなぁ少年。それは違う」

「……」

「薄々気付いてるね、わざと見ない振りをしているだけだよ」


 そら優しい声音で諭される。それが却って恐ろしく、毒沼に顔を沈められているように感じた。


「何が言いたい……?」

「甘えだよ。少年が見てるそれは」

「甘え……だと?」

「言わせるなよ、醒めるじゃないか。ほら、そんなに苦い顔をして。もう判っている顔だろう?」

「黙れっ!!」

「厭だ。と言ったら?キミの最愛の妹の前で私を殺してみるかい?その汚れ切った手でさ」


 毒気を帯びた紫のもやが、一つの像を結びながらこちらに歩み寄ってくる。

 扇情的で露出の多い服を着た女。旗袍チーパオ然とした身体に張り付く衣装。背中は骨盤の少し上までV字にカットされ、左右の肩甲骨の上を渡る黒い糸が幾つも交錯して布を繋ぎ止める。紫がかった光沢を放つ薄手の黒地に黄金の龍。右脚下部から昇り、背中を巻いて胸元へと駆け上がり肩口でおとがいを開く。鱗一つ一つが浮き出て見える豪奢な錦繍。腰上まで届く左右のスリットから覗く雪膚せっぷは秘めやかさ故に眩しく婀娜あだめいて、対蹠たいせき的に顔や肢体には幼さが残る。湛えられた笑みは神無月の微笑とは違う、明確に相手を嘲弄ちょうろうする表情。口は三日月状に薄く開き、両口角が歪に釣り上がっている。妖しげな光を爛々と宿す紅い双眸は挑発するようにこちらを見据えている。


「ほぉら、これで少年の間合いだ」


細い人差し指で自分の喉元を真一文字に横薙ぐ。


「ひと息に殺してしまえよ、こんな阿婆擦れ風情」


 妹の手が……離せない。一度喪ってからずっと不可逆だった喪失感が、心が、今は満たされているから。これがコイツの言う『甘え』なのか……


「くっ……!」

「くははははっ!」


 哄笑こうしょう。耳障りな甲高い笑い声が響く。


「はぁ、笑い過ぎて疲れたよ……扠、と」


 パンっ、と幼女が手を叩くと目の前に大仰な剣が顕われた。暗澹あんたんの四囲から結像した、血と骨と漆黒の化合物。


「余興は此処までだ。少年、一つ訊こう。私と手を組まないか?キミが私と組めば神を弑(ころ)せる」

「……対価は?」

「果てしない復讐の愉悦と、甘ったれたキミが創り出した生温い過去への憧憬との永訣」


 少女は冷ややかな眼で思い出の中の妹を見つめていたが、やがて目線を切ると、鞘を握って剣の柄を差し出す。見目の幼さには不似合いな恭しい挙措きょそは従属を思わせた。


「全てはキミの御心の侭だ」

「お前は……何者だ?」


 改めて研ぎ澄ました、抜き身の視線で少女を刺す。既にからの両手、愛おしい幻覚の体温は去ってしまっている。


都合の良い女神デウス・エクス・マキナとでもしておこうかな。洒落た名前だろう?くははは」

デウス……か」


 瞑目。数瞬の後、鞘から抜かれた剣が少女の喉を刺し貫いた。乾いた笑い声が血で湿り、細い喉からはあぶくが零れる。


「は、は……がふっ……こっ」

「俺の前で神を名乗る奴は、何であろうと、誰であろうと敵だ。一人残らず屠り尽くしてやる」


 剣によって暗澹の空中に括り付けられた女の死体。力なく投げ出された四肢から鮮血が滴り落ちる。白と赤と黒と金。凄絶を極め、前衛芸術然とした悪夢的な光景。


「ごーかく♡」


 死体が奇矯な律動で翻筋斗打っている。死後硬直とは違う、死戦期呼吸紛いの不愉快な痙攣けいれん


「それでいい。私は神を弑逆しいぎゃくするための武器、兵器、兵装、装置、何でもいい」

「なに……言ってんだ?」

「キミは選ばれたんだ。私がキミの手となり、力となろう。神をも弑逆ころせる、矛となろう。私は主を選ぶ武器、神器しんきマキナだよ」


 目が覚めた。さすがの神無月もこれには動揺したと見える。今まさに殺したはずの人間が、目の前に五体満足で立っている。無論、俺も驚いた。


「これが……」


 失ったはずの両手に握られた剣は軽く、鋭く、疾く、一直線に敵の頭蓋へと捧げるように差し出される。切断ではなく、刺突。


 ズシャリと、難なく神無月のなずきへと差し込まれた。


「神は避けない、死なないからね。でも、神同士の力なら?」


 マキナの思念が頭に流入する。本来なら有り得ない理外同士の激突。


「治ら……ない?」


 神は死んだ、こんなにもあっけなく。錆び付いた危機感を呼び起こす暇さえ無く、神無月鞘迦は死生の機関としての機能を停止した。


「くはははは!どうかな?私の力を遣った感想は!」

「こんなに……こんなあっさり、殺せるのか?」

「所詮神無月だろう?神の中でも末席中の末席じゃないか。この程度、屠ることは容易いさ。私の狙いはコイツじゃない……もっともっと上だよ」

「……対価か?」

「鋭いね。まぁ私の一部と同化してるんだから、当たり前か。そうだよ、私にも殺したい神がいる。だからキミも協力して」

「待てよ!誰が神の言いなり、なん……かに……」


 その場にバタリと倒れ込む。


「じゃあ、もう要らないや。次のを探そう。そうだな〜、キミの妹とか。お兄さんを護るために協力して欲しいって言えば喜んで墓から出て来るんじゃ」

「悪かった!俺の身体なら好きにして良い……頼む、アイツだけは!!」

「くははっ、冗談だよ。もう遅い」

「何っ!?」

「キミが拒む拒まざるに関わらず、神たちは我々の命を狙いに来る。死生の機能が停止した以上、現世も冥府も大混乱だ!ざまぁないね!」


「つまり、キミの妹も?」

「生き……返るっ!!」


 その時、突如辺りの血痕の水面が波打ち、一箇所に集い、不格好な肉塊が脈打ち始めた。


「斃さ、さ、ささsrrrrれた?ここkkk、この私が……?」


 神は死を認識しない。勝敗の概念は神同士の序列を作るためにも存在するが、敗北しても神は死ぬことが無い。故の慢心を突いた。


 一生に一度だけの好機。


「ざぁ~んねぇん!!」


 掴み損ねた、たった一度の好機。

 スゥと、神無月が大きく息を吸い込む音。


「人間風情がぁぁぁぁ!」


 怒声が空気を揺らす。思考を支配する本能的な恐怖。


「いひひっ!絶対許さねぇから……お前はぁ〜、惨ッ!殺ッ!けって〜い♡」


 余裕の鎧を剥いだ奥の神性ディヴィニティ。これが、これこそが、神無月の本性。


「通るね。今なら」


 夢の中と同じ、底意地の悪い笑みを見せる女神。


「あー、あー。テステス。キミにも聴こえてる?出来損ないの亜神デミゴッドちゃん」

「この声は……マキナ!?死んだはずだ!!神々から追放されたお前は!私が!この手で!殺したはずなんだッ!!」


 錯乱或いは狂乱。神無月が揺らいでいる。


「ん、元気そうで良かった。いきなりで悪いんだけどさ……」


 握っていた剣がすっぽ抜けて飛んでいった。デウス・エクス・マキナ、超解決によって終幕を導く機械仕掛けの女神。この悲劇の結末は


「死んでもらおうかな、って」


 貫通。神無月の両手ごと心臓を一刺し。


「がフッ……ま、マキナァァァ!」

「くははっ!私に勝てる訳がないだろう?名にし負わば『神』では『無』いんだからさ、お前」


 叫喚。のたうつ人型の肉が細切れに刻まれていく。人間の意志など介在しない、酸鼻などものともしないが神無月を圧倒する。


「マァァキィナァァ……つかまえたぁ〜♡」


 否。マキナが囚えられた。ドロドロに溶けた手のような部位に挟み込まれ、肉の波に呑み込まれた。


「カンナ、覚えていますか?貴女が先程何と言ったのか」


 慈母然とした声を出すマキナ。先程俺にそうしたように、舞台の上で踊る人形に劇の行く末を伝えるように。


「な、何を……言って……」

「無駄。無智。無為。無益。無用。無策。無能。無理。無効。一切無礙……」


「そして」

『総て、斉しく意味が無い』


二柱の声が揃う。かたや嘲笑、かたや絶望の色。声音を真似たのは何の意趣返しか。


「よくできました♡」


 肉塊が突如内部から爆発した。血と肉と骸の雨の中、楽しそうに夢の中の少女が踊り出る。


「な、なんだ!?何が起きてるんだ!?」


 マキナが手を離れてから崩れ解けたはずの仮初の腕が、神無月の残骸によって再構成されていく。そして、両腕とも元通りになった。


「キミには感謝してるよ。キミのおかげでカンナを弑せたし、依代カラダを取り戻せた」

「死ん……だ、のか?」

「ああ。ね。ところで」


 後ろ手に隠し持っていた神無月の大腿骨を振り回しての一撃、顳顬に命中。マキナは避けなかった、恐らく襲われる事を知っていた上で。


「キミは……私も弑すのかな?」

「無論だ」

「キミのその殺意きもちは大好きだけれど同じ敵を狙う者同士だ。私を利用し尽くして搾り尽くしてから……と言うのはダメかな?」


 マキナの頭は半分程潰れている。けれど蠱惑こわく的な表情で、構わず喋り続ける。気色の悪い光景、神無月の再現リプレイ


「ダメだ、理由は三つ。お前に情が湧く、土壇場で逃げられる、裏切って神と通じる可能性がある、だ。俺の復讐に仲間も同輩も必要無い」

「自分の感情さえも敗因に組み込んでるんだ、いやぁ〜偉いねキミは。よく人間を理解しているよ。でも……まだ、足りないな」


 文字通り、視界から消えた。認識外の速度。神無月の再現リプレイ


「お返し♡」


 頭蓋に衝撃。意識消失ブラックアウト


神様わたしたちはね、人間キミたちとの約束なんて守らないんだよ」


 俺の身体は何の抵抗もなく膝を付き、地に倒れ込んだ。


「だから利用して、利用されよう?相手が嫌がる事を進んでするのが、零和の最善手なんだからさ」


 秋空は高く蒼く、晴れ渡っていた。

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弑逆と清拭 秋錆 融華 @Qrulogy_who_ring

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