弑逆と清拭
秋錆 融華
シイギャク ト セイシキ
絶望が立ち塞がっている。一縷の希望を幾千幾万人分束ねた槍────殺到する未来への渇望────を絶ち砕く
「
何が可笑しくてその薄ら笑いを始終面に貼り付けているのか。俺には理解できないし、したくもない。
「尤も……斃し、屠り、殺め、
じゅうじゅうと、切断面にこびり付いた血が沸き立つ。数多の生命を食らった者の肉が焦げる香は、雑食獣の屍肉を炉に放り込むと同義。食肉とは一線を画し、お世辞にも
「第十座の統括は『死生』……殺しても生まれ変わる、理外の化物め!!」
「……違いますよ?『
焼け爛れた喉から
「扠。時間は稼げましたか?」
余裕の
「十二分にな」
左手に握り込まれた、愚かしい程に虚ろな
プファイファー=ツェリスカ。
肥えて実の裂けた柘榴のような、神無月の治りかけの口腔。その傷口から心臓に向かって銃口を捩じ込んで発射。反動で肩関節が脱臼するのも構わず釣瓶打ちに撃ち続けた。一発毎に身は
一頻りの銃声と騒乱が去り、灰色の空を見上げる。耳に痛い程の静寂を通り抜け頬を涼しく撫ぜる秋風。疲れ果てた身体は膝を付き、今にも地に伏せようとしている。勝者のみに許された油断と安心。
「これで……終いか」
神無月鞘迦は、その機能を停止……
「無駄。無智。無為。無益。無用。無策。無能。無理。無効。一切
……していない。
「総て、斉しく意味が無い」
声の主の所在も判らない。眼前の肉塊群には最早声帯と呼べる部位が跡形も残っていない。どこからこの声が?
グシャリと、厭な音がする。
「抵抗────御苦労様」
背後から耳許に声。
痛みなく両腕を千切られた。否、押し拉ぎ圧し潰された。切断よりも暴力的。地に倒れ伏し、両腕は骨ごと真っ平らに圧潰して血の海に浸されている。
「お逝きなさい、安らかに」
拒む為に全身に入れた力が、爪先から地面を伝って逃げていく。俺が、零れていく。神に抗するだけの益体も無い人生が今、まさに潰えようとしている。それでも不思議と悔しさは無かった。何もかもを出し切っても届かなかった。俺の命を絞り切っても殺し切れなかった。
「ねぇ、兄さん」
走馬灯に妹の姿。木漏れ日に耀く清らかなブルネット。清々楚々、白いワンピースが揺れる。美化してもし足りない記憶の中の風景。
「どうしたの?顔色悪いよ……」
「いや……少し、思い出しただけだ」
そして、何を以ても記憶から拭い去り得ない死に際の顔。涙と笑顔、
「兄さん、もう休んで?すごく疲れてる」
「いや、あと少しで、あと少しなんだ……手が掛かるまで」
「もう十分頑張ったよ!」
「だが俺は、まだあいつを」
「ねぇ……」
手を握られた。既に潰されて無い筈の手を、武骨で
「これ以上、兄さんが傷付く所は見たくないの……」
そうか……
俺は……
がんばったんだな……
「くはははっ!
「誰……だ……?」
「誰?か。そうだね、少年を嘲笑いに来た、唯の物好きだよ」
「他人の走馬灯に割って入り込んで来るとは、随分無粋じゃないか?」
朦朧とした意識が少しずつクリアになる。
「走馬灯?違うなぁ少年。それは違う」
「……」
「薄々気付いてるね、
そら優しい声音で諭される。それが却って恐ろしく、毒沼に顔を沈められているように感じた。
「何が言いたい……?」
「甘えだよ。少年が見てるそれは」
「甘え……だと?」
「言わせるなよ、醒めるじゃないか。ほら、そんなに苦い顔をして。もう判っている顔だろう?」
「黙れっ!!」
「厭だ。と言ったら?キミの最愛の妹の前で私を殺してみるかい?その汚れ切った手でさ」
毒気を帯びた紫の
扇情的で露出の多い服を着た女。
「ほぉら、これで少年の間合いだ」
細い人差し指で自分の喉元を真一文字に横薙ぐ。
「ひと息に殺してしまえよ、こんな阿婆擦れ風情」
妹の手が……離せない。一度喪ってからずっと不可逆だった喪失感が、心が、今は満たされているから。これがコイツの言う『甘え』なのか……
「くっ……!」
「くははははっ!」
「はぁ、笑い過ぎて疲れたよ……扠、と」
パンっ、と幼女が手を叩くと目の前に大仰な剣が顕われた。
「余興は此処までだ。少年、一つ訊こう。私と手を組まないか?キミが私と組めば神を弑(ころ)せる」
「……対価は?」
「果てしない復讐の愉悦と、甘ったれたキミが創り出した生温い過去への憧憬との永訣」
少女は冷ややかな眼で思い出の中の妹を見つめていたが、やがて目線を切ると、鞘を握って剣の柄を差し出す。見目の幼さには不似合いな恭しい
「全てはキミの御心の侭だ」
「お前は……何者だ?」
改めて研ぎ澄ました、抜き身の視線で少女を刺す。既に
「
「
瞑目。数瞬の後、鞘から抜かれた剣が少女の喉を刺し貫いた。乾いた笑い声が血で湿り、細い喉からは
「は、は……がふっ……こっ」
「俺の前で神を名乗る奴は、何であろうと、誰であろうと敵だ。一人残らず屠り尽くしてやる」
剣によって暗澹の空中に括り付けられた女の死体。力なく投げ出された四肢から鮮血が滴り落ちる。白と赤と黒と金。凄絶を極め、前衛芸術然とした悪夢的な光景。
「ごーかく♡」
死体が奇矯な律動で翻筋斗打っている。死後硬直とは違う、死戦期呼吸紛いの不愉快な
「それでいい。私は神を
「なに……言ってんだ?」
「キミは選ばれたんだ。私がキミの手となり、力となろう。神をも
目が覚めた。さすがの神無月もこれには動揺したと見える。今まさに殺したはずの人間が、目の前に五体満足で立っている。無論、俺も驚いた。
「これが……」
失ったはずの両手に握られた剣は軽く、鋭く、疾く、一直線に敵の頭蓋へと捧げるように差し出される。切断ではなく、刺突。
ズシャリと、難なく神無月の
「神は避けない、死なないからね。でも、神同士の力なら?」
マキナの思念が頭に流入する。本来なら有り得ない理外同士の激突。
「治ら……ない?」
神は死んだ、こんなにもあっけなく。錆び付いた危機感を呼び起こす暇さえ無く、神無月鞘迦は死生の機関としての機能を停止した。
「くはははは!どうかな?私の力を遣った感想は!」
「こんなに……こんなあっさり、殺せるのか?」
「所詮神無月だろう?神の中でも末席中の末席じゃないか。この程度、屠ることは容易いさ。私の狙いはコイツじゃない……もっともっと上だよ」
「……対価か?」
「鋭いね。まぁ私の一部と同化してるんだから、当たり前か。そうだよ、私にも殺したい神がいる。だからキミも協力して」
「待てよ!誰が神の言いなり、なん……かに……」
その場にバタリと倒れ込む。
「じゃあ、もう要らないや。次の
「悪かった!俺の身体なら好きにして良い……頼む、アイツだけは!!」
「くははっ、冗談だよ。もう遅い」
「何っ!?」
「キミが拒む拒まざるに関わらず、神たちは我々の命を狙いに来る。死生の機能が停止した以上、現世も冥府も大混乱だ!ざまぁないね!」
「つまり、キミの妹も?」
「生き……返るっ!!」
その時、突如辺りの血痕の水面が波打ち、一箇所に集い、不格好な肉塊が脈打ち始めた。
「斃さ、さ、ささsrrrrれた?ここkkk、この私が……?」
神は死を認識しない。勝敗の概念は神同士の序列を作るためにも存在するが、敗北しても神は死ぬことが無い。故の慢心を突いた。
一生に一度だけの好機。
「ざぁ~んねぇん!!」
掴み損ねた、たった一度の好機。
スゥと、神無月が大きく息を吸い込む音。
「人間風情がぁぁぁぁ!」
怒声が空気を揺らす。思考を支配する本能的な恐怖。
「いひひっ!絶対許さねぇから……お前はぁ〜、惨ッ!殺ッ!けって〜い♡」
余裕の鎧を剥いだ奥の
「通るね。今なら」
夢の中と同じ、底意地の悪い笑みを見せる女神。
「あー、あー。テステス。キミにも聴こえてる?出来損ないの
「この声は……マキナ!?死んだはずだ!!神々から追放されたお前は!私が!この手で!殺したはずなんだッ!!」
錯乱或いは狂乱。神無月が揺らいでいる。
「ん、元気そうで良かった。いきなりで悪いんだけどさ……」
握っていた剣がすっぽ抜けて飛んでいった。デウス・エクス・マキナ、超解決によって終幕を導く機械仕掛けの女神。この悲劇の結末は
「死んでもらおうかな、って」
貫通。神無月の両手ごと心臓を一刺し。
「がフッ……ま、マキナァァァ!」
「くははっ!私に勝てる訳がないだろう?名にし負わば『神』では『無』いんだからさ、お前」
叫喚。のたうつ人型の肉が細切れに刻まれていく。人間の意志など介在しない、酸鼻などものともしない神の手が神無月を圧倒する。
「マァァキィナァァ……つかまえたぁ〜♡」
否。マキナが囚えられた。ドロドロに溶けた手のような部位に挟み込まれ、肉の波に呑み込まれた。
「カンナ、覚えていますか?貴女が先程何と言ったのか」
慈母然とした声を出すマキナ。先程俺にそうしたように、舞台の上で踊る人形に劇の行く末を伝えるように。
「な、何を……言って……」
「無駄。無智。無為。無益。無用。無策。無能。無理。無効。一切無礙……」
「そして」
『総て、斉しく意味が無い』
二柱の声が揃う。かたや嘲笑、かたや絶望の色。声音を真似たのは何の意趣返しか。
「よくできました♡」
肉塊が突如内部から爆発した。血と肉と骸の雨の中、楽しそうに夢の中の少女が踊り出る。
「な、なんだ!?何が起きてるんだ!?」
マキナが手を離れてから崩れ解けたはずの仮初の腕が、神無月の残骸によって再構成されていく。そして、両腕とも元通りになった。
「キミには感謝してるよ。キミのおかげでカンナを弑せたし、
「死ん……だ、のか?」
「ああ。神に誓ってね。ところで」
後ろ手に隠し持っていた神無月の大腿骨を振り回しての一撃、顳顬に命中。マキナは避けなかった、恐らく襲われる事を知っていた上で。
「キミは……私も弑すのかな?」
「無論だ」
「キミのその
マキナの頭は半分程潰れている。けれど
「ダメだ、理由は三つ。お前に情が湧く、土壇場で逃げられる、裏切って神と通じる可能性がある、だ。俺の復讐に仲間も同輩も必要無い」
「自分の感情さえも敗因に組み込んでるんだ、いやぁ〜偉いねキミは。よく人間を理解しているよ。でも……まだ、足りないな」
文字通り、視界から消えた。認識外の速度。神無月の
「お返し♡」
頭蓋に衝撃。
「
俺の身体は何の抵抗もなく膝を付き、地に倒れ込んだ。
「だから利用して、利用されよう?相手が嫌がる事を進んでするのが、零和の最善手なんだからさ」
秋空は高く蒼く、晴れ渡っていた。
弑逆と清拭 秋錆 融華 @Qrulogy_who_ring
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