3 アガサ

「何だか大変なことになっているわねえ」

 庭園の一角にある東屋に座り、父親に引きずられていくオリバーの姿を眺めながら、アガサ・エイムズはその頬を緩めた。

「ガルシア伯爵もあんなに怒って。オコナー家との縁談は破談かしら」


「……楽しそうだな」

 一緒にいたクリス・パーマーは呆れたようにアガサを見た。

「そりゃあ、あの二家が結び付いたらうちは厳しくなるもの。破談になってくれれば嬉しいわ」

 エイムズ家とオコナー家は穀物を扱う同業で、競合相手だ。

 貿易を手がけるガルシア家がオコナー家につけば、オコナー家の取引量は大幅に拡大してエイムズ家との差が開いてしまうだろう。

 今回の婚約が破談し二家が決裂してくれればエイムズ家としてはありがたい。


「そうだよなあ。――ところで俺、見たんだけど」

「何を?」

「お前さ、前に夜会で、オリバー・オコナーにガルシア家の妹を紹介していただろ」


「紹介?」

 アガサは首を捻った。

「……ああ、あれはマーガレットが、オリバーを指して『あのかっこいい人は誰?』って聞いて来たから、あなたのお姉さんの婚約者よって教えたの。そうしたら挨拶したいって言うから連れて行っただけよ」

「本当にそれだけか?」


「疑っているの? 私が唆したんじゃないかって」

 にやりとアガサは口角を上げた。

「うちはオコナー家とはライバル関係だから、オリバーと話したことはないわよ。本当にただマーガレットを近くまで連れて行っただけなの。すぐ二人でどこかへ行っていたし」

「唆さなくても、きっかけは与えたんだろ」

 オリバーが婚約者に不満を抱いていたことは、クリスもサロンや夜会で仲間たちに愚痴をこぼしていたのを耳にしたことがある。

 相当不満があった様子を思えば、姉とは正反対の妹と会い、そちらに乗り換えたいと思う可能性は高いだろう。

「まあ、仮にあれがきっかけだとしても。同じガルシア家の人間なんだから乗り換えたところで二家の関係は変わらないでしょ」

「――お前、前に言ってたろ。ソフィア嬢が兄の婚約者だったら良かったのにって」

 アガサの言葉にクリスはそう返した。


「そうねえ。聡明なソフィアがいれば、オコナー家の支援も得られるし、あのバカ兄が家を継いでも何とかなるかと思ったんだけど。出遅れたみたいね」

 アガサが視線を移した先には、テーブルで語らうソフィアとローレンの姿があった。

「王子様には勝てないわ」

 ソフィアを見つめるローレンの表情からは、彼が相手にかなりの好意を持っていることが分かるし、ソフィアも最初は驚いていたようだが満更でもなさそうだ。

 おそらく二人は結婚するのだろう。

(アガサも王族が名乗りを上げることまでは予想がつかなかったか……いや、違うな)

 クリスは心の中で首を横に振った。

(アガサはソフィア嬢がエイムズ家に来ることを、本心では望んでいない。彼女が望むのは、自分が当主になることなんだから)


 勝気なアガサは、幼い頃から兄や周囲の男子と張り合っていた。

 自分の方が優秀なのに跡を継ぐのが兄なのはおかしいと、両親に訴えたこともある。

 実際兄はアガサに比べて頼りなく、「あの子が男だったら後継に出来たのに」とエイムズ伯爵も言っていた。

 この国では男子を差し置いて女子が爵位や事業を継ぐことはできないのだ。


 おそらくアガサは、ソフィアがオコナー家に嫁ぐのを危惧していた。

 優秀なソフィアがオコナー家の事業に関わるようになれば、経営能力がさらに上がってしまう。

 せめて相手が妹に変わることで、少しでも差が開くことを阻止したかったのだろう。


(こうやって陰で家業の手助けをしているけど……家の者たちはそれを分かっていないのが惜しいな)

「……ソフィアはローレン殿下と結婚したら司書の仕事はどうするのかしら」

 クリスがアガサの横顔を見つめながら残念に思っていると、アガサは呟いた。

「どうなんだろうな。殿下は上司だから理解はあるだろうけど」

「続けて欲しいわね。王族の妻が仕事を持てば他の貴族女性が働く道も開かれてくるかもしれないし」

「他人の心配より自分のことを心配した方がいいんじゃないか? お前はこれからどうするんだ」


 アガサは家業の手伝いをしている。

 本当は経営に関わり責任のある仕事をしたいのだが、貴族の価値観が強い父親に「女に役職など任せられない」と言われ、あくまでも「手伝い」という立場だ。

 それでも誰よりも毎日の新聞を読み込んでいるし勉強もしている。

 今回のような根回し的なこともできる。

 努力は欠かさないし能力もあるが、それを発揮する場がないのだ。


「――私はまだ諦めてないから」

 呟くようにそう答えて、アガサはクリスを見た。

「そういうあんたはどうなの。聞いたわよ、婚約が破談になったんですってね」

「……潰れそうな家に嫁ぎたいと思う奴はいないだろ」

 クリスはくしゃりと頭を掻いた。

 彼のパーマー子爵家は最高級エメラルドを中心とした宝石の輸入や加工販売を行っている。

 これまでエメラルドは輸入品がほとんどだったが最近、エメラルドが採れる鉱山が国内で見つかった。

 品質は劣るが安く手に入るようになったことがきっかけで、パーマー商会は業績が悪化していた。

 嫡男のクリスはある商家の娘と婚約していたが、先行きの不安な家に娘を嫁がせることに先方の父親が難色を示して破談となったのだ。


「パーマー商会も新しい商品を扱えばいいじゃない」

「うちの親父も古くて頭が固いからな。最高級の宝石しか扱いたくないんだってさ」

 ため息をつくと、クリスはポケットから小さな箱を取り出した。

「これはうちで抱えている職人に試作してもらったんだ。ガラス製だが最近は染色技術も進んでいるし、職人の手にかかれば宝石みたいな輝きが出せる。だけどこんな紛い物は認めないってさ」


「とっても綺麗じゃない」

 クリスから受け取った箱を開くとアガサは声を上げた。

 箱に入っていたのは大きな青いカットガラスで、複雑にカッティングされたその輝きは確かに宝石とは異なるものの、十分美しい。

「ねえ、これ平民向けに売れるんじゃない?」

「俺もそう思うんだけど、親父が認めないんだ」

 宝石は高価すぎるが、ガラス製ならば平民でも手が届く。

 華やかなアクセサリーはきっと人気が出るだろう。

 そう提案したのだが、あくまでも貴族向けにこだわる父親は聞く耳を持たなかった。


「ふうん。――ねえ、クリス」

 アガサは視線を移した。

「私たちでこのガラスを使ったアクセサリーを扱うお店を立ち上げるのはどう?」

「……俺たちで店を?」

「そう、平民向けの宝飾店。ここ数年は裕福層も増えて来たし、きっと流行るわ」

 アガサは箱を持つ手に力を込めた。


 一世代前までは、貴族と平民には大きな貧富の差があった。

 今でも農村部では貧しい者が多いが、王都など大きな町では財産を持つ者が増えていている。

 平民が力をつけてきたことを、父親世代の貴族たちは危惧しているようだが、アガサは良いことだと思っているし、今までにない商品が売れる商機だと思っている。

 クリスが職人に作らせたこの宝石のようにカットされたガラスはきっと売れる。

 一目見てアガサは確信した。


「店か……やってみたい気持ちはあるが」

「やりましょうよ!」

「……一緒に店をやるなら俺たち……」

「そうね、まずは職人の確保と商品開発ね。それからお店の場所も探さないと。それからええと……」

 アイデアを出すのに夢中なアガサに、クリスは言いかけた言葉を飲み込んで苦笑した。

「――まだ何も決まっていないのにいきなり店探しか?」

「立地は大事よ、それによって商品の展開も変わるし。今までにない商品を作るのだからしっかりと調査しないと」

「調査か。俺の苦手な分野だな」

「そうよねえ。他にも協力してくれる人がいるといいんだけど……」

 視線を宙に泳がせたアガサは、テーブル席にいるソフィアの姿を捉えるとその目を見開いた。


「ねえ。ソフィアに相談役をお願いするのはどうかしら」

「ソフィア嬢を相談役に?」

「宰相も認める才女が相談役だなんて、いい宣伝になるじゃない? そうだわ、女性が活躍できる店はどうかしら」

「……それはいいかもな」

「女が経営者になるのは法律では無理だから、それはクリスに任せて。でも現場は女性が仕切るの」

 アガサはすっくと立ち上がった。


「そうと決まれば、まずはソフィアに挨拶してくるわ!」

「え、今? あの二人の邪魔なんじゃ……」

 話し込んでいるように見えるソフィアたちに視線を送りながらクリスは言った。


「こういうのは早く動くのがいいのよ! 他の人にソフィアを取られる前にね」

 振り返り、そう答えるとアガサは歩き出した。

「あ、おい! ……まったく本当にせっかちだな」

 クリスはため息をついた。

「――共同経営するなら俺と結婚しようって、言おうとしたんだけど」

 アガサの背中に向かって小さく呟く。


「……まあいいか。男として意識してもらうのが先だな」

 もう一度ため息をつくと、クリスも立ち上がってアガサの後を追い歩き出した。

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