2 ソフィア(後編)

「――ところでこちらの女性は?」

 オリバーはソフィアを無視してキャロルに視線を送った。

「私の友人でキャロル・オサリヴァンです」

「初めてお目にかかりますわ」

 キャロルは立ち上がった。


「オサリヴァン……侯爵家の?」

「ええ、宰相の娘です」

 オサリヴァン侯爵家は多くの政治家を輩出する名門一族で、現当主は名宰相として国王からの信頼も厚い。

「ソフィア……君は宰相の令嬢と知り合いだったのか」

 オリバーはようやくソフィアを見た。

「はい。図書館で出会いました」

「今日はソフィアの話し相手として来ましたの。いつも父の相談相手となってくれているお礼ですわ」

 キャロルは微笑んだ。


 婚約破棄した相手の妹との婚約発表パーティに、その破棄した姉を出席させる。

 その話を聞いてあまりにも酷い仕打ちだとキャロルは憤った。

 当のソフィアは、「婚約者が変わったのは円満だったとアピールしたいみたい。だから出席はするけど目立たないよう隅にいるわ」と言っていたが、それでも周囲からの視線や悪い噂を立てられるのは辛いだろう。

 だからソフィアが一人でいなくても済むよう、キャロルはソフィアの付き添いという形でここに来たのだ。


「宰相の相談相手……?」

 オリバーは目を見開いた。

「ええ。ソフィアは知識が豊富で思いがけない所からアイデアを出しますの。最近行った洪水対策はソフィアの助言から生まれたものですわ」

「施策の助言を!?」

 キャロルの言葉に周囲がざわついた。


「洪水対策って……西部で毎年起きる洪水を制御したってあれか」

「今年は被害が圧倒的に少なくて麦の収穫量が上がったのだろう」

「木材不足にもならずに済んだと取引先が喜んでいたよ」

「助言だなんて。私はただ参考になりそうな本をまとめただけよ」

 困ったようにソフィアは微笑んだ。

 地形や気象、災害に関する本の中から、問題の土地に関係のありそうなものを整理して宰相に渡した。

 それらを分析し施策を考えたのは政務官たちで、ソフィアは関わっていない。


「それがすごいんじゃない。沢山の本の中から問題解決の糸口となる事例を的確に提示できる人なんて、政務官でもなかなかいないってお父様が褒めていたわ。まとめられた資料もとても見やすかったって」

「……そうかしら」

 キャロルの褒め言葉にソフィアの頬がほんのり赤く染まった。

 集めた本の中には、洪水対策とは結びつかない本や内容もあったが、参考になるかもしれないと念の為に提出した。

 今回の政策に有効なアイデアがその中にあったとは聞いている。


「ソフィアが宰相の相談相手だっただと……」

 オリバーは肩を震わせた。

「お前、そんな事一度も言わなかったじゃないか!」

「え?」

 怒鳴られたソフィアは首を傾げた。

「宰相に認められたという価値は計り知れない。お前の地味でつまらない欠点を補っても余りある」

「……はあ」

「マーガレット! お前もどうして教えなかった」

 オリバーはマーガレットを振り返った。


「私、言いましたわ。お姉様は政治に興味があるみたいでお手伝いもしているって」

 マーガレットは可愛らしく首を傾げた。

「そうしたらオリバー様、女のくせに政治だなんて生意気だって言ったじゃないですか。女は宝石の名前だけ知っていればいいって」

「興味があるのと、宰相の相談役になっているのは別の話だ。価値が違う」

(チッ、早まったか)

 オリバーは唇を噛んだ。

 貴族なのだから結婚は家のためだとは理解している。

 だが婚約者となったソフィアはおよそ貴族令嬢らしくなく、地味で社交が苦手。趣味の読書が高じて司書になってしまった。

(女が平民と混ざり働くなど、見苦しい)

 社交で人脈を築くという妻の仕事を果たせそうにない婚約者への不満を募らせていたところに、マーガレットと出会った。

 姉とは違い宝石が似合う、華やかで明るく社交的な妹。


 家同士の結婚ならば、妹でもいいのでは。

 そう思い両方の親に相談すると、多少難色は示されたものの了承された。

 マーガレットは頭が弱い部分はあるが、その華やかな容姿は飾りとして連れて歩くには十分だ。

(むしろ下手に知識があって頭がいい方と口出しして面倒だからな)

 何かと事業に意見したがり、父親と喧嘩をする母親を見てきたから余計にそう思っていた。

 だが、その知性が宰相に認められるほどとなれば別だ。

 そこまでの才女が妻ならば、自然夫や家の格も上がるだろう。


「価値……」

 マーガレットは考えるように頬に人差し指を当てた。

「でもオリバー様、お姉様には価値がないって言ってましたわ」

「だからそれは女としての価値だ。ソフィアにはそれとは別の価値があるんだ」

「……よく分かりませんわ」

 マーガレットはふるふると首を振った。

「お姉様は一人なのに、価値は二つあるとか」

「お前は分からなくていい。……まったく、ここまでバカだったとは」

 やはり婚約者を変えたのは失敗だったか。

 一瞬後悔したが、すぐにオリバーはひらめいた。

「ソフィア。やはり私はお前と結婚する」

 元婚約者に向かってオリバーは言い放った。


「は?」

 唐突な言葉にソフィアとキャロルは同時に声を上げた。

 背後で興味深くやりとりを見守っていたギャラリーからもざわめきが起きる。

「……オリバー様はマーガレットと結婚なさるのですよね」

「宰相に認められるほど賢い妻が私には必要だ。そうだな、マーガレットは愛人として夜会には彼女を連れて行こう」


「愛人!?」

 ソフィアは思わず声を上げた。

「うわ、最低……」

 低い声でキャロルが呟く。

「こいつ腐っているわ」

 女性を自分のアクセサリーとしてしか見ない男性は他にもいる。

 たが、姉妹で婚約者を変えた挙句、一方を愛人にしようなどとするのは女性を蔑ろにし過ぎている。


 あまりにも意外な言葉にソフィアは呆然としていたが、やがて我に返った。

「オリバー様……それはありえないご提案ですわ」

「何故だ。家同士の婚姻なのだからどちらと結婚しようが構わないだろう」

 自分の意見が当然だという顔でオリバーは言った。


(ああ、この人は……私たちを道具としてしか見ていないんだ)

 自分に女としての魅力がないからマーガレットに変えたいというのはまだ理解できる。

 だが、ソフィアにも価値があると分かった途端にまた婚約し直そうとするとは。

(しかもマーガレットを愛人にだなんて)

 思慮の足りない部分はあるが、根は素直で可愛い妹だ。

 オコナー伯爵夫人になって、幸せになれればいいと思っていたのに。愛人だなんて。

 腹の奥からふつふつと怒りが湧いてくるのを感じる。


「お断りいたします」

 オリバーを見据えてソフィアは言った。

「断る? 何故だ」

「妹を愛人にだなんて、父が許しません。それに私も、あなたと結婚はしたくありません」

 マーガレットとも結婚させたくないくらいだと心の中で続ける。


「愛人って……」

 やりとりを見ていたマーガレットが首を傾げた。

「綺麗な格好をしていればいいだけの人のこと? それならいいわ」

「だめよマーガレット」

 ソフィアは慌てて妹の肩を掴んだ。

「愛人だなんて、正式な妻にはなれないのよ。それに白い目で見られてしまうわ」

 ただでさえ既に遊び人という噂が立っているらしいマーガレットに、これ以上悪評が増えても困る。

「でも私、伯爵夫人のお仕事ってよく分からないし……それにお姉様と一緒なら心強いわ。だってお姉様、何でも知ってるもの」

 マーガレットは笑顔で言った。


「ああもう……」

 ソフィアはため息をついて項垂れた。

 この妹を愛人になど絶対にさせられないが、オリバーの元に嫁がせるのも不安しかない。

「マーガレットもいいと言っている。問題はないな」

「問題は大有りです」

 どや顔のオリバーに、ソフィアは眉をひそめた。

「愛人として引き取ってやるのだからいいだろう。それにお前と結婚しようという奴は他にいないんだから、お前だっていいだろう」

「私は、誰とも結婚いたしません」

 強い口調でソフィアは答えた。


「そうなのか? それは困るな」

 ふいに男性の声が聞こえた。



「――館長」

 声の主を確認してソフィアは目を丸くした。

「やあ。失礼するよ」

 ソフィアたちに近づいて来たのは、いかにも高貴な雰囲気を持つ青年だった。


「これはローレン殿下」

 キャロルが膝を折り、礼を取った。

「殿下⁉︎」

 オリバーも慌てて頭を下げた。

「ど……どうして殿下がここに……」

 ローレン・ブランシャールは王弟の三男で現国王の甥にあたる。

 順位は低いが王位継承権を持つ王族の一人で、去年二十七歳という若さでソフィアが勤める王立図書館の館長に就任した。

 今日の招待客に王族はいないはずだ。


「ルイスに頼んで同行させてもらったんだ」

 背後に控える青年を振り返りローレンは答えた。

「ソフィアが婚約解消したと聞いて、新しい相手が決まる前にと思ってね」

「新しい相手?」

「ソフィア・ガルシア嬢」

 ローレンはソフィアの前に立つと膝をついた。

 王族が伯爵令嬢に跪いたことに周囲がざわつく。

 そんなざわめきを気にすることなく、ローレンはソフィアを見上げた。

「どうか私の妻になってくれないだろうか」


「――は……い?」

 ソフィアは理解できない言葉が聞こえた気がした。

「え……つま……?」

「ああ。今ガルシア伯爵と会って君に求婚する許しを得てきた」

 ローレンはその顔に笑みを浮かべた。

「父にも許可は得ている。才女の君が相手で喜んでいたよ。あとは君が受け入れてくれるだけだ」


「え……あの」

「で、殿下!」

 ソフィアが混乱していると、オリバーが割り込んできた。

「その者は私の……!」

「オリバー!」

 野太い声に振り返ると、オコナー伯爵とガルシア伯爵が怒りの顔で歩み寄ってきた。


「お前はまたおかしなことを言っているそうだな。婚約者を戻すなど出来るわけがないだろう!」

「しかし父上……!」

「来い! 申し訳ございません殿下」

 オリバーの襟をつかみローレンにぺこぺこと頭を下げると、オコナー伯爵は息子を引きずりながら離れていった。


「マーガレット、おまえも来い」

 ガルシア伯爵は妹娘の手を取った。

「若造め、ガルシアを見下しおって。この話は考え直さないとならないな」

 ぶつぶつ言いながら、マーガレットを連れてガルシア伯爵も去って行った。


「キャロル、僕たちも行こうか」

 ローレンと共にいた青年ルイスがキャロルに歩み寄った。

「え? ええ……」

 キャロルは心配そうにソフィアを見たが、ルイスに促されてその場を離れていった。


(……ええと……?)

「とりあえず座ろうか」

 ローレンは立ち上がると、まだ状況を理解できていないソフィアに微笑んでさっきまでソフィアたちがいたテーブルへと促した。


「ごめんね突然。驚いたよね」

 椅子に座るとローレンは言った。

「いえ……あ、はい……」

 否定しかけて、ソフィアはこくりと頷いた。


 ソフィアが三年前に図書館で働きはじめた時、ローレンはソフィアが配属された部署の責任者だった。

 彼が館長になるまでの約二年間、その下で多くのことを学んできた。

 本のことだけでなく、様々な知識を持つローレンをソフィアは尊敬しているし、上司と部下として親しくはしていたけれど。

(その館長がどうして、私に求婚……?)


「実を言うとね、君のことはずっと女性として気になっていたんだ」

 混乱していたソフィアが落ち着いてきたのを見て、ローレンは言った。

「え……」

「でも君は婚約していたし、私も結婚するつもりはなかった。学問に興味を持たない貴族の女性はつまらないし、三男だから周囲もうるさくないからね」

 国王には二人の息子がいる。

 王弟の第三王子であるローレンに王位が回ってくる可能性はほとんどない。

 だから父親が管理する図書館や博物館といった文化施設の仕事に従事しながら、独身を通すつもりだった。



 ローレンがソフィアに初めて会った時の印象は、「こんな華奢な子に図書館の仕事が務まるのだろうか」という不安だった。

 司書は意外と力仕事だ。

 重い本を一日に何百冊と移動させなければならない。

 いくら本が好きで知識があっても、腕の細いソフィアには難しいだろうと思っていたが、彼女は腕や腰を痛そうにしながらも根を上げることなく仕事をこなしていった。

 他の職員たちも最初は若い貴族令嬢が入って来たとざわつき、ある者は女なんてと見下していたが、ソフィアの真摯な仕事ぶりに、やがて皆一人前の司書として彼女を認めるようになった。


 ローレンもまたソフィアが優秀な司書に育っていくのを上司として見守っていたが、次第に彼女へ他の者には抱いたことのない感情を持つようになっていった。

 気がつくと彼女の姿を目で追っているし、休憩時間の何気ない会話で胸が温かくなる。

 ふとした時に見せるソフィアの笑顔には胸の高鳴りを覚えた。


(これは……いわゆる恋心というやつか)

 自分がそんな感情を抱くことがあるとは夢にも思わなかった。

 だが、控えめで知性もあり、美しいソフィアに好意を抱いてもおかしくはない。

 けれどソフィアには婚約者がいる。

 家同士の結びつきを深めるための婚姻だ、ローレンに覆せるものでもない。

(初恋は実らないと聞くが……)

 遅い初恋はこじらせるとも聞く。

 それを実感しながらも、諦めようと思っていたけれど。



「私と一緒にいたルイスとは友人でね。彼から聞いたんだ、君が婚約破棄されたと。ルイスとキャロル・オサリヴァン嬢は幼馴染なのだろう?」

 ルイスには以前から自身の恋心を伝えていた。

 その彼が、キャロルから今日の婚約発表パーティを聞き、ローレンに伝えたのだ。

「今ならまだ間に合うぞ」

 一度婚約破棄された令嬢には傷が付くとはいえ、若くて家柄の良いソフィアには新たな縁談がすぐに来るだろう。

 その前に先手を打たないとならない。


 今日の招待状を持っていたルイスの同行者としてパーティ会場に来ると、ローレンはまず父親のガルシア伯爵に会った。

 王族からの思いがけない婚姻の申し出に伯爵は最初驚いたが、すぐに笑顔となり喜んで承諾した。


「本人の意思を確認する前に父親に言って良かったのか?」

 パーティ会場へ向かいながらルイスが尋ねた。

「既に他の申し出があるかもしれないだろう。その確認ついでだ」

「ついで、ねえ」

「ああ、ついでだ」

 何か言いたげな顔の友人に笑みで答えて、ローレンはソフィアの元に向かったのだ。



「ソフィアからすれば突然のことのように思うだろうけれど。私はずっと、もしも結婚するなら君がいいと思っていたんだ」

 ソフィアと向き合い、ローレンは秘めていた思いを明かした。

「でも君には既に婚約者がいた。だから諦めざるを得ないと……それでも簡単に未練を捨てられなくて。今日のこのチャンスを逃したくなかったんだ」


「……そうだったのですか」

 ソフィアは口を開いた。

「あの……ええと。そう思っていただいていたことは……光栄ですが。その、思いがけないことで実感できなくて……」

 地味な自分と結婚したいと思う人がいるなんて、思いもしなかった。

 しかもその相手が勤め先の元直属の上司で王族だとは。


「表には出さないようにしていたからね」

 ローレンは笑みを浮かべた。

 職場の者たちに己の心を気づかれないよう接してきたのだ、ソフィアが戸惑うのも仕方ない。

「だけど隠す必要もなくなったし、伯爵にも伝えた。――それでソフィア、私の求婚を受け入れてくれる?」

「え? あ、ええと……」

(結婚……館長と私が……)

 改めて言われて、ソフィアの頬が赤く染まった。

 心臓の鼓動が速くなる。

「……あの、ええと……光栄なことですが……私なんかが……」

 ソフィアは視線を落とすと、熱くなった頬を隠すように両手で顔を覆った。


「私なんかじゃなくて、君がいいんだ。ちなみに結婚後も司書として働くことは問題ないよ」

「本当ですか⁉︎」

 聞こえた言葉にソフィアは思わず顔を上げた。

「ああ。ソフィアはとても優秀だし、働いている君の姿は輝いているからね。私はそれを見るのが好きなんだ」

 視線が合うと、ローレンはそう答えて笑った。


(好き……)

 その言葉にソフィアの顔がさらに赤くなる。

「よろしくね」

 そんなソフィアの様子を見つめて笑みを深めると、ローレンは手を差し出した。

「……はい」

 ソフィアがおずおずと手を出すとぎゅっと握りしめられる。

 その力強さに、ローレンが男性であることを強く意識してソフィアの胸がドクンと震えた。

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