地味でつまらない女だからと婚約破棄されましたが
冬野月子
1 ソフィア(前編)
爽やかな初夏の風が心地良い、雲ひとつない青空の下。
オコナー伯爵自慢のローズガーデンには、咲き誇るバラに負けないほど色とりどりのドレスを纏った招待客が集まっている。
伯爵家長男の婚約発表パーティに招かれた人々だ。
「まあ夫人、ごきげんよう」
「お久しぶりですわ。いつ王都にいらしたの?」
二人の夫人がにこやかに挨拶を交わした。
「三日前ですの。ドレスの直しが間に合って良かったですわ」
「それは大変でしたわね」
「ええ。……それにしても、オコナー伯爵子息とガルシア伯爵令嬢は幼い頃から婚約なさっていましたわよね。どうして今更お披露目パーティをするのかしら」
夫人は首を傾げた。
「あら。ご存知ありませんの?」
相手の夫人が声をひそめた。
「お相手を乗り換えたのですわ」
「乗り換え?」
「元々ガルシア家の長女と婚約されていたの。でも次女と婚約し直すのですって」
「まあ。どうして?」
「そこまでは分かりませんけれど……」
夫人はさらに声をひそめた。
「長女のソフィア嬢は図書館で働いているのですって」
「働いていますの?」
夫人は思わず大きな声で聞き返した。
この国では貴族の女性が仕事を持つことは滅多にない。
女性が働くのは身分が低い場合や死んだ夫の代わりにその事業を受け継ぐ場合、家が没落して生活が苦しい時など。
未婚で、裕福な家の貴族令嬢が働くのはかなり異例だ。
「それに、華やかな次女のマーガレット嬢に比べてソフィア嬢は地味で社交界にも出ないのですって。オコナー伯爵家には合わなかったのじゃないかしら」
「まあ……確かにオコナー伯爵は派手好きですものね」
過剰なほどにバラで飾られた庭園を見渡して、二人の夫人は笑みを交わした。
オコナー伯爵は幅広く事業を手掛けている。
羽振りも良く派手な振る舞いも多いから地味な妻は合わないのだろう。
「――好き勝手言われているわよ、ソフィア」
パーティ会場となっている庭園の片隅にあるテーブル席で、グラスを片手に周囲の様子を探っていたキャロル・オサリヴァンが口を開いた。
会場のあちこちで、今日の主役たちともう一人、婚約破棄されたソフィアの話題が上がっている。
「……仕方ないわ」
ため息をついてそう答えると、ソフィア・ガルシアはグラスの中身をあおった。
よく冷えた果実水が喉を通っていく。
(これがやけ酒なら、逆に可愛げというものがあるんでしょうけど……)
こんな所で酔ってしまったら恥ずかしいという生真面目な所が、婚約者に嫌われた理由の一つなのだろう。
「私とオリバー様は合わなかった。だから婚約破棄されて良かったの」
「ふうん。まあ、確かにあなたの良さが分からない男にはもったいないものね」
友人を横目で見ながらキャロルは微笑んだ。
ソフィアは少し変わっている。
普通の貴族令嬢ならば好むドレスやアクセサリーよりも本が好きで、好きすぎて家族に黙って司書試験を受け、合格してしまった。
家族からは大反対されたが、「貴族令嬢だからと拒否するには惜しい。優秀な人材であるソフィア嬢をぜひ王立図書館の司書に」と、王立の文化施設管理責任者である王弟直々の手紙が届いた。
王族からの任命を拒否することはできず、結婚するまでという条件付きでソフィアは司書になることを認められたのだ。
大人しくて内向的だけれど、自分の夢を叶えるための努力は惜しまない、時に頑固なくらい芯の強さを持つソフィアを、キャロルは好ましく思っている。
(でも、殿方から見れば地味でつまらないと思われてしまうのよね……)
それはもったいないとキャロルはつくづく思っている。
ソフィアがオリバー・オコナーと婚約したのは十歳の時。
事業の結びつきを深めたい両家の思惑によるもので、貴族社会ではよくあることだ。
社交的で派手なことが好きなオリバーは友人も多く、毎日のように外へ出ては多くの人々と交流している。
対してソフィアは社交の場が苦手だと滅多に出かけない。
性格が真逆の二人が顔を合わせることは元々少なかったが、ソフィアが仕事を始めたことで二人はより疎遠になっていった。
「オリバー殿の婚約者をマーガレットに変える」
父親のガルシア伯爵がソフィアに言い渡したのは二か月前のことだ。
「婚約者を変える?」
「先方から苦情が来たのだ。頭でっかちでつまらないお前と結婚するのは苦痛だとな。まったく、何度も本よりもドレスに興味を持てと言い含めていただろう」
大袈裟にため息をつくと、伯爵は妹のマーガレットを見た。
「先日、ある夜会でオリバー殿がマーガレットと会ったそうだ。それで意気投合して、家同士の婚約なのだから妹のマーガレットに変えてくれと」
「夜会?」
「はい。オリバー様はとても楽しい方でしたわ」
にっこりと、人好きのする笑顔でマーガレットは言った。
(未成年のマーガレットが夜会に参加するなんて……)
ソフィアは思わず眉をひそめた。
地味な姉とは違い、見た目も華やかで社交的な性格のマーガレットが外出好きなのは知っていたけれど。
昼間ならともかく、成人していないのに夜会に参加するような者は遊び人と思われるのでは。
(……それでもオリバー様は地味な本の虫より華やかな蝶を選んだのね)
「分かりました」
父親に向かってソフィアは受諾の返事をした。
「私にいい所なんてないわ」
集まってきた招待客を眺めながらソフィアは言った。
「あるわよ。勤勉で頭がいいでしょ、性格だって落ち着いて穏やかだし」
「それは、男性から見たら魅力的じゃないらしいわ」
キャロルの言葉にソフィアは首を振った。
「女のくせに頭がいいのは生意気なんですって」
「何それ。まさか図書館の人に言われたの?」
「いいえ、司書仲間は皆いい人よ。利用客にたまに言われるの」
「まあ、失礼ね」
ソフィアの仕事は本の管理だ。内容を把握し整理、分類する。
利用客から相談を受けて求める本を選ぶのも仕事の一つだが、そんなことを言われる時もある。
「穏やか過ぎるのもだめなんですって。多少我儘な所があった方が可愛いって」
これは婚約者だったオリバーから言われたことだ。
おねだりの一つも出来ない自分はつまらない女だと。
(そう言われても、欲しいものなんてないもの)
ソフィアが興味を持つ本なら職場にいくらでもある。
欲しいものがないからねだりようもないが、おそらくそう思ってしまうのが可愛くないところなのだろう。
それに比べて妹のマーガレットは甘え上手だ。両親にも可愛がられている。
お菓子やドレス、アクセサリーといった女の子らしいものを好み、いつも可愛らしく着飾っている。
「オリバー様にはマーガレットの方がお似合いよ」
視線を落としてソフィアは言った。
(見た目はソフィアも悪くはない……むしろ妹より上だけれど)
伏せられたソフィアの長いまつ毛を見ながらキャロルは思った。
化粧気のないソフィアは確かに地味だが顔立ちは整っている。
切れ長の目は気品と知性を感じさせるし、艶のある黒髪にきめ細かく透き通るような白い肌は見惚れてしまうほどだ。
ソフィアの美しさは本人の性格もあってか目立つものではないが、着飾れば夜空に浮かぶ月のような輝きを放つだろう。
(それに性格だって……妹よりはましよね)
「――正直あなたの妹さん、将来の伯爵夫人としてはどうかしら」
自分を卑下する友人をフォローしたくてキャロルは言った。
「え?」
「あまり良くない噂もあるのよ、未成年なのに遊んで歩いているって」
「遊んで歩いている……?」
ソフィアは眉をひそめた。
「……確かにオリバー様とは夜会で出会ったと言っていたけれど」
「いつも男性と談笑しているそうよ。毎回違う相手だとか」
「まあ」
ソフィアの眉間のシワがさらに深くなった。
確かに華やかなマーガレットは人目を引く。
だがその性格は明るい反面、思慮に欠ける部分がある。
男女問わず誰でも親しく相手してしまう妹が、しかも未成年なのに夜会にいれば目立つし噂にもなるだろう。
危惧したように既に悪評が立ってしまっているのか。
(オリバー様は知っているのかしら……でも夜会で知り合ったと言うし)
ソフィアが不安を感じていると歓声が聞こえてきた。
「主役のお出ましね」
キャロルの声に振り返ると、オリバーと彼にエスコートされたマーガレットの姿が見えた。
(……確かにお似合いだわ)
オリバーは背も高く、多くの友人に囲まれ女性たちにも人気だと聞いたことがある。
そんなオリバーと華やかで愛らしいマーガレットが一緒になる方が、確かに相応しいのだろう。
(私には伯爵夫人なんて務まらないし)
オリバーと結婚すれば、妻として彼と社交に励まなければならない。
それはソフィアにとって、とても困難に思えた。
「ソフィア、大丈夫?」
「え?」
キャロルの言葉に首を傾げる。
「あんな姿を見せつけられてショックじゃないかと思って」
「あ……それはないわ。むしろ私には、あの場に立つのは無理だったなと思って」
ソフィアは仲睦まじそうに腕を組みながら、大勢の招待客に囲まれる二人に視線を送った。
自分はあんな風に、笑顔で客に対応できそうにない。
「ああいう時にどんな会話をすればいいのかも分からないわ」
「ふふ、そうね。ソフィアは歴史には詳しいけれど社交辞令や流行りには疎いもの」
「ええ。彼との婚約がなくなって良かったと思っているの。結婚したら司書を辞めないとならないし」
働くのは結婚するまでと、親と約束している。
社交に出ること以上にそれが辛かった。
「でも、代わりに別の人と結婚しなくてはならないでしょう?」
「……そうね」
キャロルの言葉にソフィアはため息をついた。
ソフィアには兄がいる。
今は遊学中で外国にいるが、嫡男がいるのだからソフィアは結婚して家を出ていかなければならない。
けれど婚約破棄された女性にいい縁談が来る可能性は低い。
(例えば年配で、好きにしていいと言ってくれるような人ならいいけど……)
形ばかりの若い妻を求める者がいると聞いたことがある。
そういう都合のいい相手がいればいいが。
本音はできれば結婚はしたくないが、貴族の家に生まれた以上それは難しいだろう。
「お父様に誰か紹介してもらう? 部下でいい人がいるかもしれないわ」
キャロルは微笑んだ。
「それはご迷惑がかかるからいいわよ」
「そんなことないわよ、だってソフィアは……」
「お姉様!」
明るい声が聞こえた。
振り向くと、ピンク色のドレスをまとったマーガレットと、元婚約者のオリバーがいた。
「マーガレット。……オリバー様。婚約おめでとうございます」
手元のグラスをテーブルに置き、立ち上がるとソフィアは二人に向かってドレスをつまみお辞儀をした。
「ありがとう、お姉様。このドレスどうかしら。オリバー様がくださったのよ」
マーガレットはドレスの裾を広げながらくるりと回った。
「ええ、とても似合っているわ」
フリルをふんだんに使った明るい色のドレスは、やや幼く見えるがマーガレットにはよく合っている。
「うふふっ。オリバー様って、お姉様には誕生日のお花しか贈らなかったと聞いたのよ。それは可哀想だわって叱っておいたわ」
「……ありがとう」
「いくらお姉様がドレスに興味ないからって、お花だけは酷いわよね」
マーガレットは頬を膨らませた。
「オリバー様ったらすぐお姉様の悪口を言うのよ、つまらないとか可愛げがないとか。そんなこと言ってはダメですわって私が抗議したら、だって本当のことだろうって」
「――酷いのはどちらかしら」
キャロルは誰にも聞こえない声で呟いた。
大勢の前で婚約者を諌めるようなことを言っているが、その言葉は姉を蔑んでいることに気づいているのだろうか。
ソフィアによると、マーガレットはいい子なのだが思慮に欠ける所があり、それが失礼なことと分からず考えなしに発言してしまうらしい。
(天然というやつかしら。本人に悪意がない分、面倒ね)
確かにマーガレットの表情からは悪意は感じず、ソフィアに向ける眼差しからも彼女が姉を疎んじているようには見えない。
だからこそ率直な言葉がより相手を傷つけるのだが。
隣のオリバーは、にやけ顔でマーガレットを見ていて彼女の言葉を咎める気配はない。
(こちらは悪意がありそうね。本当に、ソフィアが婚約破棄されて良かったわ)
こんな男と大切な友人が結婚しなくて良かった。
キャロルは心からそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます