第4話
エントランスを抜け、鍵穴に鍵を差し、玄関に入って、靴を脱ぐ。
鏡に反射する仕事で疲れた私を横目に素通りし、そうしてリビングの明かりを点ける。
一気に照らされる8畳の1LDKのリビングルーム。
一人暮らしなのになぜか二つある椅子にアウターのモコモコを掛け、ふと目に入るテーブルに置きっぱなしになったネイル道具。
今朝と何も変わっていない景色が、今日もここに戻ってきたんだなと実感させる。
「はぁ……」
ため息が漏れ、無駄に大きな二人分のソファーに大胆に腰を預ける。
テレビのリモコンを操作して適当なYouTubeチャンネルの動画を流して、そして天を仰ぐ。
「知ってる、天井」
何の変哲の無いシーリングライト。
普段から視界に入るそれを見ているとなぜだかどうでもよくなってきて、胸がキュッと締まる。
「風呂、はいろ」
重い体を起こして、重い一歩を歩み、あまりにも重かった自分の想いのたけを感じてもう一度ため息が漏れる。
服を脱ぎ、溜まっていたお風呂へ一気に体を浸からせる。
「ふぅ……あぁ、もぅ」
お湯の先へ屈折して見える自分の脚。
それを壊すようにお湯を持ち上げて顔へ掛け、水面を揺らす。
そこまで来て、喉元まで出かけていた言葉が漏れる。
「……私、うまく言えてたかな」
毎日のように使っているラベンダーの入浴剤を入れた浴槽の中で、無地の天井を仰ぎながら今まで口に出さなかったことを呟いた。
ついさっき、私は言ってしまった。
この関係をやり直さないかと、久々に再会して1時間も経たないうちに言ってしまった。
そして、昔見て言い合ってしまって。
「は、恥ずかし恥ずかし恥ずかし!!」
自分が一体何を言っていたかを思い出す。
やり直すとかそういうこと以前に、なんだかカッコつけて買いかぶりすぎだとかなんだとか。
「ぶぐぶぐぶぐ」
風呂の中に顔を半分入れながらさらに思い出す。
「私、春斗とこうして話したい」とか言っちゃって。
「……キモいとか思われて」
考えれば考えるほど恥ずかしくなって。
「ばか。ばかっ……ん!」
結局自ら自分の額を叩いてしまっていた。
そしてそんな痛みにやられて、うっすらと涙すら流しそうになってはさらに叩いて本当に涙を流して、もう一度大きなため息を吐き出して。
「ほ、ほんとにこれ、現実⁉ 夢、夢なんじゃないの⁉ こんなことあっていいの⁉ ていうか私に
痛い。
額と胸が痛い。
それを自覚しながら自分の阿保さ加減が嫌になる。
せっかくやり直せるかもしれないのに、嫌われてしまうようなことして。
「いだい……うぅ、もぅ」
お風呂で裸になり、自分で自分を叩いて、考えていることが自分で振った幼馴染が前に進んでいる姿を見て悲しくなったなんていう事実が本当に馬鹿すぎる。
私は一体、何を考えていたのだろう。
浮かれていたのだろうか。いや、確実に浮かれてはいた。
今まで片時も忘れることが出来なかったと久々に再会できてしまって浮かれていた。
神様にお願いしたのはこういうことじゃないのに。
しっかりとあの時のことを謝罪して、前に進もうって話をしたかったのに。
そして、言おうと思っていたことをそっちのけてばかとかやり直したいとか。
目先のことばかり。
それに……思えば、これからやり直したい人間がどうして新しく連絡先を交換していないんだ。
「この、ばか」
見つめる手のひら。
ちょうどさっき、握手したばかりのそれには彼の熱が微かに残っている。
交換したのは連絡先じゃなくて、手のひらの熱って。
あまりにも馬鹿だ。
馬鹿だ、阿保だ。
何やってるんだ。
「……はぁ、変わらないなぁ。私は」
外見はかなり変わったとは思う。
中学生までトレードマークだったショートボブを腰まで下ろして、今では肩まで掛かる茶髪。化粧も大学生の時にYouTubeのメイク動画で沢山練習して上達したと自分でも思う。メイクだけでなく、それは服装もそうだ。
でもそれはあくまで外見だけで、内面はまったく変わっていない。
なんでも言い包められるところだけは多少言い返せるようになったけど、その他なんて微塵も変わっていない。
大好きなめかぶと納豆、嫌いなこんぶと甘納豆。
〇〇モンのミ〇ッキュが好きなところも、スカートはちょっと恥ずかしくて着れないところも、店長として仕切っているけどバイトの大学生からはしょっちゅう舐められたり、尊敬している村坂さんからはたまに子供みたいに接されることだってある。
それに、あの日に気持ちを自覚してから今もそう思うところだって。
会ったら絶対に言いだそうと思っていたのに、いざ目の前に大事なことそっちのけなところだって。
全部全部、何一つ変わらない。
「それに比べて……」
彼は、
だいたい、あの傷を見るまでは気づきもしなかった。
むしろ名前を呼んだ時だって少し疑ったくらいだ。
背も少し高くなって、目鼻立ちが高校生の頃よりも整って、髪だってあんなにきれいになって。話し方も歩き方もどこか大人びていて、私なんかよりも全然社会人で。
極めつけには、前を向くような姿勢が凄く
部活なんかして前なんてとっくに向いていると勘違いしていた私なんかよりも全然。
すべて上手で、一歩先を歩いていて。
過去に縛られて、うだうだと言う私に対して気を使ってくれて。
やさしくて、私のことすっごく考えてくれていたのに。
私ときたら、馬鹿にして、自分のことばっかり。
本当に彼はやり直したいと思ってくれていたのかすら分からないのに、避けられないような状況に持っていって。
気を使ってくれたらありがとうっていうべきなのに、言ってないし。
そういうところが本当に嫌だ。
それに、何より嫌なのは――
私を家まで送ってくれて、さりげなく道路側を歩いてくれる彼のことが
「
かっこいいと思ってしまう。
自分から振っておいて、そういうこと考えてしまうことだ。
前を向く彼が、大人びた彼が、一歩先を歩く彼がカッコよくて仕方ない。
27歳にもなって年甲斐もなくこんなことを考えてしまう
「ばかっ」
◇◇◇◇
地下鉄に乗り込み、中心部から一気に下り住宅街へ三駅ほど。
束の間の温かい車内を変わらない窓の外の景色を見て降車し、駅から住んでいるアパートまで徒歩3分。
鍵を開けて、無駄に広い1LDKの部屋に上がり、風呂に入り、今週分のアニメを配信サイトで見ながらダンベルを上げたり下げたり、ご飯を食べる。
時間が来たら日付が変わる前には寝て、朝は軽くコーンフレークを食べて、午後勤務に向けて昼前くらいに出社。
帰りと同じ時間かけて会社につき、更衣室で作業着に着替えて設計部一課の自分のデスクまでやってきてメールを確認。
それが小山内春斗の一日のルーティンだ。
「小山内さん、午後の企画会議なんですけど私研修がありまして参加できないので議事録いただけますか?」
「ん、あぁ了解。一応企画部の前田さんに確認してみるよ、研修頑張って内田さん」
「はいっ!」
直属の後輩からの連絡にも答え、メールにも返事をして、自分は自分でこの前工場で作ってもらったサンプルを測定しに作業場所へ向かう。
そんなチェックを終えて食堂でご飯を食べていると、いつものように絡んでくるのがこの人。
「小山内君、どう調子いい?」
「春雨さん、調子はすこぶるですね。それにしても何ですか、笑いに来たんですか?」
春雨純玲、俺の上司兼今の
そんな彼女はニヤニヤと笑みを浮かべながら目の前の椅子を引き、トンカツ定食大盛が乗ったトレイを堂々と置く。
「笑いになんて滅相もない。普通に様子を見に来ただけだよ」
「そうですか、笑いにねぇ」
「おい」
不満げにそっぽを向きながら、俺は格安のカレー定食のカレーを口いっぱいに頬張るとツッコミのチョップを入れてきた。
「……ん。にしても今日もたくさん食べるんですね」
カレー定食とトンカツ定食。
並盛と大盛。
ただでさえ脂っこくていかつい見た目をしているトンカツが大盛になっていると見る側としては迫力も凄く、とても女性が食べれるとは思えない量なのだが彼女はそんなことを気に留めることなく頬張っていく。
「
「ちゃんと飲み込んでから言ってください」
「—―んっ。もぅ。小山内君は失礼だよね、私にだけは」
「まぁ、伊達に後輩してませんからね」
「っふふ、大学院生の頃から見てるもんね~~」
ニヤニヤと弱みを知っているかのように口に出す春雨さんの言う通り、俺と彼女はそれなりに関係値が大きい。
大学院生でここにインターンに来て面倒を見てもらったのが当時まだ若手社員の春雨さんで、就活の時には色々と話を聞いてもらい、面接で持ち込む資料の添削までしてもらったほど。
結局内定をもらってからは本社の人も気を使ってくれたらしく、インターンで配属された部署にそのまま配属することになったという流れだ。
ちなみに彼女はあの頃から何一つ変わらない。
「変わったよね、小山内君」
「春雨さんは真逆なようで」
「うわ、ひどい!」
「事実を言ったまでですよ」
「あのね、私も女の子なんだけどなぁ」
そう言われても俺は気にせずご飯をかけ込む。
むすっと頬を膨らませているものの、言葉の節々がにやけているせいでそう思っていないのが見え見えだ。
「はいはい」
「っちぇ、バレてるのか。これは悪い男に育てちゃったかね」
そりゃ、そうだ。
ほら、と言わんばかりに舌打ちする彼女を横目に食べ続けていると彼女は少しばかり声色を変えて訊いてきた。
「それにしても、小山内君。何かあったの?」
「—―――――っぶは、っごほごほ、ごっほ」
その瞬間、脳裏に浮かんだ昨日の出来事。
そして、写真のように頭の中で見える和奏の顔で一気に顔が熱くなって気持ちとは裏腹に思い切りむせ返してしまった。
「ってあぁもぅ。大丈夫?」
「っだ、大丈夫です……て、ていうか、な、なんですかいきなり」
「いや別に。そんな感じがしてね、ほら女の勘?」
「お、女の勘おそるべし……こわ」
「それほどでも~~って、その反応は何かあったんでしょ? ん、もしかして女の子?」
「…………まさか」
「図星だね」
その一言が俺の胸にクリティカルヒットした。
「う、うるさいです。うるさいですよ」
「何々?」
「うるさいですって言ったんです」
「聞こえないな~~」
まるで煽るかのように近づいてくる春雨さん。
あっという間に最後の一口を口に入れて、笑みを浮かべたその顔のまま乗り出して訊ねてきた。
「—―何があったの?」
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