05 縁は異なもの味なもの


「それで、どうだったの?」

「んあ? え、何が?」


 火曜日、二時間目のあとの休憩時間に、突如質問は放たれた。

 さっぱり何のことかわからなったオレの口からは気の抜け過ぎた声がこぼれる。決して話を聞いてなかったわけじゃないんだっていうのは一応、主張しておきたい。

 相手に向き直れば、興味津々とばかりに彼、我妻あがつま伸也しんやは身を乗り出してきた。


「何がって、塾だよ。昨日が初日だったんでしょ?」


 さて、二月になったということは、いよいよオレの塾も始まるということだ。そして我妻あがつまの言う通り、昨日が俺の初日だった。

 部活が終わり、普段ならまっすぐに家に帰ってしまうか、部活仲間とコンビニに寄って肉まんとかチキンとかのレジ横ホットスナックを買って帰るのがオレの日課だったのだが、その日はつま先の向きを反対側に向け、最寄り駅にある塾にとぼとぼと向かった。

 普段は帰りの方向が違うから、と今まで一緒に帰ることのなかった面子と話しながら帰れたのは楽しかったけれど、それはそれだ。

 雑なエールと共に背中を叩かれて――いま思い出すとエールのわりには手加減無かったよなあれ――こわごわと塾に足を踏み入れたオレは、まさか初日から予想もしてなかった最難関の壁にぶち当たるとは思っていなかった。


「最難関?」


 首を傾げた我妻に、オレは項垂れるようにして頷いた。


「……我妻さあ、もう、進路って決めてる?」

「え? 進路?」


 初日は塾の先生との顔合わせだった。オレが通うことに決めたのは、個別指導のできる塾だ。

 昨年出来たばかりだというこの塾は、想像していたよりも内装が広かった。待機時間などに生徒が自主的に勉強を行うことのできる自習スペースと、講師に個別で教えてもらうことの出来る指導スペースが各部屋で分かれており、講師の数も多く手厚いというのが評判の塾だ。家族会議でどこに通うかという話になったときに、母親がイチオシしていた場所でもあった。

 担当になったのは穏やかな現役の男子大学生だった。とりあえず当面は、今回の休み明けテストでボロ雑巾よりもボロボロだった苦手教科をメインに、授業内容を組んでもらうことになったのだが。


「……話の途中で、先生に進路について聞かれたんだよ」

「そうなんだ。松井田まついだは、進路はもう決まってるの?」

「とりあえず大学に進学しようかとは思ってた。……ただ」

「ただ?」

「……具体的にどこに行きたいとか、何がしたいとか、なんも決めてなくて」


 一応、これまでに授業でも何回か進路の話は何度かしてきたし、近場の大学も調べたりはした。でも、それだけだ。大学受験という響きが、どこかまだ遠い他人事のように自分に響かなかったこともあって、オレは今日までに一度もこの大学に行きたいなという明確な未来の目標を持ったことがない。今このときもそうだ。

 目標があったとしても、百メートル走の自己ベスト更新、そのくらいだ。目の前の部活動の方が、少し先の進路の話よりも明確で、考えるのが容易かった。

 ――進路が決まっているなら、それに合わせた授業も組めるけど、どうする?

 何気なく講師にそう言われて、オレは一瞬口ごもった。けれどそもそもが学力の底上げが目的の塾通いだったのだ、すぐにとりあえず今は大丈夫です、と提案を断った。

 けれど、なんとなく内側にもやもやしたものが増えて、今もどこか魚の小骨のように引っかかっている。


「シュンにも聞いてみたんだけど、あいつは就職組だったからあまり参考にならなかったんだよなあ」


 勉強が出来るのだからてっきり岡埜谷おかのや俊一郎しゅんいちろうも進学するのだと思っていたオレは、今朝昇降口で本人からそんな話を聞いてしまい、ものすごく驚いた。学校あてに企業から求人が来る話はオレも知っていたけれど、その中から県外企業を選ぶ算段らしい。

 しかも、特に仕事内容にも企業にもこだわりはないようで、東京方面に行けるならどこでもいいなんてのたまっている。

 オレの話を一通り聞き終えた我妻は、困ったように眉をさげた。


「そっかあ。……とはいえ、僕もあまりまだ進路は固まってないからなあ、参考にするのは無理かも」

「シンヤもかあ。シンヤがそれなら、オレもまだ焦んなくていいかな」


 最悪、三年生になってから考えるのでもいいのではないかと楽観的な部分のオレが囁いた。

 春になればオープンキャンパスも始まるから、雰囲気とか学科とか、実際に見てから決めるのもいい。今はしっかりと勉強を巻き返すべきではないか。


「うーん、同じラインにいる僕が言うなって話になっちゃうけど、安心しちゃうのもそれはそれでどうなんだろなあ。……あ、そうだ」


 自分を正当化するための砂山を作っていたら、ふいに我妻が何かに思い当たったかのように声をあげた。首を傾げるオレに、我妻が斜め前の空席を指差して言う。


広瀬ひろせには聞いた? 広瀬、早い段階から進学先を決めてたし、去年とか先輩たちに混ざって進路指導室にも入り浸ってたみたいだから、松井田の望む参考にはなるかも」


 衝撃そのいち。まさかのもう一人の身近な人物が最適解だった。

 確かに今まで広瀬とは……いや違うな、広瀬だけじゃなくて岡埜谷おかのやや我妻たちともあまり進路の話はしてこなかった。こういう話って、どこまで踏み込んでいいのかって難しいから、避けていたところもある。だからこそオレは岡埜谷のことを勝手に進学組だと決めつけていたし、広瀬のこともオレの中では就職組だと思っていた。

 あいつ、進学が希望だったなんて。オレは立ち上がった。


「マジで? じゃあさっそく……あれ、コータはどこ行った?」


 思い立ったが吉日。即行動。餅は絵に描かない。そんな意気込みで広瀬を探し始めたオレだったが、どういうわけだかクラスメイトである彼の姿は教室に無かった。便所か、あいつ。


「あ、今の時間は顧問に呼び出されてるっぽいよ」

「はあ!? こんな時間に呼び出しってなにしたんだよ!?」


 衝撃そのに。いやまじでなんでこの微妙な中休みに呼び出しを喰らってるんだあいつ。

 顧問も呼ぶなら昼休みか、部活前の放課後にしろっての。出鼻をくじかれたオレは、力なくその場で着席した。

 まあいいか、と思う。相手は広瀬だ。クラスも一緒だし、部活動も一緒なのだから、尋ねようと思えばいつだって尋ねられる。


 そうだ、いつだって。


「あ、そうだ。なあシンヤ、ホワイトチョコとミルクチョコ、どっちが好き?」


 とりあえず悩みを明後日の方向へ投げ捨てたオレは、今は目先の問題を片づけることに決める。突然別方向へと舵をきった質問の意図が読めなかったらしく首を傾げた我妻に、いや彼女持ちのお前がそれを忘れててどうするんだよと内心ずっこけながら言った。


「来週、バレンタインだろ?」


 合点がいったらしい我妻が、しょぼんと悲しそうな顔をした。

 あ、ごめん。本当にごめん。彼女、留学してるんだっけ……。



 バレンタイン。貰えないなら、あげればいい。

 ということで。中学三年生のときからオレは、来る二月十四日には大袋に入った一口チョコレートを鞄の中に仕込み、まるでサンタクロースのように友人たちやクラスメイトたちにチョコレートを配る側に回っていた。これ、結構良いぞ。野郎からはヒーロー扱いされ、女子とは運が良ければお菓子交換が出来て、腹が減ったときはオレも食べれる。最高だ。ハッピーバレンタインだ。

 まあ難点は本命が貰えないのと、先生にバレたら即没収されることだけれど。

 今年も広瀬たち陸上部に配り、クラスメイトたちに配り、ゆきちゃんを始めとした女子とも友チョコ(断じて義理チョコではない。友チョコだ)を交換して。同じ鞄を抱えて、オレはこの日も塾に向かった。


「ハッピーバレンタイン!」

「え、まじで? いいの?」

「おう、遠慮なく食べてくれ!」


 友達を作ることは、昔から苦じゃなかった。

 月水金で塾に通うことになったオレは、もう既に何人か話すことの出来る相手が出来ていた。同じ講師に、同じコマで教えてもらっているやつや、迎えを待つ間玄関口で話しかけて、意気投合したやつ。自習スペースで転がった消しゴムを拾ってくれたやつ。いまチョコを受け取ってくれたのがその彼だ。

 今日も今日とて苦手な勉強を乗り越え、這う這うの体で建物を出たオレは、玄関口で迎えを待っていた塾仲間にもチョコレートを渡した。余ったらオレが食べればいいだけだが、どうせならいろんなやつに渡したいし、喜んでくれたら嬉しい。

 チョコレートを受け取って顔を綻ばせた彼を見送って、早くオレんちも迎えが来ないかなーとぼんやりと駅前のロータリーを眺めていたときだった。一人の女の子が、建物から出てきた。

 この辺りではあまり見ない制服だった。オレたちの通う朝凪高校の女子のスカートはチェックの模様が入っていて可愛いやつだけど、いまオレと二人分ほど距離を開けて立つ彼女が纏う制服は、紺一色のシンプルなプリーツスカートだ。リボンも大人しめの暗い赤色で、どこか上品さを感じさせる。スマートフォンの画面を見つめているその姿は、おそらくオレと同じで迎えを待っているのだろう。

 オレはもう一度鞄の中に手を突っ込んだ。うん、ある。


「なあ」


 冬の寒い時期だ。迎えを待つ生徒の大半は、暖房のついた自習スペースで勉強しながら親の迎えを待っている。だから現在の塾の玄関口にはオレと彼女しかいない。

 彼女は自分が話しかけられたとわかったようで、ゆるりとこちらを見た。オレは鞄から大袋ごとチョコレートを取り出して見せる。


「今日バレンタインだから、みんなにチョコレートを配り歩いてるんだけど。良かったら食べ……」


 袋を両手で彼女へと突き出しつつ、目を合わせることに成功したオレは、けれど言葉を最後まで発することが出来なかった。

 思わず目が丸くなる。深く沈んだ夜の中、玄関口の蛍光灯に二人、てらてらと照らされる。

 はく、と。始めて鰓呼吸でもしたみたいに、オレは不器用に息をした。


 謹啓、神様。もしかしてオレのテストの点数をカバーしなかったのは、今日この瞬間、この出会いのためでしょうか。謹白。


「…………」


 黙り込んだオレに対して首を傾げた彼女の、相変わらず高く結ばれた黒髪がしゃらんと揺れる。大晦日で目に焼き付いた赤と白の装束が、重なってみえる。

 会えた。望んでいた嬉しさより先に、やっぱり綺麗だなという気持ちがオレの心を奪っていく。


 そう、いまここで見つめ合っている相手こそ、大晦日にオレが一目惚れをしてしまった相手である巫女の少女、雪村ゆきむら奈々香ななかだった。

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