06 伐性之斧
運命ってものがあるなら、信じるを通り越して心酔してしまいそうだ。
そのくらい、この状況にオレの心臓はばくばくと暴れていた。
だって、もう一度会いたいなって思ってた。
こっそりみんなの目を盗んで神社に行って、もう一度彼女に会えますようになんて神頼みだってしてた。
それでも、名前も知らない、住んでる場所も知らない、そもそも同じ学生なんだろうかと疑問だらけの相手だったから、ちょっと諦めにも似た気持ちが底で浅く広く、そしてひんやりと波打っていた。
今その浅瀬は、一瞬で温泉のようになってしまったけれど。
相変わらずの外の寒さは厳しい。手袋をしていないオレの手なんか、さっきまで指先がかじかむようだった。
だというのにオレは今、自分の手の熱で、持っているチョコレートたちが全部溶けてしまうんじゃないかって心配を始めている。
そこでようやく、オレの奪われた心が元の場所に戻ってきて、じわじわと心臓から踊りだしたくなるような気持ちが広がった。
どうしよう。会えて、すげぇ嬉しい。
「……あの。大丈夫ですか?」
「へっ!? あっ、何が!?」
「……突然、こっちを見たまま動かなくなったら……」
オレ自身は正直自分の中の感情と向き合うので忙しいけれど、第三者から見ればオレはただのフリーズしたロボットみたいなものだ。内側の忙しさもせわしなさも相手からすればわからない。
こちらを見つめたまま動かなくなったオレを心配したのか、彼女が恐る恐るといった風に話しかけてきて、オレは声がひっくり返ってしまった
「……私の顔に、なにかついてます?」
「いや、ついてない! ついてないからその心配は大丈夫!」
しまった。じっと見過ぎた。
オレはぶんぶんと首を横に振ると、当初の目的だったチョコレートを改めて大袋ごと差し出した。「食べる?」と今度こそちゃんと最後まで言い切れば、彼女の瞳が迷子のように左右に揺れた後「いいの?」と尋ね返してくる。
間髪入れずに頷けば、「ありがとう」と小さな声のお礼と共に、恐る恐る白い指先がチョコレートを一個だけつまんでいった。
もう一個くらい持っていけばいいのに、と思ってその場で言えば「大丈夫」と今度は首を振られる側になる。
謙虚だ。遠慮なく三つも持っていった
個包装が丁寧に剥がされた一粒が、彼女の口の中にころんと消えていく。それを見ていたらオレもチョコレートを食べたくなって、大袋を鞄に仕舞うついでに自分の口にも一粒放り込んだ。冬場のチョコレートはやっぱり格別で、さっきまで酷使していた脳に甘さが染みわたる。
「はぁー、やっぱり勉強したあとには甘いもんだよなー」
「へ? あ、うん。そう、ですね……?」
特に何も考えず放った言葉だった。けれど、相手がどうやら会話だと受け取ってくれたらしい。困惑しているところに付け込むのは申し訳ないなと思いつつ、このタイミングを逃すつもりはなかった。
せっかく出会えたのだ、話だってしてみたい。
「オレ、今月からここに通い始めたんだけど、塾が始まってから甘いものが食べたい衝動がすごくてさ。なあ、君もここの塾生だろ? ここに通って長いの?」
「ええと。一応、ここの塾が開業してすぐに入ったから、長いといえば長い、のかな」
そういえばまだ新しい塾だったっけか。自分の質問の足りなさを嘆きつつ、口に出してしまったものは仕方ないと開き直る。
「すげえ、古株だ。塾の先輩だ。え、いま何年?」
「……高二。来年から高三、です」
「まじか、タメじゃん! オレも来年から高三! オレはすぐそこの
「……
「……お嬢様学校だ……」
同級生だと発覚して浮足立ったのもつかの間、耳にした学校の名前に思わずオレは慄いた。
上品だなと思っていた彼女の制服が、なんだかドレスのように見えてきた。隣に立つオレは、果たしてドレスコードの条件をちゃんと満たしているんだろうか、なんてことまで考える。
うん、ドレスコードがあってもなくても、宵波女子の隣に並ぶにはうちの学ランには荷が重い気がする。
時代はブレザーなのかもしれない。
「……そうでもないよ。ただの女子高」
勝手にぐるぐるしだしたオレに、彼女はゆるりと首を振った。
雪がちらちらと舞い始める。オレも彼女も迎えはまだ来なくて、寒空の下、ふわふわと白い息を代わりばんこに空に送っている。
「オレ、
「……
教えてもらった名前を、オレは口の中で転がした。
名前も知れた。学校も知れた。何なら、同級生だってわかって、これから同じ塾に通い続けるんだって思ったら、心躍った。何一つ知らなかった昨日までと比べたら、天と地の差だ。
欲しかった羽根を得て浮かれあがったオレは、背に生えたそれに押されるように、もう一歩欲張った。
「……あのさ。オレのこと、覚えてる?」
雪村奈々香が、きょとんとした顔でオレを見上げる。オレの顔をよく見るために細められた瞳に、玄関口の蛍光灯の光が映り込んで、きらりと光る。
「どこかで、会いましたっけ……?」
訝しむような顔で俯いて、考え込んだ彼女に、オレはあわてて前のめりになって頷いた。
「会った! 大晦日の神社で、声をかけてくれた巫女さんって、奈々香ちゃんだったよな?」
その言葉に、ぱっと彼女が顔をあげた。丸くなった瞳が、オレをまっすぐに映している。それが嬉しくて、オレは言葉を重ねる。
「『神様って、いると思う?』って、あのとき――」
「――忘れて」
キィン、と。さきほどまで戸惑いと柔らかさを纏っていたはずの彼女の声が、冷たく、鋭く、鋼の音を響かせた。
オレの声を遮ったその一言は、大声で発せられたわけじゃない。
それでもオレの耳にはしっかりと届いたし、オレの言葉だけではなく、思考や動きまでをぴたりと止める強さを持っていた。
喜びで火照っていた身体が、氷点下を思い出す。防寒具の温かさが戻ってきて、けれどそれを無意味にするような寒さがマフラーの隙間からオレの肌を冷やしていく。
もう一度、彼女と目が合った。そこに、いつかみた雪の結晶のような光はない。蛍光灯の光すらそこから追い出されて、ただただのっぺりとした影だけが沈み込んでいる。
それは拒絶だった。ぎらりとしたナイフを喉元に突きつけられるような、こちらに有無を言わさない強い拒絶だ。
「お願いだから、あの日の質問は、忘れて」
衝撃を受けたオレが二の句を継げずにいれば、一台の軽自動車がオレたちの前に止まった。うちの両親はどっちも普通車に乗っているひとたちだから、おそらく彼女の迎えだろう。
ふい、とオレから視線を逸らした彼女は、そのまま迎えの車に乗り込んだ。助手席に滑り込んだ彼女が窓越しにオレのことを見る、なんてことはなく、するりと車は発進する。
本格的に雪がばら撒かれはじめた夜に、テールランプが消えていく。
開いた口が塞がらす、冷たい空気が口内にも満ちていく。雪の一片もオレの口に入る。
それでもなお、しばらく動かぬ氷像となっていたオレは、父ちゃんが迎えに来て始めて、自分自身が再起動する音を聞いた。
呆然としたままシートベルトを装着したオレは、そこでようやく声を発することが出来たのだった。
「……え」
もしかして。あれは、触れちゃいけない話だった?
龍の逆さの鱗とか、親熊が見当たらない子熊とか、そういう類のものだった?
彼女との会話を反芻する。うん、やっぱり、彼女の態度があからさまに変わったのは、オレが神社での話を持ち出してからだ。
オレにとっての運命の再会は、彼女にとっては最悪の再会だった、ということになるのだろうか、これは。
「……うあー、マジか」
だとしたら、かなりショックだ。
本人に直接訪ねて確認していない以上、これだってオレの想像とか勝手な考えでしかないけれど、今回のは決して的外れな考えではないんだろうなと、彼女の態度と声色を思い出してへこむ。
オレは背もたれに力なく身体を預けると、腕で目元を覆った。実際に涙が出るわけじゃないけれど、ちょっと泣きそうだ。
会えて嬉しくて、話せたことで完全に浮かれ上がって、初手からもっとって欲張って。
その結果がこれだ。相手のことなんて考えてなかった。
そんなの、今日知り合ったばかりなんだから無理に近いだろって思う自分もいたけれど、でももっとどうにか出来たんじゃないかって自分もいて、平行線でじりじりと睨み合っている。
「んー? どうした、蓮」
「……なんでもない……」
「そうかい?」
オレの言い分を丸呑みにした父親がラジオの曲に合わせて鼻歌を歌う。
いつもなら一緒に口ずさんだりするそれも、内心ぐちゃぐちゃになっている今日のオレにはひどく耳障りで、「うるせー!」って刺々しい文句ごと当たり散らしてしまいたかった。けれど、結局それも選べないまま、オレはおとなしく家まで運ばれていく。
それでも塞いだ瞼の裏に広がった暗闇で、彼女の姿は焦がれるほどに眩いままだった。
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