第5話



 びっしりと顔料の瓶が詰まった木箱は重い。薪の倉庫に配達人が運び込んでくれるが、場所を移動させるのも一苦労だ。ただし、重いものを動かそうとすると、フェリックスがグイグイと頭を使って押して手伝ってくれるようになったので、助かる。

 竜は人を見ているのだ。

 その人が何をしたいのか、しようとしてるのか、彼らは察しようとしてるところがあって、行動力や好奇心が強い個体は、自発的にその行動を起こすことがある。

 フェリックスはよく、竜騎兵団において「好奇心が強い」と言われる。

 最近それがよく分かって来た。

 確かにフェリックスは賢いが、それ以上に行動を起こすことが多いのだ。

「ありがとう」

 押すのを一緒にしてくれたフェリックスの額に触れる。クゥ、と返す彼はやはり嬉しそうに聞こえる。ちゃんとありがとう、という言葉が伝わってる気がするのだ。本当に、単純な動物というより、賢い子供とかの方に行動が近い気がする。

 蓋を外すと青い顔料がいっぱい詰められた瓶が入っている。

 わぁ……、とネーリは感嘆したような溜め息をついた。

「青の顔料はとても高価なんだよ。見てこんなにたくさん。すごいね。綺麗だなぁ……」

 瓶を、一つずつ箱から出して、横長の棚に置く。

「青の瓶を並べて見てるだけで絵が描きたくなるね」

「クゥ」

 ふふ……、頬づえをついて眺めて呟いたものに返事がちゃんと返って、ネーリは微笑む。

「他の色もあるよ。緑に、黄色に……」

 木箱の中に分別する為に更に小さな箱が入っている。

「……赤と白」

 瓶を綺麗に並べて、隣のフェリックスを見ると、大きな金色の瞳でじっとネーリを見ている。そっとネーリはその額に触れた。

「君に見つめられると、何でも全て話したくなっちゃうね」

 絵の方を振り返る。今はずっと樹を描いているところだ。一面の青の中に、樹が並び始めている。樹を描き込んだら、樹の影を描く。次に影の当たらない光を。

 近づき、そっと青い下地に触れた。

 まだ絵の全体の、時間帯が決まらないのだけど、光源のイメージは固まって来た。

(やっぱり射し込む光、じゃない)

 天から大地に降り注ぐ光じゃない。この絵は。

 精霊が立ち寄る一過性の場所じゃない。

 大地そのものに宿っている。光が。

 本来、大地は深い色をしている。

 或いは、天から照らされて大地が輝く。

 そのいずれも使わない手法で、大地の光を描くべきだ。

(大地を明るい色調にしよう。でも、眩しすぎてもだめだ。

 不自然じゃない、精霊とは、人の目には映らない世界。

 でもそこに在る、感じとれるもの。

 そういうものが宿っている気がすると信じれる、穏やかな世界……)



「お前はいつも、ネーリが描いている所を側で見れていいな」



 振り返るとフェルディナントが入り口に立って、ネーリの側で、一緒になって絵を見上げている愛竜を笑っている。

「飛行演習だぞ。フェリックス」

 クゥ! と明らかに嬉しそうに返事をして、フェリックスが歩いて薪の倉庫から出て行った。伸びをするように、大きな翼を動かす仕草をしている。飛びたくて仕方がない、という感じだ。

「ネーリ。トロイから聞いた。明日からヴェネツィアのアトリエを重点的に捜査してみることになった。知り合いの画家もいるんだろう? 警邏隊の事件や、他の殺人事件の捜査であり、必要なことだが慎重にやらせるから、もし友人が不安がっても、乱暴なことは決してしないから心配するなと言ってやってくれ」

 ネーリはあまり画家と交流を持たない。だからそんなことを言ってやる必要のある相手はいなかったが、フェルディナントの気遣いは嬉しかった。

「ありがとう。でも大丈夫だよ。ヴェネツィアの街の人は、竜騎兵団の人達が公正な捜査や巡回をしてくれてることをもうちゃんと知ってる。街で騒ぎを起こしていた警邏隊が今はいなくなったのも、フレディたちのおかげだもの。みんなきっと、捜査に快く協力してくれるよ」

 労いを受けて、ありがとう、とフェルディナントが微笑む。

「じゃあ行って来る。……お前も、ちゃんと休みは取るようにな」

「うん」

 フェルディナントが去って行って、集合の鐘が鳴らされてる。

 竜騎兵団が飛び立っていく姿は好きなので、ネーリも倉庫から出て騎士館の側から見送った。フェリックスはネーリにとって、いつも懐いて、側にいたがって可愛いのだが、やはり参集した竜たちの中にいると、雰囲気が確かに変わる。隊長騎の雰囲気を纏い、仲間たちを従わせる覇気を持つのだ。


(フレディに似てる)


 フェルディナントも普段は穏やかで優しい青年だが、竜騎兵を率いて公務につく時は、毅然とした姿や表情を見せる。フェリックスは一鳴きして翼を羽搏かせると、仲間たちを率いて飛んで行った。

 やっぱり竜騎兵も騎竜も飛んでる姿が一番かっこいいなあ。

 目を細めて彼らを見送ってから、ネーリは倉庫の中に戻った。

 積み上げた木箱の側に戻り、中で色を区別する為に分けてある小箱の一つを、外には出さず蓋を開けた。そこには二本の短い短剣が入っている。これは一般的な護身用のものだ。

前に持っていた武器は強度も攻撃力も特別なものだった。しかし海に沈んでしまったのだ。

ここから先は自分の力で何とかしなければいけない。

(こうやって、段々無くなって行く。おじいちゃんが残してくれたもの)

 ネーリは蓋を閉じ、短剣を、絵を描く道具の底に移動させた。

 前の武器は特殊だったので見つかるとややこしかったが、これは普通の短剣なので、見つかっても最悪護身用だという言い訳は立つ。

 しかし祖父が【ゾルフィカル】の名で呼んでいた特殊な金属で作られた三角刃に、【フィッカー】と名付けたあの自動弓。あの二つは、たった一人で戦うネーリにとっては、最高の剣であり、盾だった。これからは本当に自分の身体能力と、剣だけで勝負をしなければいけない。

(でも、僕はやるよ)

【シビュラの塔】の現在を確かめる。

 一度は失敗をし、死にかけた。それでもやらなくてはいけないことなのだ。

 扉が開いているかどうかを確かめ、戻ることが出来れば、フェルディナントに全てを話す。彼が、ネーリが扉を開扉した可能性があることを許してくれたら、これから自分がどうすればいいか、フェルディナントと話して決めたいと思う。この地で、神聖ローマ帝国を守るためにやって来た、彼の為に出来ることがまだあるならやりたいと思うし、協力がしたい。フェルディナントがネーリの存在を許すことが出来なければ、ヴェネトを去り、彼の前からも去り、二度とこの地には戻らない。

そういう心構えは、もう決まった。

 いずれにせよ、あの地にはもう一度赴かなければならない。

 静かな森の雰囲気の絵を見上げ、ネーリは亡き祖父を思った。

(それだけは絶対にやってみせるよ。おじいちゃん)

 多分ヴェネトの為に、自分が出来る最後のことだから。



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