005 三つ首のライオン
目の前の川岸には、ライオンに似た猛獣がじっと佇んでいる。
だが、そこにあるのは一つの頭ではなく、三つの首。
ファンタジーでしか見ないような三つ首ライオンに思わず息を呑む。
「まさか、こんな怪物がいるなんて……」
亜希が震える声で呟く。
遺伝子改良技術に好意的な彼女だが、その顔は嫌悪感に染まっていた。
「ガルッ、ガルゥ……」
三つ首ライオンは水を飲むのに苦労していた。
首の長さが足りず、三つの口で同時に水分を摂取できないせいだ。
右に左にと首を振り、他の頭に対して威嚇の咆哮を繰り出している。
「悠希くん……どうしますか? ここでやり過ごして、別の川を探すっていうのもアリだと思いますけど」
亜希が小声で判断を仰いでくる。
異形のライオンを前にした恐怖からか黒髪が揺れている。
いや、理由はそれだけではないだろう。
この先のことを考えて不安になっているのだ。
「うーん」
俺は茂みの陰から様子を窺いながら考える。
今なら簡単に逃げられるが、それが正しいかは悩ましいところだ。
ここであのライオンを見逃したら、後々もっと大きな被害が出るかもしれない。
「問題を先送りしても解決にはならない。危険だが仕留めよう」
「分かりました。でも、どうやって戦えば……」
今の俺たちには武器がない。
「さすがに素手で倒すのは無理だ。とりあえず退いて準備を整えよう」
「その間にライオンがいなくなった場合は?」
「探して倒すさ。追跡はサバイバル技術の基本なんだね」
俺と亜希は後退を開始。
静かに、そーっと、気づかれないように……。
ガッ。
問題が起きた。
亜希が枝か何かを踏んで音を立てたのだ。
「ガルッ!?」
三つ首のライオンが振り向く。
だが、しばらく茂みを睨んだあと、再び顔を川に向けた。
よほどノドが渇いているようだ。
「すみません……!」
「大丈夫さ。俺が一緒だから安心するといい」
亜希がパニックにならないよう大人ぶった対応をする。
しかし、内心ではこう思っていた。
(やっべぇぇぇぇぇ! バレなくてよかったぁぁぁぁぁ!)
心臓が止まるかと思った。
◇
撤退が無事に完了した。反撃開始だ。
静かな森の中、俺は周囲を見回しながら作戦を練る。
やるならば、徹底的に――それが戦いだ。
「くくり罠で動きを止めて、槍で仕留めるか」
辿り着いた結論がそれだった。
単純に武装するだけでは勝ち目が薄い。
何せ相手はムキムキの大型だ。
それに、三つ首がどう作用するか分からない。
「くくり罠って、動物の足を絡め取るアレですよね」
「そうだ。材料は森で調達する」
「できるんですか?」
「問題ないよ。ロープ部分はツタとかの植物繊維を使う。締め上げるための仕掛けは……そこにある木の幹を軸にできそうだな」
俺はしゃがみ込み、足元の土をかき分けながら強度の高い木の根を探す。
幸いにも、しっかり根を張った木が何本も生えていた。
木の幹を支点にし、しなる枝を使ってバネのようにすれば、大型獣でも動きを止められるはずだ。
「あとは槍だな。石を尖らせて先端にくくりつける方法もあるが、今は時間が限られてる。ひとまず木の先を削って硬化させるだけでも十分だろう」
「わかりました。私も手伝います。……悠希くんが罠を作っている間、私は槍の整形をしておきますね」
「助かるよ。硬い枝を選んでくれ。火で先端を炙って固くするから、できるだけ太めの枝がいい。長さは……俺の腕の二倍くらいが理想だ」
「はい、任せてください」
亜希は慣れない手つきで木の枝を探し始める。
タイトパンツが汚れることに何の抵抗感も示していない。
(大したもんだ)
亜希の姿に感心する。
引き締まったヒップが素晴らしい、という意味ではない。
もちろんそれもあるが、彼女の取り組む姿勢に感心していた。
化学が専門とのことだが、こういう現地調達での製作は経験がないはずだ。
それでも文句を言わずに動いてくれるのは心強い。
ライオンと戦う選択をあっさり受け入れた点にも理性の強さを感じた。
(俺も頑張らないとな)
まずは強度が必要な支点を選び、そこに絡める形で太いツタを用意する。
ツタは幹と根の間をぐるりと回し、足の踏む場所には落ち葉をかぶせた踏み板を仕込んだ。
ちょっとした足裏の圧力でトリガーが外れ、枝が跳ね上がって獲物の足を締め上げる仕組みだ。
「悠希くん、こんな枝で大丈夫ですか?」
「おお、さっそくいい感じのやつを見つけてきたな。よし、じゃあこれを切り出して……」
亜希が集めてきた枝は、長さも太さも申し分ない。
俺は小石や尖った角材を使って表面の節を削り落とし、先端部を火で炙って焼き固める。
「これで最低限の武器はできた。一本は俺、もう一本は亜希の分な」
「分かりました。でも私、お役に立てるかどうか……」
「大丈夫。二本とも俺が使うから」
「え?」
「詳しいことは戻りながら話すよ」
「分かりました」
二人で川に向かう。
説明しながら、色々な戦闘パターンを脳内でシミュレーションする。
あらゆる展開を想定し、状況に応じた立ち回りを考えておく。
(問題はライオンの足がきちんと罠に引っかかるかどうかだな)
罠が成功すれば楽に勝てるはずだ。
だが、罠が不発に終われば危険な事態に陥る。
この点がどう転ぶかは運次第――実践あるのみだ。
◇
しばらく歩いて川に着く。
相変わらず三つ首ライオンは水際でうろうろしていた。
川辺に伏せて、顔を川に突っ込んではすぐに上げている。
威圧的な見てくれに反して間抜けもいいところだ。
俺たちは先ほどと同じように茂みから様子を窺う。
「作戦は事前に説明した通りだ。合図をしたら俺に槍をくれ」
「分かりました。それくらいなら私にだってできます」
俺は槍をしっかり握りしめ、短く息を整える。
「やるぞ!」
俺は茂みから飛び出した。
助走をつけながら狙いを定め、思い切り槍を投げる。
「木の槍を投げる技術ならアスリートにだって負けねぇ!」
放たれた槍は、レーザービームの如く一直線に飛ぶ。
そして、見事、ライオンのケツに突き刺さった。
完璧な投擲だったが、思ったよりも刺さり具合が悪い。
ライオンの筋肉がそれだけ硬かったのだろう。
「ガオォォォッ!」
三つの首が反応する。
ライオンは振り返ってこちらを睨みつけた。
明らかに怒り心頭の状態だ。
「さすがに致命傷とはならなかったか。亜希、作戦通り逃げるぞ! 槍をよこせ!」
「はいっ!」
俺たちは声を合わせて、川から離れる方向へ駆け出す。
案の定、三つ首ライオンは激しい咆哮を上げながら追いかけてきた。
地面を蹴る音がすさまじく、背筋がゾクッとするほどだ。
だが、それでいい。
仕込み場所へ誘導するのが目的だから。
ズシャッ!
派手な音が響いた。
ライオンの踏み込んだ地面が動き、仕掛けたツタが跳ね上がったのだ。
「よし、捕まった!」
理想通りの展開だ。
「ガルルッ……ガォォ!」
ライオンの前脚が強く締め上げられ、その巨体が急ブレーキをかけるようにバランスを崩す。
必死にもがいているが、力尽くでどうにかできるものではなかった。
「俺のくくり罠はAIが神評価を下した傑作だ。なめんなよ!」
とはいえ、油断することはできない。
俺は素早く駆け寄り、持っている槍を繰り出した。
「っ……らああああっ!」
ライオンの首元に強烈を突き刺す。
一気に血しぶきが上がった。
「もういっちょ!」
槍を抜いたら体を回転させて、全く同じ箇所に追加の攻撃。
硬い筋肉を貫く。
三つの首が乱れた方向へ倒れ込んだ。
それでも、まだ生きている。
弱々しい呼吸を続けているのだ。
「マジかよ! ならば!」
トドメの一撃を放とうとする。
しかし、その必要はなかった。
三つ首ライオンは静かに絶命したのだ。
「ふぅ……」
デカい獲物を仕留めた安心感から、無意識に息を吐いてしまう。
未だに胸の鼓動が高鳴っているが、勝利の確信が湧くと体が一気に脱力した。
「悠希くん、すごい! やりましたね!」
亜希が走り寄ってきて、そのまま勢いよく抱きついてきた。
柔らかい感触と熱い呼吸が伝わってくる。
俺は驚きながらも彼女の肩をそっと受け止めた。
槍は地面に捨てた。
「たしかに倒したが……これは?」
「ご、ごめんなさい。なんだか、すごく興奮しちゃって……」
亜希は少し離れて、恥ずかしそうに視線をそらした。
だが、すぐに距離を詰めてきた。
「あ、あの、悠希くん。やっぱり、もう一度……いいですか?」
「え? もちろん、いいけど」
亜希は顔を見上げて動かない。
抱きついてくるのかと思いきや何もしないのだ。
(もう一度っていうのは、俺に抱きしめてほしいってことだったのか)
俺は亜希の背中に両腕を回した。
息絶えた三つ首ライオンの前で、彼女を強く抱きしめる。
すると――。
「悠希くん……あの……私、なんだか変で……たぶん吊り橋効果だと思うのですが……」
亜希が何かを求めるように俺を見つめてくる。
残念ながら童貞の俺には正解が分からない。
あと、吊り橋効果が何なのかも分からない。
ただ、童貞ながらにこう思った。
(もしかして、キスしていい流れなのか!?)
間違っていたら大問題になる。
だが、亜希の様子を見る限り、そんな風に感じた。
(ええい! 違ったら頭を下げて逃げればいいだけだ!)
ライオンに勝った興奮からか、俺は強気になっていた。
「亜希、もし嫌だったら言ってくれ」
彼女の名を口にしながら、唇を重ねてみる。
不安だったが、亜希は全く抵抗しなかった。
それどころか受け入れている。
「んっ……」
最初は軽く触れるだけのキス。
しかし、それは本当に最初だけだった。
「はぁ……っ」
亜希の呼吸が熱を帯びはじめてきた。
すると彼女は、舌先で俺の唇をそっとなぞってきた。
その瞬間、俺の胸の奥からドクン、と衝撃のような歓喜が走った。
俺も応じるように舌を出す。
互いのが絡み合い、甘い唾液の味がゆっくりと溶け合う。
彼女の細い腕が俺の首に回り、俺の腕にも力が入る。
「んっ……、んっ……」
短い呼吸が混じり合う。
亜希の鼓動が伝わってきて、欲望が駆り立てられる。
頬や耳が赤く染まり、理性が薄れていく。
「こんな場所で言うのもなんだけど、この先も……いいよな?」
「うん……!」
亜希がうなずく。
その小さな仕草で、俺のテンションは最高潮に達した。
だが、その時だった。
「――!」
不意に誰かの足音が近づく気配を感じたのだ。
俺はハッとして身を離した。
「どうしたのですか?」
「何かが迫ってくる」
「え?」
不安そうな亜希。
俺は槍を拾い、緊急事態に備えた。
構えていると、気配の主が姿を現した。
短いピンク髪が特徴的なホットパンツの女だ。
むっちりした太ももが魅力的なそいつの名は――。
「晴菜かよ!」
「なんすかその反応!? というか、そんなところで何をやっているっすか!? ……って、何すかそのライオン!? あれ? 首が三つある!?」
ギョエェェ、と叫ぶ晴菜。
そんな彼女を見て俺は思った。
(間の悪いタイミングで来やがって、コイツ……)
晴菜の登場によって、亜希との異様なムードが消え去った。
さすがにここから「先ほどの続きをしましょう」とはいかない。
亜希も我に返っており、恥ずかしそうに顔を伏せていた。
(でも、このタイミングで来てもらえてよかったのかもな。俺たちのキスに気づいていないようだし)
もし晴菜がもう少し遅く現れていたら、言い逃れはできなかっただろう。
何故なら俺は下半身を露出していたに違いないからだ。
逆にもう少し早く現れていたら、キスを目撃されていただろう。
それはそれで面倒なことになりかねない。
「見ての通り化け物がいてさー」
俺は何食わぬ顔で話を進めた。
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