お飾り王子妃の可憐なる反乱

阪 美黎

お飾り王子妃の可憐なる反乱

 伯爵令嬢セシリアと王太子ルシアンは許嫁同士であった。

 政略的な結びつきだったが幼少期から仲睦まじく、可憐なセシリアと眩い美貌のルシアンは宮廷でも常に話題の中心であり、その人気は市井の民にも及ぶほど。

 セシリアが17歳を迎えた春、ふたりはめでたく王宮内の教会にて婚礼をあげた。

 祝福こそすれ、誰ひとり彼らの婚姻に異を唱えるものはない。

 ヴェール越しにそっと口付けを交わして、婚約者から夫婦へとなったのだった。

 彼らの前途には何一つ翳りはなく、おとぎ話のようにいつまでも幸せに暮らしました。……となるはずだったのだが。



 伯爵令嬢から王子妃となったばかりのセシリアは、落ち着かない気持ちで居室をうろうろと歩き回る。

 輿入れに合わせて築かれた館は、花嫁同様に真新しい。

 これから暮らすこの部屋は、同時に夫婦の部屋でもある。……夜を共にするための。

 部屋続きには、存在感ある天蓋付きの寝台が鎮座しており、否応なく意識してしまう。

 初夜というものを。

「少し落ち着きなさいませ、姫様。はしたのうございますよ」

 落ち着きのないセシリアを見かねた侍女のマーサが呆れ顔で声をかける。

「仕方がないでしょう!殿下と夜を過ごすのは、は、初めてなのだから……!」

 マーサはセシリアを幼少期から支えてきた年長の侍女で、同時に教育係でもあった。第二の母とも言えるマーサは、彼女の輿入れに帯同した。

「誰にでも初めてはございます。以前から申し上げていたように、すべて殿下にお任せすればよろしいのです。姫様は天蓋の柄でも数えていらっしゃいませ」

「数え終わったらどうするの?」

「ご心配には及びません。夫婦の営みは肌を重ねること……きっと、それどころではなくなりますゆえ」

「?」

 それどころではなくなる……って?どういうことかしら?

 セシリアは首を捻るが、マーサは口を閉ざして、それ以上の助言をくれない。

 仕方がなく小さく息をついて、夜闇に鈍く光る結婚指輪に目を落とす。

 金色のそれは、ルシアンと指輪と対となっており、彼女が王子妃として王家の一員になったことを示す紋章付きだ。

 ルシアン殿下はいずれ国王となられるお方。となれば、私には世継ぎの王子を設けるという責務があるのだわ。いつまでも婚約者気分でいてはいけないのよ、セシリア。私は王子妃なのだから。

 肌を重ねることで、お子ができるはずよ。

 平常心、平常心……と心の中で唱えて呼吸を整えていると、年若い侍女が告げる。

「姫様、ルシアン皇太子殿下のお渡りでございます」

 その言葉と同時にルシアンはセシリアの部屋へとやってきた。

 正装を解いたゆったりとした部屋着とガウン姿だ。

 くつろぎの姿に珍しさを覚えながらも、セシリアははっと我に返り、軽く身を屈める。

「お、お待ちしておりました、ルシアン殿下」

 少々声が上ずるが、彼がそれを気にする様子はなく「うん」と答え、侍女たちに目配せをする。

 彼女たちは心得ているように黙礼をして部屋を退出していく。もちろん、マーサもだ。

 扉が静かに閉じられると、いよいよふたりきりとなった。

「セシリア、今日は疲れただろう?」

 優しく問いかけながら、ルシアンは部屋に配されているソファにゆったりと腰掛けた。

 早朝から婚儀の準備をし、婚礼が終われば貴族やブルジョワが集う祝宴の場へ。次々に挨拶を受け、互いに息をつく間もなかった。

 ルシアンは傍のソファを指さして、彼女にも腰掛けるように促す。

「疲れを感じるのは、ここでの暮らしに慣れてきてからかもしれませんわね。今は、緊張の方が勝っていますから」

「素直だな」

 ルシアンは小さく笑う。その笑みに、セシリアは気持ちの落ち着きを取り戻す。

 本音を嘘で飾る必要がない、子供の頃から育んだふたりだけの空気感に彼女はほっとしていた。

 夫婦になったからといって、唐突に何かが変わるわけではないということに安堵したのだ。

 肩の力を抜くセシリアをルシアンは見つめていたが、すぐに視線を外して「さて」と立ち上がる。

きさき

 と呼ばれてセシリアは一寸戸惑う。

 そうだった。これからは二人称が異なるのだ。

「そろそろ休もうか」

「え……あ、……は、はい……!」

 差し伸べられる手を重ねると、そのままぐいっと引き寄せられて軽々と抱え上げられる。

「……っ!」

 驚いて身を固くしたセシリアの耳元でルシアンは涼しい顔で告げる。

「初めての夜は夫が妻を抱えて寝台へ向かうものだよ、セシリア」

「は、はい……そのようですわね……!」

 確かに、母やマーサからもそのように聞いた。これが初夜のマナーでもあるのだと。

「これからは毎晩こうしてあげようか」

「……う……、わ、私は不慣れですゆえ、判断は、で、殿下にお任せいたします……!」

 顔を真っ赤にしてしどろもどろに答えると、ルシアンは小さく吹き出す。

 彼女の緊張と震えが抱えた腕から伝わる。

 この重みは許嫁として紹介されてから今に至るまでの時間、そしてこれから共に歩む人生の重みだ。

 私がセシリアを守っていかなければ。

 決意も新たに、その一歩目を踏み出しながらルシアンは言う。

「妃、私はそなたを大切にしたい」

「は、はい殿下。私も同じように思っております」

 セシリアも小さく頷いた。

「いかなる困難もそなたと共に乗り越えていきたいと思っている」

 耳元で囁かれて、とてもこそばゆい。

「はい……もちろんでございます殿下。何があろうとも私は殿下をお支えいたします」

 夫婦の寝室に入ると、ルシアンは器用に扉を閉ざす。

 大きすぎる寝台にセシリアをゆっくり下ろして乗せると、反対側へと回り美しく微笑んで言うのだ。

「……ありがとう、妃。では、おやすみ」

 これから起こることに緊張を隠せないセシリアに構わず、夫となったルシアンは無駄なく寝具に収まるとそのまま瞼を閉ざして眠ってしまう。

 セシリアは寝台に座る形で瞬きを繰り返しながら、行儀の良い寝姿のルシアンをしばし眺める。

 すると、美しい夫は規則正しい寝息が漏れ始め……本当に眠ってしまった。

「…………?」

 あら?

 セシリアは小首を傾げる。

 今夜は初夜なのよね……?夫婦の初めての夜……。

 肌を重ねて、夫婦の契りを結ぶのでないのかしら。思っていたのとは、違うような……?

「殿下……?」

 小さく声をかけ、そろそろとルシアンを覗き込むも、安らかな寝顔を浮かべている。

 殿下は眠っていてもお綺麗ね……。

 ぼんやりとそんな感想を抱きながら、セシリアはなぜか置いてけぼりを食らったような気持ちになる。拍子抜けと表現んする方が正しいか。

 未知の何かに挑もうとしていた、私の緊張感は一体なんだったのかしら……。

 何度も首を捻りながら、やむ無くセシリアもすっぽりと寝具の中に収まった。

 マーサの言いつけ通りに、天蓋の柄の数を数えてはみたものの、もちろん『それどころではなくなる』ような変化はない。

「……」

 瞬きを繰り返して思案する。

 ……きっと殿下はとてもお疲れなのね。責任のあるお立場だもの。

 そうよ、そうなのだわ。夫を気遣えない妻であってはならないわ。

 セシリアは自分を納得させるように言い聞かせた。

 何かがっかりしているような気もするけど、気のせいね。……ええ、気のせいよ。

 小さく息をつくと彼女も瞼を閉じる。

 すると次第に緊張感は解けて、うとうとし始める。そうしてセシリアも緩やかな眠りへと落ちていった。



 ところが。

 その夜から、幾晩が過ぎても広い寝台でただふたりですやすやと眠っているだけで、何も起こらない。

 婚約者時代と変わらず、仲はよいと思うのだが。

 侍女たちの困惑顔を見るにつけ、やはりこの状況はおかしいのだとセシリアも思い始めていた。

 共寝とは、本来こういうものではない気がするわ。

『夫婦の営み』とは、肌を重ねるものなのでしょう?……重ねてないわよね、肌。

 最低限のふれあいはあるが、それも婚約者時代とさして変わらない。

 手を繋いだり、腕を組んだり……挨拶のキスをくれたり……。

 夫婦になっても、それでいいのかしら?もっと距離が近くなってもおかしくはないと思うのよ。

 世に許された夫婦なのだもの。

 隣りで眠る夫の横顔を眺めて、セシリアは言葉にならない物足りなさに眉を寄せる。

 私は殿下をお慕いしていると、もっと積極的にお伝えした方がいいの……?

 相手に求めるのではなく、こちらからも努力をした方がいいのではないだろうか。

 セシリアは意を決して、寝具の中でもそもそと動き、ルシアンに寄り添ってみる。彼の腕にぎゅっとひっつくと、近い体温と香りに胸がどきどきする。

 その甘い感傷に、セシリアはこれだと確信する。

 そうよ、私は……こういう気持ちを持て余していたのだわ。ずっと殿下と触れ合ってみたかったのだわ、もっと近い距離で。

 抱え上げてくれる時だけ近まる息遣いを、もっと身近に感じていたかったのだ。


 気づいてしまえばセシリアも大胆になった。

 ルシアンとの夜の時間も楽しみになる。

 彼はすぐに寝落ちてしまうので、あとはセシリアの思うままだ。

 寄り添うだけでは飽き足らず、ぎゅっと抱きついてみたり、すりすりと頬擦りをしてみたり、髪を指ですいてみたりと、思い思いに彼の温もりを感じていたのだったが……ある日、ふと気づいてしまう。

 ひとりで楽しんでいたので、自覚が遅れてしまったが。

 ふたりの間に、ここまで何もないということは、そもそもルシアンはセシリアに興味がないのではないか?ということに。

「……否定はできませぬ」

 可能性を打ち明けると、若い夫婦の行く末を危惧するマーサは由々しい表情で頷いた。

「や、やっぱり殿下は私に興味がない……?まさか、他に愛する女性がいるとでもいうの?そうなると、私は単なるお飾りの妃だということ?」

 セシリアは青ざめる。

 まったくその可能性について考えたことはなかった。それほどに、ルシアンとの仲は良好だったからだ。

 ……いや、良好だからこそ一度は疑うべきだったのかもしれないが。

「早計でございますよ姫様。たとえ、万が一、殿下が姫様に興味がなくとも、男女が褥を共にしていて何も起こらないということは考えにくい話。とはいえ、他に寵姫がいるご様子もないとなれば……」

「なれば?」

「……ルシアン殿下は女そのものに、興味がないのかもしれませぬ」

 年の功か、第三の可能性を躊躇いなく口にされ、セシリアは絶句する。

「……ええ?!」

 女に、興味がない……?!

「ということは、殿下は、その……ととと、殿方の恋人がいるかもしれないということ?!」

 ここまで口にして、セシリアはハッとする。

「そ、そういえば……殿下の周辺には従者や同性の政務官や近衛騎士しかいないわ。皆、美丈夫で……ご令嬢たちに人気の……」

 彼らが並べば誰であれ美しい絵画となる。さらに、彼の侍女は老齢の者ばかりとなれば、いよいよ現実味が増してくる。

「夜でなくても、逢瀬はどこででも交わせるわ……なんてこと……!」

 パズルのピースが埋まるように、次々と辻褄が合っていく。

 セシリアはショックを受ける。

「姫様、狼狽えてはなりません」

 とマーサは短く一喝した。

 しかしセシリアは構わず気持ちを吐露する。

「これが狼狽えずにいられますか!想いあっていると思っていた殿下はもしかしたら男色、私はお飾りの妃かもしれないのよ?!」

 悲劇を通り越して、喜劇である。

「確定したわけではございますまい。殿下が本当に姫様にご興味がないか……その判断する奇策がこのマーサにはございます」

「奇策?」

「ご実家の奥様が、時が来たら姫様に与えよと申しつかっていた品を使う時が来たようです。……想定よりもかなり早いお披露目となりますが……仕方がございますまい」

 マーサは珍しく複雑そうな表情を浮かべる。

「お母様が……?マーサ、一体なんなの」

「夫婦に必ず訪れるもの……それは倦怠期。その倦怠期を乗り越えるための奥様からの贈り物でございますよ」

 セシリアは「ん?」と小首を傾げる。

「……私と殿下は、倦怠期ではないような……」

 むしろ、それ以前の問題だ。

「こうなっては似たようなもの。……姫様も王子妃としてお世継ぎ問題が関わる一大事なのです、お覚悟を持って臨まれなさいませ」

「……?!……え、ええ……!望むところだわ!」

 マーサの気迫に呑まれ、セシリアも同じうように息巻いたが、少し……いや、かなり羞恥することになる。とはいえ、ここまで来てはもう後には引けないのだけれども。




 ※




 自身の執務室に篭って、王太子として淡々と政務をこなすルシアンは書類サインを入れる途中で手を止める。

 そして静かな部屋の中に、ボキりとペンが折れる音が響くのだ。

「……またですか」

 彼より一回り近く年上の政務官、ウィルフリートがため息をつく。

 ここのところ、主がすぐにペンを握り折ってしまうので、ダースで用意しているのだがそれらが底をつくのは時間の問題だろう。

 無表情に握り折ったペンから手を離して、彼は緩やかな動作で頭を抱える。

「……あぁ!もう!劣情でどうにかなりそうだ……!」

 とんでもない独り言を唐突に、しかも苦悩いっぱいの表情で宣うルシアンに、彼直下の近衛隊長ラルフは苦笑する。

「いやぁ、劣情だなんて。上品な顔から出てくる言葉じゃありませんよ、殿下」

「仕方がないだろう?!毎晩セシリアが横にいるのに、私は何もできないんだぞ?!」

 がばっと顔をあげて愚痴る王子にラルフは同情を示す。

「若い身空で新婚……それなのに狸寝入りを強いられているとは、まさに拷問ですね」

「全くだ。これも全部、我が王家の家訓の所為だ!」

 ウィルフリートはかけている眼鏡を光らせる。

「性欲を制する者は、世界を制する。……ですか。まったく、王家の家訓というものは壮大ですな」

 半分白けつつ、皮肉りつつ。

 ルシアンはセシリアとの婚姻を前に、現国王の父と、前国王の祖父から呼び出され、このように告げられた。

「よいかルシアン。王は孤独なり。善政に努めども、惑いも多い。増してや女に現を抜かすは愚の骨頂。『性欲を制するものは、世界を制する』……我らの御先祖様、そして私たちが道を踏み外さず玉座を守ってきたのはこの教えあればこそ。いずれ王となるそなたの最初の試練だ。……妃に三月の間、けして触れてはならぬぞ。妃に意図を告げてもならぬ。性欲を制したものに、王冠は輝くのだ」

 ……と。

 事実、王の下半身の不始末によって国が乱れることは、過去の歴史が証明している。

 彼は王位を継ぐ者として、これを実行せねばならなかった。秘されている家訓故に、セシリアにはもちろん告げられない。

「いけると思ったんだ。三月なら、耐えられると……」

 やっとひと月が過ぎようとしていた。

「だが、見込みが甘かった。私が眠っていると疑わないセシリアが可愛いいたずらを仕掛けてくるようになったんだ」

 性的なことに無垢だからこその、セシリアの愛らしい反乱ゆうわく

 擦り寄り、絡みつくセシリアから感じる、肌や髪の香りに、柔らかな感触。

 彼に愛情を持ち、ひとりでルシアンに甘えるように楽しむセシリアを可愛く感じながらも、感覚を殺して早く彼女が眠ってくれるのを祈るしかない日々。ただただ悩ましい。……健康な男子としては、本気でつらい。

「まさか、セシリアから精神力を試されるとは思わないじゃないか……!ああ、(ビー)したい!(ピー)を(ピー)りたい!思い切り(ピー)を使って夜通し可愛い(ピー)声が聞きたい……!」

 華麗な王子にあるまじく、生々しい欲望を吐き出しながら、ルシアンはさらに苦悩を深めて唸るのだ。

 とはいえ、大人たちは表情を崩さない。

 王子の仮面を外し、劣情を隠すことなく吐き出せる場がなければ、本当に彼がおかしくなってしまうことを理解しているので。

「落ち着いてください殿下。おつらいなら王子妃様の寝所へ通わなければよいではありませんか」

 ウィルフリートに冷静に意見され、ルシアンはムッとする。

「寝所から私の足が遠のいたと口さがない者どもが噂して、セシリアが傷付いたらどうする。彼女を悲しませたくない。……それに、私が彼女から離れたくないんだ」

 昼間は王子妃として凛と振る舞いながらも、ルシアンとふたりきりになれば柔らかく、そして寝台の中では甘えてくれるとなれば……保護欲やら愛しさやら、欲情やらが彼を苛むのだ。耐え難い苦痛を伴って。

 間違っても手を出さないように、セシリアが眠った頃を見計らって、絡みつく彼女を起こさぬように寝台から抜け出る彼である。

 この誘惑に飲み込まれないようにするには、距離を取るしかない。王子でありながら、ルシアンは長椅子での睡眠を余儀なくされている(だが精神面は安定する)。

「そんな調子で、あとふた月も耐えられるのですか?そちらの欲望だけでも、気がおかしくなりそうなのでは?」

 ラルフに問われてルシアンは「言うな」と眉間の皺を深めて再び頭を抱えた。

 あとふた月この甘い苦痛を耐え抜けば、晴れて名実共に夫婦になれる。

 ルシアンは新しいペンを取り出すと、すっと王子然とした涼しい佇まいに戻り、政務に戻る。

 この切り替えの早さはさすがとしか言いようがないのだが……ぎる劣情に、本日はあと何本のペンが折られることになるのか見ものでもあった。



 夜半、セシリアの居室へ向かう足取りは重い。

 彼女が愛おしい分、苦しくなる。あとふた月が、永遠にも思える。

 部屋へやってくると、いつも通りに侍女たちを下がらせ、ふたりになる。今日あったことなどを話して、ルシアンはセシリアを抱えようとした時、セシリアはすっと彼の腕から逃れる。

「……妃?」

 ガウン姿のセシリアは、ひどく思い詰めた顔をしてルシアンを見据える。

「殿下、実は……」

 セシリアは何度も深呼吸を繰り返し、決意したように続ける。

「私、新しい夜着にいたしました。ぜひ、ご覧にいれたく……」

「え?……ああ、そうか」

 緊張した風情でセシリアは軽く震えているが、おそらく……レースやリボンがふんだんに使われた愛らしいものだろうとルシアンは頷いた。

 新調したので、夫である彼に褒めて欲しいのだろう。……それにしては、顔がこわばっているが。

「…………」

 セシリアは大きくを息をすると、ガウンの前を開き、肩から落とす。

 彼女がまとっている夜着に、ルシアンは目が釘付けとなる。

 なんと、身体のラインを隠せないどころか、ほとんど存在の意味をなさない薄物で作られており、下半身になるにつれグラデーションとなって大切なところは曖昧になってはいるものの、乳房はしっかり透けている(だが髪の毛で隠れて絶妙に見えない)。

「?!」

 ほぼ何も隠せていない大胆な夜着に、絶句しつつ、ルシアンは慌てて目をそらす。

 あ、あぶない。

 こんなにもそそる……いや、魅力的なものを見せられて、さすがの私も平然とやりすごせる自信がないぞ……!

 一体、どうしてこんな夜着を彼女は身につけているんだ……?!

「……ど、どうでしょうか、殿下。こ、このような夜着はお嫌いでしょうか……?」

 セシリアは顔を真っ赤にして所在なさげにしながら、消え入りそうに問いかけてくる。

「……あ、……いや……ああ、……わ、悪くない……と思う」

 むしろ、好きだ。彼女を引き寄せ、もっとはっきりと、舐めるように眺めたいほどに。

 ああ、だが、まだ手をだすわけにはいかない。いかないのだ。

 必死に冷静さを取り繕いながら、彼は自身のガウンを脱ぎセシリアに巻きつける。

「ど、どうしたんだ妃。そのような夜着では、身体を冷やして風邪をひく」

 内心の動揺を隠し、ルシアンは目を逸らしたまま告げる。

「……」

 マーサが衣装箱の中から取り出してきたこの夜着を目にした時、セシリアも無理だと抵抗したが、侍女たちに励まされ、覚悟をして袖を通した。

 しかし結果はどうだ。ルシアンはまともに目を向けることはなかった。

 やっぱり。やっぱり殿下は、私に興味がないのだわ。

「……やはり、そうなのですね」

「?」

「私は、やはりお飾りなのですわね」

 ぽつりと漏れた言葉に、「え?」とルシアンはやっと彼女に目を向ける。

 するとセシリアの瞳から、はらはらと大粒の涙が流れ落ちる。

「……セシリア……?!」

「私に興味がないのでしたら、そうはっきりおっしゃってくださいませ。想い人がいるのでしたら、正直におっしゃって。たとえ殿下が男色でも私は受け止めますから」

「……思い人……?だ、男色……?」

 あらぬ嫌疑に戸惑いながら、セシリアの頬に溢れる涙を指で拭う。

 誰だ、おかしなことをセシリアに吹き込んだのは……?!

「殿下は私がお嫌いなのでしょうか」

「そんなはずはない。私はそなたを愛おしく思っている」

 そう間違いなく。幼少期から彼はセシリアを想っていた。愛らしく、素直で気取らず、妃教育に弱音を吐くこともなかった努力家な彼女を愛してきた。妻に迎え、寝所を共にするようになってさらに彼女が愛おしくなった。だが、ルシアンにはままならない王家の家訓が転がっている。

「……でしたら、なぜ……な、何もしてくださらないのでしょうか!?ただ、同じ寝台で横になるのが、夫婦ではございませんでしょうに!」

 憤慨する勢いのまま、セシリアはルシアンに抱きつく。彼が巻き付けたガウンもストンと落ちて、薄物の夜着姿で。

「……っ……、セ、セシリア……」

 直接に近い体温と感触、鼻をくすぐる彼女の香りの衝撃に、ルシアンは目眩がする。

「私は、殿下を……ルシアン様をお慕いしております。義務でも責任でも構いません。どうか一時、私を血の通った妻として扱ってくださいませ。お願いでございます……お願い……」

 震えながら縋るようにいじらしく身を押し付けるセシリアに、ルシアンは王子として培った鉄壁の理性と胆力の堰が崩壊する音を聞いた。

 ……ああ、もう駄目だ。これ以上は、我慢できない。

 お許しください、父上……お祖父様。どうやら私には、王たる資格はなかったようです。

 ルシアンは堪えていた欲望を受け入れると、セシリアの頬を取る。そして半ば強引に、彼女の唇を自身のそれで塞ぎ、奪う。

 唇を喰みながら、舌を差し入れて口腔をおかす。角度を変えて、何度でも。

 想像していた通り、彼女の唇は甘い。

 驚くセシリアは萎縮するも、次第になされるがままとなりルシアンが満足するまで濃密な口付けを交わす。

「……ん……っ……ふ……で、殿下……ぁ……」

 やっと唇が離れた時には、息も絶え絶えで、彼女は夫にぐったりともたれかかる。

 しな垂れかかるセシリアを抱き止めて、その腕の力を強めて胸に閉じ込めた。

「……で、殿下……」

「すまない、セシリア……。そなたにそこまで言わせてしまうとは情けない。私はずっと、そなたを傷つけていたのだな」

「……殿下は、私をお嫌いなわけではないのですか……?男色なわけではないのですか?」

 唐突な態度の変化に彼女が違和感を持つのは当然だ。

 ルシアンは微苦笑する。

「そなたでなければ不敬罪に問われる発言だぞ、妃。先ほども言った。私はそなたが愛おしい。こうして、ずっと抱きしめて、甘やかしていたかった」

「……では、どうして……その……」

 今まで何もしなかったのか。

「……痩せ我慢をしていた。ままならぬ王家の家訓というか、世継ぎの試練というか……まあ、そういったしがらみがあって、今までそなたに手を出せなかったのだ。そなたは何も悪くはない」

「?……世継ぎの試練?」

 聞いたことがない。

 首を捻るセシリアを抱えると、ルシアンは攫うようににして足早に寝所へと向かう。

「セシリア」

「はい」

「もし私が王位継承権を失っても、……私の傍にいてくれるだろうか?」

 真剣な眼差しで問いかけられて、セシリアは何を今更と微笑んだ。

「もちろんでございます。どこなりとも、私は殿下について参ります」

「……そうか。ならばもう恐れるものはないな」

「?」

 ルシアンはさっぱりとした気持ちで笑い、セシリアを寝台に押し倒し、上から見下ろす。

「セシリア。このような刺激的な夜着で私を挑発して……いけない妻だ。言っておくが、私はそれほど淡白ではないぞ。まずは、存分に見聞させてもらわなければいけないな……そなたを隅々まで味わいながら」

 艶かしく緩むルシアンの瞳と口元に、彼女は初めて身体の芯が痺れ、胸の高まりを感じた。

「……は、はい……殿下。……お望みのままに」

 ルシアンの言葉の意味はほとんどわからなかったが、求められることが嬉しくて、セシリアは素直に頷いた。

 その愛らしさがルシアンの欲情をさらに煽る。

「……あぁ、私の愛おしいセシリア」

「ルシアン様……」

 再び唇が塞がると、数え飽きた天蓋の柄がよくわからなくなるほどルシアンに甘く深く翻弄させられて、肌を重ねるということの意味を身体で知る。

 この夜、セシリアはようやく彼の妻となることができたのだ。

 翌朝、彼女の肌に散らされた花びらと、寝台に残る初夜の痕跡に侍女たちは声には出さず歓喜したのだった。大胆な夜着はその役目を全うしたのだ。




 セシリアとようやく夫婦の情を交わし、ルシアンは満たされ、清々しい気持ちで国王と前国王の前に立つ。

 性欲に負けて彼女を抱いてしまったこを伝えたが、激怒するどころかふたりとも軽く顔を見合わせて「そうか」とただ頷いた。

「ひと月も耐えるとは、なんという胆力だ。えらいぞ息子よ」

 王は腕を組んで感心する。

「……は?」

「余はなんとか二週間もたせたが、王妃の魅力には勝てなかった」

「儂は確か5日じゃったな」

 ふぉふぉふぉと前王は笑う。

「父上は堪えなさすぎです」

 王は少し呆れた笑みを漏らす。

 どうも深刻さを欠いた王たちの雰囲気にルシアンは訝る。

「……あの、父上。お祖父様。……三月耐えられなかった私は王位継承権を失うのではないのですか」

「その程度のことで皇太子を廃嫡しておったら国がなくなるわ。あの家訓は、あくまでも覚悟の話よ。まあこれはこれでよい経験になったであろう?ひと月も堪えたそなたは王どころか、帝王の器かもしれぬな。誇ってよいぞ」

 そう言って、王と王であった者たちは豪快に笑った。

 ……あまり嬉しくはないのだが。

「私を試していたのですか?……まったく……妃を振り回してしまったではありませんか。困った方々だ」

 ルシアンはやれやれと息を吐いた(こちらはセシリアに浮気どころか、男色まで疑われたというのに)。

 まあ、自分も王となれば、皇太子に家訓を伝え、同じ試練を課すことになるのだろう。

 とはいえ、結果として見ればセシリアとの絆は強まり、夫婦の夜に愉しみが増した。

 今宵はどのような手管で妻を愛で、悦ばせようかという、夫としての愉しみが。



 了

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お飾り王子妃の可憐なる反乱 阪 美黎 @muika_no_ayame

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