2. 東京都八王子市の殺人樹−1
東京都八王子市。
都心から近いながらも、高尾山を始めとした雄大な自然が目の前に広がる土地である。
とは言え、大異変によって八王子付近には山や湖が増えたりしており、以前と同じ風景が残っているわけではない。
それでも都市部と山間部の境界という意味では変わっておらず、街のすぐ向こう側には緑と山が広がっていた。
人々は八王子城跡の上に要塞を築き、昭和天皇武蔵野陵を霊的な守護地とし、これらを中核とする防衛拠点を周囲に築いた。
これらは山から下りてくるモンスターや敵対する他国家の侵攻を防ぐためのものである。
ここから先の山間部は大異変で出現した熊人や狼人といった旧異世界の人類が支配しており、文字通り東京都における人間の最前線と言えた。
そんな八王子市において、貝塚と柿本の2人は高尾山の手前、旧高雄駅の辺りにいた。
両者共に道具類の詰まったリュックサックを背負っているが、アウトドア用の服装に着替えている柿本に対して、貝塚の方はいつも通りの格好だった。
「さて、目的地に到着したわけだが」
「はい。でも、流石に街中にモンスターはいませんよ?」
そう言って柿本は周囲を見渡す。
イチョウの街路樹はあるが、当然ながらどれも普通の木である。
近くに寄ったからといって襲われたりはしない。
緑の葉が青々と生い茂っており、小粒だが種子もついている。
紅葉の時期になれば多くの人が見物に訪れるだろう。
「そりゃそうだ。まだ教えてなかったが、殺人樹がいるのはもう少し先のあたりだぞ」
「有名なんですか?」
「有名だ。何しろ東京都が植林してるからな。生息地も公的機関で調べることができるぞ。軍事情報だから大まかにしか分からんが」
「.......えっ、植林してる?」
何事もないように言う貝塚とは対照的に、突然の情報に柿本は驚く。
殺人樹はれっきとしたモンスターである。
そのモンスターを国家が植えて増やしているとはどういうことか。
「殺人樹を防衛林として使ってるんだよ」
「モンスターを防衛林に?」
いまいち話が掴めない柿本に対し、貝塚は怒る様子もなく僅かに思案する。
「よし、ちょうどいいから講義と復習の時間だ。基礎知識は大切だからな」
そう言って貝塚は柿本に適当な場所にに座るよう指示する。
大人しく指示に従って座った柿本の前の地面に、貝塚は拾った木の枝で大まかな八王子市周辺の地図を描きながら話す。
「殺人樹の特徴を言ってみろ」
「えっと、大枠としては植物系モンスターに分類され、細かく言えば樹木系扱いです。殺人樹は普通の樹木をベースとしたモンスターで、杉や檜といった一般的に存在している木の特徴を引き継いでいます。なので、今回はイチョウベースの殺人樹を探す必要があります」
「そうだな」
「植物系モンスターは根を張るため、基本的には移動できません。基本的な攻撃手段は枝を伸ばして刺す、枝を巻きつけて窒息させる。個体によっては刃物のような葉を飛ばしてくることもあります。なので、生息地に訪れなければ襲われない一方で、普通の植物と勘違いして近寄って襲われるケースが多くなっています」
「うむ、少し離れていても枝を伸ばして襲ってくる奴もいる。不意を突かれるのが植物系モンスターの被害報告のトップだから注意するように」
「分かりました。それと、殺人樹は普通の木よりも硬いことが多く、物理的な手段だと倒しにくい相手です。一方で、火を放てば簡単に倒せますし、逃げるだけなら攻撃範囲から出ればいいだけです。なので、材木目的でなければ正面から戦うような相手ではありません」
「正解だ。まあ、緑の多い所で火を放つと問題になるから、やるのは非常時だけだな。生木だからそう簡単には延焼しないが、山林でやると国やハンター組合からお叱りを受けるから止めておけ」
地面に地図を描き終えた貝塚は、木の枝を教鞭のようにペシペシと叩きながら柿本の方を見る。
「それでは講義の時間だ。殺人樹は殺人なんて名前がついているが、実際には人類だけではなく動物やモンスターも襲う。早い話、栄養になるなら全ての生き物を襲うわけだ」
「それならどうして殺人という名前なんですか?」
「人類にとって危険なのが分かりやすいからじゃないか?殺獣とかつけると、人類は対象外と勘違いする馬鹿も出てくるからな。食虫植物も虫しか食べないわけじゃなくて、虫くらいしか食べられないだけで、でかくなれば普通に人間サイズでも食べるわけだし」
「なるほど......。意外と見境がないんですね」
「モンスターというのはあくまでも人類が便宜上与えた分類でしかない。全てのモンスターが共生関係にあるわけでもない。よく覚えておくように」
「動物をよく食べた殺人樹って大きくなるんですか?植物からすると、動物は栄養過多のような......」
「どうなんだろうな。あまりそういう話は聞かないな。殺人樹に捕食する口は無いが、犠牲者は刺さった枝から水分を吸い取られ、残った部位はそのまま地面に転がる。殺人樹の周りは有機物の分解が早いという報告があるし、時間経過で根からも栄養を吸収することを考えれば肥料は豊富なはずだな」
そう言いながら貝塚は地図上の八王子の境に沿って、デフォルメされた木のマークを描いていく。
顔に似合わず妙に可愛い絵だが、見慣れている柿本は何も言わない。
「このように国境線......本来は県境かもしれんが、それに沿って殺人樹を配置する。そうするとどうなる?」
「殺人樹は動けないので街への被害は無いわけで......。あっ、外敵を防ぐ防衛線になるってことですか!」
「流石、話が早いな。想像の通り、八王子へ侵入しようとする相手は配置された殺人樹に引っかかる。弱いモンスターならそれで排除できるし、防衛用装置として維持するためのコストも安い。何と言っても自活して再生もする防衛線だからな。こっちから向こう側に行く場合は所定のルートを通るだけでいい」
「防衛林とはよく考えますねぇ......」
「イチョウは水を溜め込むから防火力もあるし、増えすぎた分は木材として伐採される。資源確保も兼ねてるから欠点らしい欠点がないな」
柿本はこの仕組みを思いついた人の知恵に感心する。
市単位の規模で防衛林が展開されているということは、少なくとも5年以上前にはこの取り組みを始めていないと間に合わない。
大異変後に初めて出現するようになったモンスターを都市の防衛に組み込むという発想もだが、それを実行に移した行動力が凄まじい。
力では及ばなくとも、知恵と悪意でこれまで生き延びてきた人間の強かさが発揮されていた。
貝塚は地面に描いた地図を足で消しながら話す。
「というわけで、防衛用の殺人樹を勝手に狩るわけにはいかん。モンスターとは言え、立派な軍の防衛施設だからな」
「......器物損壊は犯罪ですからね。じゃあ、残念ですが諦めるということで......」
「そうだな。だからハンター組合を通して申請を出しておいた。今から行くのは防衛林を管理している組織のところだ」
いつの間にそんな手配を。
驚いてポカンと口を開け、何も言えなくなっている柿本に気がついた貝塚は屈託無く笑いながら答える。
「勝手に国の施設を破壊するのは犯罪だ。だが筋さえ通せばれっきとした調査になる。そして正当な理由があれば大抵の公的機関は申請を拒否できない。大義名分というのは偉大だと思わないか?」
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