第10話 『 狼と少年 』

 初夏の物語。昔、山に羊飼いの若い男たちがいました。三人。一人は見栄っ張り、一人は不満屋、一人はふつうの若者でした。三人は仲良しでしたが、いつも一緒にいると仕事にも相手にも退屈するので、何か気晴らしでもしようと云うことになりました。

 その山にはもう一人、木こりの少年が毎日村からやってきていました。痩せっぽっちで人見知り。彼は親方からいつも仕事の量を決められて来ていましたので、三人とはあまり話をしませんでしたが、本当はお昼ご飯を一緒にしたり、たまには遊んだりしたいと思っていました。

 それを知ってか知らずか、三人はその木こりの少年に嘘を言って、大いにからかってやろうということになった。

「おい、狼が出たぞ!」ある日、見栄っ張りが叫んだ。すると木こりの少年はびっくりして一目散に山を駆け下りて行った。三人はそれを見て、ゲラゲラ笑った。次の日、木こりの少年は親方から決められた仕事をしてこなかったことで叱られ、しょんぼりして山に上がってきて、また黙って一人、仕事をした。

 しばらくしてまた退屈した三人は、木こりの少年に「おい、また狼が出たぞ!」と叫んだ。しかし木こりは先日のことがあるので周りを見渡して、「どこにも狼なんていないじゃないか」と言った。すると不満屋が「なんだよ、俺達を信用できないっていうのかい?」とわざと顔を膨らませた。木こりの少年が「そういうわけじゃないけど、狼の姿なんて見えないし、第一君たちだってまだ逃げようとしていないじゃないか」と言うと、今度は“ふつう”が「僕たちの羊がまだその辺にいるからだよ。それよりも早く、里の皆にも知らせたがいいよ。君は足が速いから」と言った。すると木こりの少年は「道理だ」と思って、また急いで山を駆け下りて行った。三人はその様子を最初はクスクスと、そして木こりの姿が見えなくなるとまた大口を開けてゲタゲタと笑った。

 また次の日、木こりの少年はしょんぼりして、今度はほっぺたを赤く腫らして山にやってきた。どうやら親方に殴られたらしかった。身寄りがない少年は親方の家に住み込みで働いており、時折酒飲みの親方や兄弟子たちに身に覚えのないことでお仕置きを食らうことがあるようだったが、その日の顔の腫れ方はいつもの倍近くもあった。さすがに気の毒に思えたのか、“ふつう”が「その顔、どうしたんだい?」と声をかけたが、木こりの少年は頬を膨らませたまま、黙って立ち並ぶ木々の奥へ入っていった。すると見栄っ張りと不満屋は「なんだい、なんだい、あれくらいのことでさ」と、まるで自分たちの方がからかわれたかのように頬を膨らませた。

 またしばらくの後。木こりの少年はもうすっかり元気になって、三人とも口数は少ないが挨拶ぐらいは交わすようになっていた。すると性懲りもなく退屈していた三人は、また悪戯を考えた。そして今度は不満屋が狼に襲われる演技まで付け加えることにした。“ふつう”は「いくら何でもやり過ぎじゃ…」と言いかけたが、他の二人に睨まれると怖いので、何も言えなくなってしまった。

「うわあ、助けてくれ~…」不満屋の、多少間延びした叫び声が森の中に木霊した。木こりの少年が斧を置くと、そこに果たして見栄っ張りと“ふつう”が走ってやってくるのが見えた。

「今度こそ狼が出たぞ!」見栄っ張りは息を切らせる風にして言った。しかし木こりの少年はさすがに懲りたのか、「もうその手には乗らないよ」と相手にしなかった。すると見栄っ張りはここぞとばかりに、「とんでもない、今度は本当だよ」と息を巻いた。「ほら、あれを見ろ」その指の先には不満屋が血みどろになって息も絶え絶えに倒れ込んでいた。木こりは「助けなくっちゃ」と思わず駆け寄ろうとしたが、見栄っ張りと“ふつう”は「だめだよ、狼はまだその辺にいて、僕らを見張ってるんだ」と木こりを押し留めた。そして三人で森の外に出て、二人はとぼとぼと山小屋の方へ、そして木こりの少年は手ぶらで山を降りて行った。その背中が見えなくなると、二人は踵を返してまた森の中に入っていった。するとそこには死んだ真似の不満屋が、服に葡萄酒を派手に滲ませながら倒れていた。「おい、もういいぜ」見栄っ張りが言った。「…遅いよ。で、どうだった?」不満屋が言うと、「成功、成功。きっと木こりは君がもう狼に食われて死んでしまったと思ってるぜ」と見栄っ張りが笑った。すると不満屋は「そいつはいいや!」と一旦は手を叩いて喜んだが、じきに「でも、それじゃ僕はこれから先、村に降りて酒が飲めないじゃないか」と不満を漏らした。すると黙って聞いていた“ふつう”が「じゃあ、今日仕事が終わったらさ、早速村に降りて一杯やろうよ」と言った。「そしたら村の人間は君が死んだなんて誰も信じないからさ」

 三人は村に降りてきて、よく行く飲み屋で酒を飲み始めた。幸い木こりの少年の話はまだ村には広がっていなかったらしく、三人は胸を撫で下ろした。そして三人がほどよく酔ってきた頃、そこに大きな、見るからに木こり風の男が現れて、

「やや、やっぱりあいつの言ったことは大嘘だったんだな。どうしてって、羊飼いどもが揃いも揃って酒飲んでやがる」と大声でどなった。

 すると酔っぱらった羊飼いたちは調子に乗って、「お前ん所の見習い木こりは、木は切らずに無駄骨ばかり折ってるみたいだぞ。帰ってそう言っときな」と口々に言った。すると馬鹿にされたと思った木こりの親方は、途端に腹を立て三人に殴りかかったが、他所で相当に飲んでいたと見えて、自分で床に引っくり返ってしまった。そこで三人はいい潮時とばかりお互いに肩を組み、ヘタな歌を歌いながら意気揚々山へ帰っていった。「♪俺たちゃ、陽気な羊飼い。三人寄ればいつもご機嫌。可哀想は哀れな木こり、親方げんこで今夜もお仕置き!」

 三人はそれからしばらく山で羊飼いの仕事に精を出した。退屈してくると今度は木こりの少年にどんな悪戯をするか話し合った。ところが少年は一向に山へ登ってこなかった。少年だけではなく、あの木こりの親方も来なかった。何故か気になった三人はまた久し振りに村に降りていった。夏はもう終わろうとしていた。着いてみると村の様子が何かおかしい。静か過ぎるのだ。三人の身体に本能的な緊張が走った。

 まず村の入口に一人の男が倒れていた。背中に真っ赤な血に塗れた大きな傷があり、すでにその目には何も映っていなかった。三人は咄嗟に走り出した。行き着けの飲み屋に向かった。しかしそこに行きつく前に続けざまに六人の死体を見かけた。どれも見るも無残に切り刻まれていた。三人は何故か足を止めるわけにはいかなかった。ようやく飲み屋に着いた。中はひどかった。血と酒と、わけの分からぬ匂いが混ざりあって、そこはもう人の集う場所ではなく、すでにもう別の者たちに席を譲り渡した後だった。

「ひ、ひでえ」“ふつう”がそこでようやく口を開いた。

 しかし本当にひどかったのは村の広場だった。そこは中央に大きな井戸があったが、まるで折り重なるように人の形をした肉の塊が散乱しており、それを腹を空かせた野犬や家畜どもが奪い合うようにして食らっていた。さすがに三人の足はそこで止まってしまった。それぞれが自分の目を信じることができなかった。目の前に映っているものが何なのか一向に理解できなかった。頭のなかに分厚い蜘蛛の巣が真っ白に張り巡らされたかのように前が見えなかった。その時、三人の耳にかすかな声が聞こえてきた。

「助けて…」

 三人は獣たちを大声で蹴散らしながらその声のする方へ近づいていった。するとそこに腕を半分食いちぎられた男が目をひん剥いて倒れていた。

「しっかりしろ」見栄っ張りが言った。「一体何があったんだ?」

「お、斧を持った狼が、みんなを次々にやっちまった。大人ばかりじゃねえ。年寄りも子どもも、最後は生まれたばかりの赤ん坊にまで、そいつは斧をくれてやった。奴は涙を流していた。そしてもう人の言葉じゃないことを喚いていた。奴は一晩でこの村を野良犬たちのえさ場に変えちまったんだ。俺の片腕は…」男はそこで事切れた。

「木こりだ、木こりの家だ」不満屋が言った。三人はまた歩き出した。しかし一旦止めた足は驚くほど重たかった。何かが地べたから三人を引っ張りあいっこしているみたいに。ようやく木こりの家の前に着き、おそるおそる丸太のドアを押すと、そこにはもう人の形すら留めていない骸がごろごろとそこかしこに転がっていた。そして部屋の中央にある馬鹿でかいテーブルの上には巨木を思わせるような木こりの親方らしき屍が、首を失ったまま仰向けに倒れていた。その向こうには奥の部屋に続く扉が開いていたが、その先は真っ暗で何も見えなかった。

「ダメだ」三人のうち誰かが言った。彼らは静かに入口から出て、村を後にした。

 それから三人は山にこもった。時折村の方から叫び声のようなものが聞こえたが、三人は耳を塞いで聞こえないふりをした。

三ヶ月後、不満屋が狼に襲われて、数匹の羊たちと共に死んだ。その二週間後、“ふつう”が山を降り、そのまま帰ってこなかった。一人残った見栄っ張りは見栄を張る相手がいなくなって、“淋しがり”になった。

 一度きり、旅人が“ふつう”からの手紙を運んできた。そこにはわずかばかりの挨拶文と、“ふつう”が噂で耳にした、かつての木こりの少年の話が書いてあった。そして最後に

「あの気弱そうな木こりが、いつあんなことをしでかすようになっちまったんだろう?」と結んであった。

 それを読んだ淋しがり屋の見栄っ張りは、手紙を両手でもみくちゃにすると、

「あいつは最初から狼だったんだよ!」と嘯いたが、雪に閉ざされたその声は、もう誰にも届かなかった。


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寓話シリーズ 桂英太郎 @0348

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