第1話:もう一度異世界へ

### 帰ってきた


 夕暮れ時の池袋の喧騒が、マクドナルドの窓越しに見える。


「戻ってきたんだよな、俺たち。」


「だな。」


 エイジの返事はどこか現実感がない。目の前のポテトをぼんやりと見つめる彼の表情には、あの非日常の出来事が未だに尾を引いている様子が見て取れる。


 二人が話題にしている「あっちの世界」とは、異世界のことだ。二人にとっては刺激的で、新鮮な体験が詰まっていた。しかし、今はあの日の予備校帰りのマックだ。


「改めて考えると、あり得ねぇよな。あっちの世界。」


 窓の外を見ながら、シュウが口を開く。その言葉に、エイジが笑いを漏らす。


「最初はどうなるのかと思ったけど、とりあえず生きて帰ってこれてよかったな。」


 二人の間にしばらく沈黙が訪れる。行き交う人々のざわめきと、店内に響くBGMだけが耳を満たしている。互いに言葉を交わさなくても、あの冒険が現実だったことを証明するものが、目に見える形で存在していた。


 例えば、シュウの腕には森で負った傷跡がうっすら残っている。エイジのポケットには異世界の硬貨が数枚忍ばせてあり、その異質なデザインがこの現実との違和感を際立たせている。


---


### 再訪の計画


 シュウとエイジがマクドナルドを出た後も、異世界での体験は頭の片隅から離れることはなかった。それぞれの家に戻った二人は、スマホの画面を通じて再び連絡を取り合っていた。


「そうそう、あのライターが10万で売れたのにはマジで笑ったよな。」


 エイジのメッセージを見て、シュウは思わず吹き出した。あの時の商人の驚いた顔を思い出す。スマホの画面に「それな」とだけ送り、布団に転がると、大きくため息をついた。


「現地の商人、目を丸くしてたよな。火を自由に起こせる道具なんて、あっちじゃ夢のまた夢なんだろ。」


 返信を送った直後、シュウのスマホが再び震えた。エイジからのメッセージだった。


「なあ、もう一回行けないかな?」


 一瞬、画面を見つめるシュウの表情が固まる。冗談かと思ったが、エイジのメッセージの文面からは本気の気配が漂っていた。指を動かし、短い返事を送る。


「……は?なんだよ、それ。」


 すぐにエイジからの返信が来る。


「考えてみろよ。100円ライターを100個持っていったら、1000万だぞ。これ、月1回くらいやれば、俺たち超豪遊できるんじゃね?」


「はぁ?」とシュウは声に出して呟いた。画面越しのエイジがどんな顔をしているのか、なんとなく想像がつく。きっとあの調子だ。悪戯っぽく口角を上げ、目を輝かせているに違いない。


「お前さ、それがそんな簡単にいくと思ってんのか?今回は無事だたけど、下手すりゃ死ぬぞ。」


 シュウの返信を見たエイジは、一拍の間を置いた後、少しだけ画面を睨みつけるような表情を浮かべていた。だが、それもすぐに笑みに変わる。


「いやいや、ちゃんと準備していくんだよ。持ってく道具を増やしてさ。それに、前に行ったときの経験もあるし、うまくやれるはずだろ?」


「……まあ、準備次第ってところか。でもまた帰ってこれるのか心配じゃね~か。」


「それも考えたよ。もし戻れなくなったとしても、異世界で豪遊できるだけの金を稼げれば、なんとかなるだろ?」


 エイジの楽天的な発言に、シュウはスマホ越しに頭を抱えた。


「本当にお前、異世界でやってける自信あんのか?あそこ、普通に危なかったし。」


 画面の向こう、エイジは少しだけムッとした表情を浮かべていた。だが、すぐに笑い声を漏らしながら返事を打つ。


「いやいや、前回もなんだかんだで生き延びたじゃん。それに、あのクマさんだって優しかったし、また、ネコミミにも会いたいよ。」


 その返事に、シュウもつられて笑ってしまう。確かに、あの宿の青い酒はちょっと忘れられない味だ。異世界でのちょっと大変だった日々を思い出しつつも、彼の心は少しずつ動かされていく。


「……分かったよ。仮に行けるとして、何を持っていくかちゃんと考えなきゃな。ライターだけじゃなくて、他に売れそうなものとかあるか?」


「100円ショップ行けば何でも揃うだろ。ピーラーとか小型ナイフとか、向こうで役立ちそうなのいろいろ持ってくんだよ。」


「あとさ、インスタント食品もどうだ?カップ麺じゃなくて、袋麺なら現地で袋を詰め替えれば売れるかもな。」


「おー、それいいな!ビニール袋は異世界にはなかったから、それだけで珍しいもの扱いされそうだよな。」


 二人の会話は夜遅くまで続いた。ふと気づけば、シュウのスマホのバッテリーが赤く点滅していた。


「でも、異世界に行けなきゃこの計画、全部パーだからな。まずはどうやってあっちに行くか考えないと。」


 シュウのその言葉に、エイジは頷くように画面を見つめた。


「だな。前回のことを思い出してみるか。確か、変な呪文を叫んだら……行けたんだよな。」


 二人の夢は現実と交差し始める。その向こうに再び異世界の扉が開くのかどうか――彼らの新たな冒険が幕を開けようとしていた。



### 準備の日々


 翌日から、シュウとエイジは異世界再訪の計画に向けて準備を開始した。100円ショップやディスカウントショップ、アウトドア用品店を次々に巡る。二人は両手いっぱいに買い物袋を抱えながら、興奮気味に話し合っていた。


「百円ライターは必須だな。あっちじゃ絶対に売れるから、これでもかってくらい持っていこうぜ。」


「だな。でも、これだけ買い占めたら店員に怪しまれそうじゃね?マッチにしとく?」


「それも買っとくか。」


 二人はライターだけでなく、異世界で売れそうなものを片っ端から物色した。ピーラーや小型ナイフ、折り畳み式のハサミ、さらにはホイッスルやコンパスまで。どれも異世界では珍しく、実用性が高そうに思えた。


 買い物カゴの中身が増えていき、会計のたびに財布の中身が軽くなっていく。しかし二人は気にする素振りもなく、次の店へと足を向けた。


---


 別の日。二人は近所の登山用品店に足を運んだ。異世界の旅路では森や洞窟を通る必要があるため、本格的なアウトドア装備が必要だと判断したのだ。


「帰りは森と洞窟を抜けるなら、テントとか寝袋も必要だな。」とシュウが言えば、エイジも頷く。


「でも、でかいのは無理だぞ。軽くて持ち運びやすいやつにしないと、向こうで邪魔になるだけだ。」


 二人は店内を歩き回りながら、コンパクトな登山用寝袋や折り畳み式の軽量テントを吟味した。店員に相談しつつ選んだ装備はどれも高品質で、その分値段も張るものだった。


「これだけで俺のバイト代、ほぼ吹っ飛びそうなんだけど。」エイジが寝袋の値札を見て嘆く。


「まあまあ。これがあれば、あっちで稼げるんだから投資だよ、投資。」とシュウが軽く肩を叩く。


 買い物を終えてリュックに荷物を詰めてみると、その重量感で二人は少し満足した。


「なあ、これ全て売ったらいくらになるんだ?」


「ライターだけで、1千万円分くらい。多分数千万は固いよな。」



### 再挑戦の夜


 数日後の夜。エイジの部屋には、異世界での冒険に向けて準備を整えた二人がいた。大きなリュックサックには、ぎっしりと詰め込まれた道具や食料が入っており、その重みがこれから始まるはずの冒険への期待を感じさせる。


「んじゃ、行くか。」


 シュウが少し緊張した面持ちで言った。


「おう。」


 エイジも同じく背筋を伸ばし、真剣な顔で応える。部屋の中で向き合った二人は、まるでこれから大冒険に出発するヒーローのように目を輝かせていた。


 空気が張り詰める中、二人は大きく息を吸い込み、互いに目で合図を送る。そして、声を合わせて叫んだ。


「ナローゲーム!」


 静寂が訪れる。二人の声が部屋の壁に跳ね返り、じわりと消えていった。外からは夜の静けさを破る車の音や、かすかな犬の遠吠えが聞こえるだけだった。


「……何も起きねえじゃん。」


 先に沈黙を破ったのはエイジだった。呆然とした表情で天井を見上げ、続けて肩をすくめた。


「おい、マジかよ。これ、ちゃんとやったよな?」


 シュウが眉をひそめながらエイジを睨む。


「やったって!ちゃんとあのときと同じように『ナローゲーム』って叫んだだろ?」


 エイジは焦ったように言い返し、部屋の真ん中で手を振り上げる。


「いやいや、他に何か条件があったんじゃねえのか?例えば、なんか呪文を唱える順番とか、特定のタイミングとかさ。」


「覚えてる限りだと、あのときは何も考えずに適当に叫んだだけだぞ。」


 二人は顔を見合わせ、しばらく沈黙する。


「ネットのラノベを読んで、変な呪文が書いてあってさ。それを叫んだら……行っちゃったんだよ。」


「そのラノベ、まだあるか?」


「うーん……待ってな。」


 エイジはスマホで「ナローゲーム」というラノベを探した。


「あっ。あった。これだな。もう一度読むか。」


「この物語を読んだあとに、ナローゲームって叫べばいいよな。」


 二人は、それぞれ小説を読み直し、その後に、改めて部屋の真ん中に立ち、緊張感を取り戻した。再び深呼吸をして、今度はさらに大きな声で叫ぶ。


「ナローゲーム!」


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