第3話 答えの先に
果たして時は来た。
上手くやれるか、やれないか。今のサヤに判断することは難しい。
だけど、この時間に戻されたならば、前と違うことをするしかないのだ。それが、きっと運命の翻弄されるということなのだろう。
「危ない!」
階段を駆け下りた祭は、まるで猫のようだった。
軽い身のこなしで、するすると子供に近づく。そのまま傾いた男の子の体を抱き留めた。
「祭っ」
そのまま崩れていく二人をサヤは手すりを掴んだまま引っ張った。
伸ばした手は、どうにか届いた。息が上がっていた。
恐怖と疲れが息遣いに現れている。
祭と彼女の腕の中にいる子供が、同じように目を丸くして、サヤを見つめていた。
「あ、ありがとうございます!」
「人も多いですから……何もなくて良かったです」
「ほんと、ありがとうございます」
二人に怪我がないのを確認していたら、男の子の両親が来た。前と同じ顔だった。
彼らが新聞に祭のことを言うなんて信じれない。いや、感謝の気持ちを示しただけだったのだろうけど。
今回はそうならないことをサヤは祈った。
表面だけサヤは社会人として染みついた返事で、仲のよさそうな家族と会話を続け、キリの良い所で切り上げる。それから、人の視線を避けるように、使ってない廊下へ足を進めた。
と、祭がサヤをじっと見て来るのに気づく。
「……どうしたの?」
「サヤが一瞬すごく大人に見えたの。いつもなら面倒くさがって関わらないのに、珍しいね」
祭からこういう視線を向けられたことは無かった。サヤはこの手の視線が嫌で、いつも逃げていたから。
だけど、幼馴染には見抜かれていたようだ。
祭のためだから――その一言が言えない。気まずさが喉の奥でとぐろを巻いて、言葉を詰まらせた。
前のサヤだったら絶対にしない行動だ。変に思われても仕方ない。
「たまには、そういう日くらいあるよ」
「そっか」
言い訳にもならない言葉に、うっすらと笑った祭の顔が妙に印象的だった。
視線をそらす。そのサヤの横顔に、祭の視線は刺さり続けた。
「カッコよかったよ、サヤ」
「どーも……祭は危ないことも突っ込むんだから気をつけてね」
「はーい」
これで、良かったのか。
あまりにも何もなさ過ぎて、分からない。
何か分かりやすい変化がないか。確かめるように周りを見回す。
あの少年はいない。だけど、前回とは確かに変わった。
「ね、私が危ないことしたら、ずっと止めてくれる?」
なんだそれは。
祭は人のためになることは厭わない性格だった。
だけど、わざわざ危険に突っ込むこともしない。彼女の場合、いつの間にか巻き込まれているのが常だったから。
そのたびに、周りに助けられ、彼女は雪だるま式に有名になっていった。
サヤは祭を訝し気に見つめた。
「止めるに決まってるでしょ」
「今日、二回目のびっくり。なんか変なものでも食べた?」
「別に……そういう日があっても、良いでしょ」
誤魔化すように言葉を続ける。
前は言えなかった。でも、今は言える。言わなければならない。
日向灘祭を死なせないために、サヤは手を尽くすつもりだった。
まったく予想外のことが起きるまでは。
「じゃ、これは?」
横を向いていたサヤの顔を、祭が引っ張った。
そのまま、唇が触れる。柔らかい。近い。暖かい。
いくら人が少ないとはいえ、大胆すぎる。
サヤは信じられない気持ちで自分の唇に触れた。
「どういうつもり?」
「そういう、つもり」
にっこりと赤い顔で笑う祭が眩しい。
そう思った瞬間に、サヤの意識は白く染まった。
*
ビルの谷間を駆け上ってきた風が、下から屋上の柵へとサヤの体を押し込む。
ガシャンと無機質な金属音と冷たい感触が伝わってきた。
呆然と周りを見る。
まだ唇には祭の感触が残っていた。
「夢?」
幸せすぎる夢を見たのか。だとしたら、なんという皮肉だろう。
ちょっとした変化が、あんな結末になるなんて。
と、あれが夢なら、祭はどうなった?
サヤには分からない。ここは変わった未来なのか。本当に白昼夢を見ていたのか。
ぴろんとメッセージを告げる音がした。
『どこにいるの?』
祭から。
来るはずのない祭からのメッセージだった。
理解した瞬間に、世界が色を変えた。
ここは祭のいる世界。それが知れただけで十分だ。
メッセージを返そうとした瞬間に、屋上の扉が開く。
柵の外側から、サヤはそれを見つめていた。
「サヤ!」
「ま、つり……」
「なんで、こんなことっ。ずっと一緒にいてって言ったじゃん」
どうやら、この世界のサヤは祭に必要とされているらしい。
サヤは上手くやった。必死な顔で駆け寄ってくる祭の姿が見える。
ああ、祭が生きている。
安心した。その瞬間、気が緩んだ。
つるりと足が屋上の縁から離れる。
落ちる。それに抵抗する気が不思議と起きなかった。
「あ、」
「サヤっ」
祭の後ろに少年が見えた。
目と目が合う。彼はただ微笑んでいた。
サヤは彼に向かって呟いた。
「私、上手くやったでしょ?」
「なに、言ってるの、サヤ!」
傾く視界に、祭の手が伸びて来る。祭の表情が焼き付く。
ああ、これも悪くない。
サヤは笑った。
祭が生きていられるなら、別に、今の世界に興味はない。
最後に、幸せな夢も見れたし、満足。
目をつむったサヤの意識はそのまま暗闇に途切れた。
彼女を残していく自分はきっと酷い人間なのだろう。
だけど、サヤは満足していた。
だって、サヤは祭がいない世界に残されることが何よりも嫌だったのだから。
「そんなの、許せるわけないでしょ!」
聞こえた声は、吉報か凶報か。
答えはきっと誰にも分からない。
つま先の勇気-幼馴染の女の子を取り戻すために- 藤之恵 @teiritu
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