第5話

『君が助けたんだ』


『本当にそうか?』というのは、あの場に居た、誰もがそう思っていた。


 だから本当は、こんな表彰状を貰う権利などあるはずが無い。


 大きな見出しで【高校生占い師 風上冷子!! お手柄】、新聞にそう書かれた。依頼料の6万円が振り込まれ、依頼完了となった。少年も、母も、深々とお辞儀をして、何度も何度も涙ながらに感謝を述べたが、それを、素直に喜ぶことは出来なかった。


 すると、学校からも連絡が入った。冷子を学校からも表彰するという。良い晒しものだと思った。


「私じゃ無いのに…」


 カードショップ 【うるまる堂】


 幅1kmにまで及ぶ、超大型、TCGタロットカードゲーム 【LOSTロスト】に関するもののみを専門的に扱う複合型商業施設だ。


 その一角。【占星術商店街 StarスターRoadロード


 【風上かざかみ 冷子れいこ】は土日の休みは全て、この施設を利用し、ブースを建てて客を招く。


 古びたブルーシートを敷いて、そこに2400円で買ったキャンプ用のステンレステーブルを置いたら、店が完成する。だがこの日は少し、客の入りは乏しい。当然の事だ。人目を避けて、目立たないところに構えたからだ。


 皆の笑い声が、自分を嗤っているように聞こえていた。


『自分の力じゃないくせに』

『手柄横取り』


 そんな幻聴まで聞こえてくる。


「よっ」


「え? 千条城せんじょうのじょう、先輩…?」


 黒のタンクトップにカーディガンを羽織る、褐色の女性。白い歯をキラッと見せて、片手を上げて見せる。

「こんなところに居たんだ」

「あはは…。先輩こそ、どうして?」

「ん。君の様子がちょっと気になってね」

 光江は靴を脱いで、シートの上に座った。

「今日はどうなの? 儲かってる?」


 金銭を入れる為の『バケツ』を、占い師達は皆所有しているようだ。その中を見ても、どうやらこの日はまだ誰も、彼女のもとには来ていないようだ。


「今日は、此処でおしまいにします」

「…良いの?」

「は、はい。なんか、ノれなくて…」

「なんか気に病んでんだね」

「そりゃあ…」

「新聞読んだよ? 大手柄、風上冷子!! 恋占いを得意とする新星が、幼い子供の命を救った!! って」

「私じゃありませんよぉ…」

「そうだね…。私もそう思う。でも君が丸くんと同じ学校の生徒じゃなかったら、あの子は間違いなく死んでたよ。君の手柄は、依頼を請けた事だけかもしれないけど、君は丸君の傍で、ちゃんと勉強して上を目指す意思を見せた。だから丸くんも力を貸したんじゃない?」

「……………」

「家族の為に何かしてあげたかった君に手を貸したかったんだよ。君はこれからもっと強くなれば良い。丸くんも、君の正当な評価だって、言ってたじゃん」

「…………………ですね…。そうですね。………私、もっと強くなります」

「よしっ! その意気だ! じゃあ、もっと目立つ場所でやる?」

「いえ!! 今日は止めます!!」

「あじゃ…。どうしてさ」

「……実は、私、その依頼料が入ったんです」

「ほぉ! 7万円だっけ」

「はい。でも、ご家族に1万円をお返ししたので、6万」

「粋な事するよねぇ」

「それで、お母さんに全部、渡そうと思ってたんです」

「あ、うんうん」

「でもお母さん…。私の、自分の為に使いなさい、と。5万円、渡してくれました」

「そうなんだ…」

「………私、占い師やりたいです。お喋りするのも楽しいし、占い師っていうのも、カッコ良くて、憧れてるんです。だから、カードを買おうと思ってるんです」

「なる…ほど…」

「ずっと欲しかったカードがあるんです。だから、それを…」

「オッケー。じゃあ、見に行こうぜ?」

「それに、許可証があれば、今日一日は出入り自由なので、大丈夫です!」

「あ、なら安心だね」

「はい! あっちです!」


 それは商店街を出て、2階へのエレベーターを上がった、『うるまる堂』、最奥の店。『うるまる屋』。レアカードを主として扱い、売るよりも、展示に近い形の高額カードが揃っている。


 その中の、最も安価とされる値段帯は凡そ、4万からとなる。


「ひえぇぇ…。キラッキラだねぇ…」

「は…はい…。私も、こんなレアカードは1枚も持っていません…」


「あれぇ? 先輩じゃないっスか」


 みすぼらしい黄ばんだTシャツに、薄っぺらい短パン。ツルツルのボウズ頭の男が、ニヤニヤと笑う。その背後に立つ、モコモコとしたウサギのパーカーを身に付ける、真っ白な死に化粧のようにした少女が付き添っている。


「あれでしょ。俺に会いに来たんでしょ? ならもっと早く言ってくださいよ…」


「………」

「んで休みの日にコイツの顔見なきゃいけないんだよ…」


「嬉しいしょ。へへっ。あ、コイツ、俺の妹。朱陽ってんです。ここら辺はもう、俺らが取り仕切ってるみたいなもんなんでね」


 占い師見習い【田中たなか 朱陽しゅよう


「どうする?」

「今日は、帰りましょうか…」


「あぁああの、仕事っスよね。結局、何か悩んでて、俺を頼りに来たんでしょ? 分かってますよ。もう顔見りゃピシャッ、必要な相手が誰なのか、もうかんっぺき。俺と朱陽がバッチリ、ピッタリ、占って見せますから」


「いらない。マジで要らないから。どっか行きなよ」


「あのね。俺マジで可哀想なっちまって…。もう完全に被害者じゃないですか…。俺が助けます」


「だからどっか行けって。邪魔なんだよお前ら」


「お兄ちゃん。この人達は?」

「あぁ、学校でさ。俺にどうしても、占いを頼みたいって人でさ。でも、俺を頼って来てんのに、丸がどうしても自分がって出しゃばってくんだよ。俺の方が実力あんのに…、アイツ的外れな事ばっか言って…。やっぱお前が支えてやんねぇとな。あぁ、コイツ、丸とは婚約関係でね。アイツの両親からも、宜しく頼まれてるんスわ。だから分かったでしょ? どっちが上か。朱陽の方が、占いの実力も上なんスわ」


「もう行こ?」

「はい…。気分悪くなっちゃいました」


「あのさぁ…。だから、あ、分かりました。じゃあ、親睦的に、飯とかどうスか? 近くにめっちゃ美味い飯屋あんスよ。俺ぁ上手いっスよぉ? 美味い飯屋探すの。マジでハズレ無し。へへっ」


 だが、その時だった。とある店舗スタッフが、光江と冷子の間に首を突っ込んだ。

「失礼致します」

「あ、はい。あぁすみません。邪魔でしたよね。すぐ行きますから」と言った手前、その顔に、光江は覚えがあった。


「……ん?」


 すると女スタッフは、それはもう晴れやかで可愛らしい笑顔を湛えて「お久しぶりです。光江先輩」、囁くように言う。

里奈りな!?」


 高校生 うるまる堂 アルバイトスタッフ 【斎藤さいとう 里奈りな


「里奈…?」


 そしてそれは、健太郎にとっても馴染のある顔だった。


「もうめっちゃ会いたかったです先輩!!」

 ぴょんと飛び跳ねて拳を握る里奈を、光江は肩をそっと撫でた。

「里奈ぁ!! うわっ、お前…久しぶりだねぇ…。ちょっと背伸びたな…」

「いえいえそんな事は無いですよ? いやぁビックリしました。まさかこんなところで会えるなんて」

「え、なにアルバイト?」


「おいおいおいおい里奈じゃねぇか!! ひっさしぶりだなぁ!! え、この先輩と知り合い? んだよ…。なぁなら分かるだろ? え、てかなにアルバイト、うわ…スゲェ…。なんか、やっぱほら、俺らって昔からそういうところあったよな。なんていうか、スーパーとかで偶然会ったりさ。な?」


「アルバイト、というか、まぁ色々ありまして…。えへへ」

「なんだよぉ…。制服似合ってんなぁ」

「本当ですかぁ?」

「高校はどう?」

「中々…。付いていくのがやっと? と、言うのが定番なんでしょうけどね…」

「お前なら余裕だろ」

「実は結構余裕で越えちゃっててえへへぇ!!」

「そっか」「あの…先輩…?」

「あぁごめん。斎藤里奈。塾で知り合った後輩でね。友達なんだよ」

「あ、そうだったんですね…。あ、初めまして」

「はい。【風上 冷子】様ですね。お初にお目にかかります。斎藤里奈。アルバイトではありますが、【日之召天院 丸】の傍でマネージャー見習いをしています」


「…………は?」


「え? 丸くんの?」

「はい。丸とは、中学からの同級生なんですよ」

「あ、そうだったんだ。そんな繋がりが…。狭いもんだねぇ…。四国田舎だもんなぁ…」

「そうですよねぇ…。あ、それで実は私、風上冷子様を探していたんです」

「え? 私を?」

「はい。宜しければ、あの、言い難いのですが…先輩も…宜しければ…」

「え…なに…いきなりどうしたの…。私も?」

「はい。風上様、昨日の一件で日之召天院の助力を受けたとお聞きして、それで、その、ちょっと個人的ではありますけど、頼まれ事をして頂けないかと。空いている占い師も、マネージャー陣も中々…」

「占い関係ですか?」

「いえまったく関係無いです」

「無いの!?」

「はいぃ…。先輩も、なんか、丸に色々と、質問攻めにした、とか。あ、私もゆっくりお喋りしたいですし…」

「どんな頼み事なの」

「実は、丸は上の階で今、書類作業に追われているんです」

「うんうん」

「ですが…その…」

「なにさ。言いなよ」

「丸の妹様が、お越しになってるんです」


「…………」

「…………」


「……は? 妹? おいおいなんだよそりゃ。んな話聞いた事ねぇな」


「彼、妹いんの?」

「はい。実は。ですが、まぁ実にヤンチャな方で…。丸の仕事が全く手に付かない状態となっていて…。お願いします!! ちょっとだけ、お相手をして頂けないか、と」


「あ、あの…私で良いんですか…?」


「ちょっとの時間で良いんです。本当に。もう一人の妹様がお越しになるまでの、数時間ほど…」


「あぁ…なるほどな。分かった。なら、俺が行くよ。ったく…。妹ねぇ…。はっ。可哀想にな…。あんなのが兄なんて、まぁ選べねぇもんだもんな…。朱陽。良いだろ? お前も、丸と一緒に仕事ちょっとやってやれよ」

「うん! 漸く会えるね…。楽しみ…」


「分かった。良いよ?」

(ヤンチャ…か…)


『あのさぁ兄ちゃんさぁ…。なんでいつもそうな訳? 占いなんかやってないで、背伸ばす方法考えたらどうなの? ったく。アンタのせいで私までチビに見られるじゃないどうしてくれんのよ!!! あ!?』


「彼大人しいもんね…。大変そうだな」

「そうですね…。お役に立てるかは、分かりませんけど」


「本当ですか!? 良かったー…。私は16時には仕事が終わりますので、先輩も、風上様も、ゆっくりお食事にしましょうよぉ」

「うん。楽しみ」

「は、はい」

「こちらです」


 そうして、5人が並んで2階の大通りを歩くと、エレベーターの前に、警備員が3人並ぶ。一人の男がエレベーターを起動して、1階から、2階に上げる。そして二人の警備員が、二人の行動を制した。

「あ? おい。なんだよ」


「12階に上がります」

「オッケー。良かったー…。ウザいのが居なくなって」

「一気にストレスたまりました…」

「あれ私3年我慢したんですよー?」


「おいフザけんなって!! おい!! 意味が分かんねぇんだよ説明しろって!!」


 赤い絨毯の床に、黒字に星柄が描かれた壁に囲まれた、豪奢な箱が、上に上に上がってゆく。どうやら、彼は最上階に居るらしい。


「12階が職場?」

「はい。この棟は名のある占い師さんが事務所として借りて、仕事をするんです。当然、世界最高峰。日之召天院 丸はその最上階に居るという訳ですよ」


『あのさぁ…。ハハッ…。私の事誰だと思ってんの? 世界、最高峰の、妹なのよ!? アンタ分かってんの? お茶の淹れ方も分からないわけ!? さっさと淹れなさい!! 私が満足するまでね!!!』


「………大変そうだ…」

「ですね…」

「?」


 12階に着き、開かれた扉の奥は、意外と質素だった。木目の壁に囲まれた、4畳半くらいの小さな空間の奥に、赤い扉があるだけ。

「この奥が、丸の部屋となっています」

「ほほぉ…」


 だが、開かれた部屋の全貌に、目が開く。


 入道雲が遠くに見え、広がる海が一望できる夏の景色が全面にあって、バルコニーにはリクライニングチェアが2席並ぶ広々とした空間がある。


 大理石調のキッチンに、部屋のど真ん中に石造りのテーブルがドンと置かれ、それには占いに使う白い枠が描かれている。


 大画面のテレビを、シックなソファが囲んでいるが、どうやらそれほど大人数での使用を想定はしていないようだ。


「ほええぇぇぇぇえ…すぅげぇぇぇぇ…」

「はあぁぁぁ…。これは最高峰じゃないですかぁ…ひえぇぇぇ…。ほ…本当に入って良いんですか…?」

「丸くんは?」

「あ、隣の部屋に」


 里奈は書斎に続く扉を優しくノックする。

「失礼します」

 するとドタドタと音を立てて、扉が開くと、小さな女の子が二人、扉を開いた。


「りな!!」

「りなだ!!」


「あら…」

「あらら…」

 瓜二つの幼女は里奈の足に抱き着き、半泣きになってしまった。

「兄ちゃんが遊んでくれないの」

「くれないの…」


「ごめんね? お兄さん、お仕事が忙しいの。あ、でも、二人と遊びたーいっていう人が、来てくれてますよ?」


「ん…」

「ん」


 その二人の視線が、冷子と光江に向くと、拙い足取りで駆けて来る。髪の長さまで瓜二つ。並んで、それをじっと見ても全く違いが分からないくらいの双子だった。

「わぁ…。かっわ…」

「可愛いですね…。こんにちは」


「ちゃ!」

「こんち」


「たはは…。挨拶はちゃんとしような? 幾つですかっ」


 小さな手を折り曲げて、二本指を立てた。

「200歳」

「200歳!!」


「わはは…。おバカさん達だ…」


「里奈ぁ?」

 着やすそうな大きめのパーカーを身に付けた、丸は、長髪を持ち上げ後頭部を掻きながら現れた。冷子はともかく、光江の姿にはやや驚いたらしい。

「あれ?」


「お、私は予想外だったかい?」


 その時だった。ポコンッ、ゴムボールが、光江の頭部に当たった。

「いてっ。あー。こらぁ」


「ボール投げんじょー」

「投げんじょー」


「アハハ。先輩も来てたんですね…。今投げた方が、【みゆき】。ちっとは大人しい方が【ゆうか】です」


「あー…。どっちが投げた?」

 交互に見つめると、悪戯心の顔が花開く。

「ぱっ!」

「はっ!」

 何かを思い付いた二人は、ぐるぐると回って見せた。

「どっちだ!!」

「どーっちだ!!」

「ハズしたら投げる!」

「当たっても投げる!!」


「はぁーーーー…。よぉし、お前ら二人とも、掛かって来い!!!」


「あははっ。良かったなお前達。良い? 失礼な事はしない。分かった?」

「ぶぅ…」

「ぶぅー…。じゃあ後で遊んでくれる?」

「くれる?」

「ああ良いよ。仕事が終わったらたっぷりな」

「じゃあお姉ちゃんで我慢する」「いい子にしてたらな?」

「いい子だもん」

「だもん。ねー?」

「ねー!」

「………ったく…。ホント、申し訳ない…。こんな妹だけど、ちょっとの間だけ、相手をしてあげてください。そして、一杯体力をすり減らしておいてください」

「こんな事なら喜んで。勝手に一人っ子だと思ってたわ私」

「何分、夏休み前はどうしても仕事が立て込む時期で…。里奈。お二人の帰りは、スタッフ用の船を使って、送って差し上げて?」

「はい。畏まりました」

「冷蔵庫の中は、ドーナツ以外は好きに食べて下さい。ドーナツは、もう一人の妹が好きなんで、どうか手は付けないように」

「分かった」

「ほらお前達。これ付けて? 青いリボンが『みゆき』で、赤いリボンが『ゆうか』ですっ。はい。これで分かるかな。もしも何かあれば、受話器から直接、里奈か、焔という俺のマネージャーに繋がりますから、申し付けて下さい。それでは」


「よぉし。じゃあ何して遊ぼうか」

「ボール投げ!」

「ボール投げ!」

「えー?」


「あ、出来ればお静かに」


「おっけー」

「おっけー」

「君達、シーッ」

「しーっ」


「えー?」

「えー」


「それでは、風上様。光江先輩。私も職務に戻ります。何かあれば小さな事でも遠慮なくご連絡ください。もう一人の妹様は、『りょう』と言いまして、恐らく、バルコニーにあるエレベーターから上がって来られる、シュッとした眼鏡の女の子です。中学二年生。今日は、塾に行っていて、15時には帰って来られると思います」


「猟ちゃんね。分かった。どんな子?」

「かなり普通の女の子ですよ。占い師でありませんし、お洒落と小説が好きな、落ち着いた感じの女の子です」

「でもね? あのね? あんまり遊んでくれないの…」

「猟、遊んでくれない…」

「猟さんは、名門校を志望していて、今からもう既に受験モードなんですよ」

「あーーーねーー…? そりゃあ君達にすれば寂しいものかぁ…」

「おまけに、勉強してないと落ち着かない質らしくて…。空き時間は全部勉強につぎ込んでるんです」

「そっちの子の方が心配だなぁ私」

「ねー遊ぼー?」

「遊びに来たんでしょー?」

「はぁいはい! 遊ぼう遊ぼう!」

「遊びましょー」


 仕事をしながら子供の世話というのは至難かもしれないが、いざそれのみとして遊んでみれば、至って普通で、とても可愛らしい子供達だった。膝の上に座って、手のひらを握って来ると、人差し指と中指を握って広げてみたり、動かしてみたり、ちょっと噛んでみたり。すると膝の上に立って両手を広げて首に絡み付いてくると、もちもちの手のひらで頬を抓って来たり、強く抱き着いてきたり。なんとも甘え症な子供達だった。

 冷子は引き出しを漁ると遊び道具が沢山入っている。ゴムボールが好きらしい。ゴムボール専用の棚には色とりどりのボールが敷き詰められていて、これを投げて遊んでいるのが目に浮かぶ。冷子が手にしたのは、鍵盤ハーモニカだった。

「お、弾けるの?」

「ちょっとだけ」

 光江の膝に二人が座って、冷子を目の前に音楽に合わせて上手に歌う。

「上手ねー」、耳の裏辺りを擽ってやると、それはもうニコニコと笑うのだった。そんな事をしていれば、時間なんてものはものの一瞬で時計の針が一蹴する。ボールを投げて机の上のヌイグルミを倒したり、絵本を読み聞かせたり、アルプス一万尺したりしていると、二人の熱烈な遊びが少しずつ落ち着いて来て、それからずっとお喋りだ。

「ねぇ、お母さんってどんな人?」

「こわいの」

「こわーい」

「ッ怖いの?」

「うん! すぐ怒るよ? だからひなんしてきた」

「してきた。でもらいげつ帰る」

「何処に帰っちゃうの」

「おきなわー」

「おきなわだよ?」

「あ、じゃあ沖縄からこっちに…」

「うん。暑いよ?」

「めっちゃくちゃ暑い」

「暑そうだねぇ…。でもお母さん心配してるよ?」

「してないよ」

「うん。絶対してない。鬼だから」

「こーらっ。お母さんにそんなこと言っちゃ」

「ぶぅ」

「ぶぅー」

「何か食べましょっか」

「あ、ごめん」

「いえいえ」

 冷蔵庫の中には、英語で書かれた謎の食べ物が上部に並ぶ。その内の1つや2つくらいなら、冷子にも読めた。

「せせせせせせ先輩…。キャビアとかありますよ…」

 子供二人を抱き抱え、覗き込むと、そのどれも、高級なものばかりだ。

「そりゃあこんなところに住んでたらあるでしょうよ。うっわ…。すぅごいね…」

「それ美味しく無いよ?」

「ぜんぜおいしくない」

「じゃあ君達は何が好き?」

「ホットケーキ!」

「くろわっさん!」

「おー。残念。それは無さそうだな」

「じゃあドーナツ」

「どーなつぅ」

「それは、猟ちゃんって子のだから、だーめっ」

「えーーーん?」

「えーーーー? 猟はいつも食べてるよぉ」

「兄ちゃんが作るの」

「手作り」

「あ、そうなんだ。え、これ? これ丸兄ちゃんが作るんだ。すごいねー!」

「くろわっさんも兄ちゃんが作る」

「俺のクロワッサンマジで世界一だから。マジで。いつも言ってるー」

「ねー」

「目に浮かぶなー…」

「言ってそー…」


「あ…あの…開けっ放しは」


「わお!」

「あ、ごめんなさい」


 背後に立っていたのは、黒髪の綺麗なロングヘアー。少しイカつい眼鏡を掛けた凛凛しい女性だった。

「あーーー…もしかして…」


「……猟です。初めまして」

 気難しいタイプを想像した。表情が強張っていて、緊張していて、しかし凛として確固たるものが視える。だから光江も冷子もやや緊張を張って、お辞儀してみせた。

「初めまして。【千条城 光江】です。丸さんには、学校でお世話になって。それで」

「風上冷子です」

「風上…。千条城…。え!? 千条城!?」

「え、うん」

「それって! 【三輪塾】の?」

 その緊張とは一転、彼女は両掌を合わせて、頬をピンク色に染めて詰め寄った。

「おーうんそーそー」

「わー! 私も三輪塾なんです。この前の定期テスト、絶対千条城さんに並んでやろう! って思ってたのに、ちょっと及ばなくって! 密かなライバルにしてましたー!」

「あら! アハハハハハハハハ! そうだったのか。じゃあ君も私の後輩だね。でもあれは完全に運が味方した感じあるしなー…」

 そんなイメージは、一瞬で崩れてしまうくらい、花のように爛漫な少女だった。


「りょー? 帰ったのー?」

「あ、うーん。ただいまー」

「顔くらい見せろおまえー」

「じゃあ出てこーい。隣じゃーん」


 そう言って、扉を開いた。気難しい顔をしながら彼は現れ、妹よりもずっと背が小さくとも、何処か、兄っぽい顔をして、妹もまた、妹っぽい顔をして、「ただいま」と、そして「うん。おかえり」と笑顔を向ける。


「ドーナツあるよ?」

「食べる食べるぅ!」


 ルンルンとスリッパを弾いて音を鳴らし、冷蔵庫からドーナツの皿を取り出した。

「兄ちゃん」

 みゆきとゆうかは丸の裾を掴んで揺らした。

「お、どうしたー?」

「お仕事終わった?」

「終わったの-?」

 丸は中腰になって、顔を向けると、カクンッ、頭を落とした。

「ぜんぜんっ」

「ぶー!」

「ぶー!」

「ほらほら。私達と遊ぼー?」


「あ、丸さん。その昨日は」

「ん、あー」

 やはりまだ、気が沈んでいるらしい。だが丸は、手のひらを広げて見せた。

「5人!」

「え?」

「君の外にも、5人の、君より上位の占い師さんが、同じ任務に当たってたみたいだ。その中で、現地にまで赴いて駆けずり回ってくれたのは君だけだし、君の声が届かなければ、俺ももっと長引いたはずだ。まぁ一昨日の時点で話は欲しかったし、確かに君はまだまだ力不足。でも、感謝に値する仕事をしたのは、君だけだ」

「うぅ…。でも、本当に貰って良いんでしょうか…」

「良いんだよ。世の中は確かにお金が必要で、お金が全てだと言われているけど、そのお金というのは須らく感謝の形だ。それだけは忘れないで」

「……………。はい」

「よしっ。じゃあ俺はもう少し、仕事がありますので…」

「あ、うん」

「猟。くれぐれも、頼むね」

「分かってるよ」

「それじゃあ」


「お姉さんお姉さん」

「え?」

「ああやってカッコいい事言って、後でいい気になるのが、私達の兄貴なんですっ」「くーれーぐーれーもー!?」「バカあにー!!」

「あははっ。そうなの? うん。でも、カッコいいね…」


「みっちゃーん。海行こー?」

「海行きたーい」

「えー? 海ぃ?」

「バルコニーからエレベーターで降りたところにビーチがあるんですよ。この棟に住んでいる人だけが使って良いんです」

「え、良いのかな入って」

「良いんですよ。お客さんとかも沢山来て、お祭りみたいにバーベキューしたりもしますから」

「ッへぇー」

「見てー?」


 瓶の中には、綺麗に敷き詰められたシーグラスが沢山入っていた。


「わぁ一杯持ってるねー。お宝だ」


「私貝殻集めてるの!」


 籠の中に、綺麗に磨かれた貝殻が沢山入っていて、光を反射させている。


「おぉ、こっちも。すぅごいねぇ」


「一緒にさがそ?」

「そー?」


「ちょっと食べてからにしないかい?」

「私もお腹空いちゃった」

「じゃあ一緒にドーナツ食べましょう」

「やった」

「やったぁ!」


 海に行こうと言った手前だったが、少女たちは少し食べると、うとうとと首を回すようになっていた。

「おいでおいで」

 手の先で招いて抱き上げて、綺麗な景色を目の前に背中を摩ってやる。するとその中に、しっとりとした静かな時間が流れた。16時になるとすぐに、部屋に私服姿の里奈が入って来て、小上がりにある座卓を囲んで、女子会が開かれる。


「丸くん忙しいみたいだねぇ…」

「今の時期はですね…。他の階の占い師さんも追われてますよ。龍華様も、今日は九州に飛び、明日は関西。その次の日は入れ替わりで、丸が九州、その後は東北」

「はぇー…。売れっ子は凄いなぁ…」

「こんな良い部屋で美味しいもの食べなきゃやってられませんよねー…」

「だねぇ」

「とはいえ、本人は、夏休みを満喫する為に、宿題を早く終わらせてるだけ、とは言ってるんですけど」

「はははっ」


「聞いて良いですか…」


「あ、どうぞ?」

「あの田中たちはもう帰りましたか?」

「あぁいや、まだ居ますよ? エレベーターの外で待機してました。出てくると思って。皆さんは、裏からお帰り下さい。ていうか、あのストーカー…ほんと反省しませんよね…。先輩大丈夫ですか?」

「私はまだ。学校でも結構な噂になっててね。どこまでが事実かは分からないんだけど」

「ぶっちゃけ全部事実です。私、アイツからのストーカー行為で、3回引っ越したんですから」

「え!?」

「3回?」

「深夜になっても家に押しかけてきて、ピンポンピンポンピンポン」

「まぁじで!?」「超危険人物じゃないですか…」

「そうなんですよ…。だから引っ越しに引っ越しを重ねた結果、それでも付き纏う意思があったから警察に連絡して、でもお金が無いからどうしようもないってところに、丸が、そこで援助してくれたんです」

「丸くんが?」

「そう。私と龍華は、丸とのツテで知り合ってからずっと親友で、その他にも保育園時代からの親友が二人、丸とは結構密な関係なんです。そういう縁を大事にするって建前で、家を斡旋してくれたんです。それでも逼迫したもんだから、こうして、マネージャー業を勉強しながら、いずれは龍華のマネージャーとしてやっていこうって思ってるんです」

「はぁー…。凄いな」

「それで、どうかしたんですか?」

「あぁいえ、ちょっと、カードを買おう、かな、と」

「あぁなるほど。であれば、私がお持ちしますよ。ご希望のカードを申し付けて頂ければ」

「え!?」

「良いんですよぉ」

「あぁ…えと…その…。候補が、幾つかあって…」

「丸くんも成績良いんだから違う学校とかあったろうに…」

「龍華が居ますからねぇ…。龍華は実は」

「彼女も成績良いじゃん」

「テスト前はいつも私達でどうにかこうにか診てる感じで。次の日には全部忘れてるんですよ?」

「あ、そうなの?」

「いつも泊りがけです。ギリ80点台は維持してますけどね。勉強嫌すぎてヌイグルミ投げ付けて来る始末…」

「あはは。意外な一面…」


 そうして、1時間ほどが経過した頃だった。

「おわりー…おつかれさまー!!」

 丸が部屋から出てきて、大きく背伸びをした。


「おつかれー」

「お、お疲れ様です」


「ごめんなさい。お二人とも。大変だったでしょ」

「君よりは全然。君こんなかわいい妹3人も居るの? 幸せ者だね」

「そりゃ、幸せではありますがねぇ…。女ばっかなのも考えものですよ」

「男兄弟はじゃあいないんだ」

「いえ。弟が二人」

「ッ大家族じゃん!」

「そうなんですよ。一人は小6で、今は沖縄。もう一人は、四国本土のアパートで、お母さんの舎弟分の男の人達と暮らしてる中1」

「特に、中1の方は昂鯉こうりって言うんだけど、特別可愛がってて…」


「…………」

(お父さんは…)


「色々ありましてね。俺らも」


「…そうなんだ」

「でも仲良くなれたようで良かったですよ」


「………………兄さん…」

「?」


「光江さん!!!」

「え? え?」

「兄さんがッこんなに大人しくなるなら!! また絶対来て!?」

「普段はどんななの」

「もっと、もっっと、荒くれ」

「荒くれぇ? 家ではもっとビッグマウスなわけ?」

「メガマウスだよ。メガマウス」

「鮫じゃん」

「こら猟? 風上さんも、ごめんね?」

「い、いえ! 正直私も楽しませてもらってます」

「そんなに気を使わないでよ」

「風上さん、カード買いに来たんだってよ? 何かアドバイスしてあげたら?」

「お、なるほど。報酬を使ったデッキ強化か」

「う゛、は…はい…。でも、どれを買おうか…悩んでて…」

「あははっ。なるほどね。なるほど。……うん。じゃあ君、ちょっと占い、やってみようか」

「え!?」

「里奈。その候補のカード聞いて、ちょっと持って来てくれない?」

「分かりました。ちょっと、行って来ます」

「良いの? 仕事終わったのに」

「良いんですよ。依頼がいつ来るか分からないので、私は常時仕事モードです」

「大変なんだなぁ…」

「すみません。ホント」

「良いんですよ」


 ビシッ、と彼女はまた、シャツを身に付け、ベストに腕を通し、アルバイトである証明の、緑の蝶ネクタイをギュッと締めた。

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