神さまの天秤

@JULIA_JULIA

第1話

 中学二年生の僕───武井たけい 元春もとはると、同学年の恋人───辻山つじやま 伊織いおりは下校中、学校から程近い公園で顔を並べていた。僕たちの視線の先には、奇妙なモノ───なんだか、おどろおどろしい天秤が置いてある。それは、『巾』の形をしたような吊り天秤である。金属製の吊り天秤である。大きさはというと、高さも横幅も三十センチメートルほど。


 その吊り天秤のなにが『おどろおどろしいのか』というと───、真ん中の支柱は苦悶の表情を浮かべている悪魔のように見え、なんとも長い両腕を左右にピンと伸ばし、その腕からは細い鎖が垂れていて、小さな皿を吊っている。そして支柱の下には、円形の板。その上面じょうめんには、これまた苦悶する顔の絵が描かれている。しかし、その顔は人間のようで、いくつも描かれている。


 つまり苦悶する人々の顔の上に立つ悪魔、そしてその悪魔も苦悶している───というような吊り天秤である。これで、おどろおどろしさが伝わっただろうか。


 そんな、おどろおどろしい吊り天秤がどうして僕と伊織いおりの目の前にあるのかというと、それはつい先程僕が貰ったモノで、つまりは僕のモノだからだ。その経緯いきさつは、次のようになる。




 中学校をあとにした僕と伊織いおりは程なくすると、一人のお爺さんを目にした。彼は大きな荷物を背負っていて、なんともツラそうに歩いていた。そこで僕は声を掛け、その荷物を持ってあげることにした。そうして暫く歩くと、お爺さんは大きなビルの前で立ち止まり、「ここまででイイよ」と言って、荷物を受け取った。そのとき、お礼として吊り天秤をくれたのだ。僕は大したことをしたワケではないので丁重に断ったが、彼は押し付けるようにして吊り天秤を渡してきた。そうして、お爺さんはビルの中へと入っていった。その後、僕は伊織いおりを連れ、この公園へと来た。そして今、ベンチの上に吊り天秤を置き、伊織いおりと二人でその前にしゃがみ込んで眺めているワケだ。






「ねぇ、元春もとはるくん。これ、本物かな?」


「さぁ、どうだろうね」


 二人して吊り天秤を眺めながら、事の真偽を探る僕たち。どういうことかというと、お爺さんは吊り天秤を渡してきた際、


「これは『神さまの天秤』と言ってな、様々なモノの尊さや価値を知ることができるんじゃ」


 と言っていた。その上、


「また、思いの強さを知ることもできる。皿には、実体のないモノでも乗せられるからのぅ。皿の前に両手をかざして『乗せたいモノ』を言葉にすれば、それでイイ。だから、どんなモノでも乗せられるぞ」


 とも言っていた。実体のないモノを乗せるなんて、そんなことが本当にできるのだろうか。


「ちょっと試してみようよ。ホントになんでも乗せられるなら、これはスゴいモノだよ」


「う、うん・・・」


 なんだか積極的な伊織いおりに対し、僕はあまり乗り気ではない。半信半疑というか、殆ど信じていないからだ。そんな僕を尻目に伊織いおりは、向かって右の皿───つまりは悪魔の左腕の皿に両手をかざす。


「ワタシの、元春もとはるくんへの愛情」


「え? なに言ってるの?」


「だって、いつもケンカになるから、この際ハッキリさせようよ」


 僕と伊織いおりは『どちらの愛情がより深く大きく重いか』という話を度々する。そして、いつもケンカに発展する。まぁケンカというよりは、『じゃれ合い』なのだが。


 しかし困った。実のところ僕は最近、伊織いおりに対して少しめてきているのだ。彼女はいつもベタベタとしてくる。そのことに、ほんの少しだけではあるが、めてきているのだ。あまりにもベタベタとしてくるから。


 もしも本当に、この吊り天秤が様々なモノの尊さや価値を測れるのなら───、いや、思いの強さを測れるのなら、『伊織いおりに対する僕の愛情』が『僕に対する伊織いおりの愛情』よりも軽いことが───僕の愛がそこそこに弱いことがバレてしまう。そんな事態はできる限り避けたい。よって、伊織いおりを説得する。


「それは止めとこうよ。そういうのは、ハッキリとさせるようなモノじゃ───」


元春もとはるくんの、ワタシへの愛情」


「あ・・・」


 遅かった、伊織いおりは既に右腕の皿に両手をかざしている。このままでは僕の愛情の弱さがバレてしまう。どうすればイイのだろうか。


 しかし、それは杞憂に終わる。吊り天秤は全く動かない。悪魔の両腕はピタリと止まったままだ。


「あれ? やっぱり偽物なのかな?」


 不思議そうに吊り天秤を見つめている伊織いおり。ともかく、これで助かった。しかしそう思った瞬間、吊り天秤の両腕が動いた。


「・・・え?」


 伊織いおりが戸惑いの声を漏らした。吊り天秤が示した結果に戸惑っているのだ。そして、僕も戸惑った。悪魔の右腕が下がったからだ。そちらの皿に乗っているのは、『伊織いおりに対する僕の愛情』だ。つまり『僕の愛の方が強い』ということだ。


 その結果は意外なモノだった。しかしもっと意外だったのは、『悪魔の右腕の下がり方』だ。これ以上ないくらいに下がっていることだ。つまり相対的に、悪魔の左腕はこれ以上ないくらいに上がっている。よって、伊織いおりの愛情が完敗したことになる。


「え? え? ウソ・・・、なんで?」


 大いに戸惑っている伊織いおり。僕への愛情があまりにも弱いため、戸惑っているのだ。


「こ、これ・・・、やっぱり偽物だよ!」


 必死に言い張る伊織いおり。しかし悪魔の腕が動いたのは事実であり、その腕が吊り下げている皿の上には、なにも乗っていない。そう、見えるモノはなにも乗っていないのに腕が動いたのだ。その時点で、この吊り天秤は本物だと言えるのではないだろうか。


「偽物っ、偽物ぉ、偽物ぉっ!!」


 吊り天秤を指差しながら、叫んだ伊織いおり。その姿はまるで祓魔師ふつまし───エクソシストのようだ。


「でも、腕は動いたし・・・」


「そ、そうだけど! ・・・あっ! 逆になってるんじゃないの?」


「逆?」


「うん! より思いの強い方が、より尊い方が、上がるようになってるんじゃないかな!」


 なるほど・・・。たしかに、お爺さんは『様々なモノの尊さや価値を知ることができる』とか、『思いの強さを知ることもできる』とか、『どんなモノでも乗せられる』とは言っていたが、『より尊いモノを乗せている皿の方が下がる』みたいなことは言っていなかった。


 となると、伊織いおりの言うとおりなのかもしれない。そう考えないと可笑しなことになる。いつもベタベタとしてくる伊織いおりの愛が、少しめてきている僕の愛に完敗するなんて、そんなことは考えにくいのだ。


「ワタシ、確かめてみる!」


 そう言うと、伊織いおりは近くに落ちている小石を拾い始めた。そして吊り天秤の左右の皿に小石を一つずつ置く。およそ十秒後、悪魔の左腕がほんの僅かに下がった。


「ほら、やっぱり! こっちの石の方が小さいのに、下がってる! この天秤は、価値がある方が上がるんだよ! だったら、思いの強い方が上がるってことなんだよ!」


 たしかに伊織いおりの言うとおり、より小さい小石を乗せた皿の方が下がっている。しかし・・・。


「これ、重さを量る天秤じゃなくて、尊さや価値を測る天秤だよ? だったら石の大きさは関係ないよね?」


「っ!? でもでも、小さい方が価値があるなんて、可笑しくない?」


「う~ん、どうだろ・・・。もしかしたら石の質が違ったり、この小さい方の石の中に水晶とか、なんか希少なモノが入ってるのかも・・・」


「そんな・・・。だったら!」


 伊織いおりは気合いを入れると共に駆け出した。そうして向かったのは、公園内に設置されているゴミ箱。その中へと両腕を突っ込み、ガサガサとゴミを漁っている。その姿に僕はそこそこ引いたため、彼女への愛情は更にめた。やがて戻ってきた伊織いおりの両手には、それぞれビニール袋が握られている。


「こ、これなら同じ袋だから、釣り合う筈だよね?」


 伊織いおりが持っているのは、同じコンビニのビニール袋が二つ。その大きさも同じに見える。彼女はそれらを小さく丸めるように縛り、吊り天秤の左右の皿にそれぞれを乗せた。すると、やはり十秒後に悪魔の腕が動く。


「あ、あれ?」


 吊り天秤の左右の皿は釣り合わず、僅かに悪魔の左腕が下がっている。


「分かった! これ、無茶苦茶に動いてるんじゃないかな!」


 伊織いおりは『なにかが乗ると、適当に動く』と言いたいのだろうが、よくよく見てみれば二つのビニール袋には違いがある。


「こっちの方がキレイだから、下がったんじゃないかな」


 皿に乗っているビニール袋は、どちらも汚れている。しかし、その汚れ方には少し差がある。


「じゃ、じゃあ!」


 またしても伊織いおりは駆け出した。その後、ゴミ箱からジュースの缶を持ってきたり、公園の脇から雑草を引き千切ってきたりと、何度も吊り天秤を試した伊織いおり。しかし、その結果はどれも妥当なモノのように感じた。つまり、『より尊く、より価値があると思えたモノ』が乗った皿の方が下がっていたように感じた。


「な、なんなの! こうなったら、次は───」


「あのさ、伊織いおり。思ったんだけど・・・」


 駆け出しそうになっていた伊織いおりを止めると、彼女は必死の形相で振り向いた。


「なにっ? どうしたのっ、元春もとはるくんっ!?」


「全く同じモノを言葉に出せばイイんじゃないのかな? それで釣り合わなかったら、これは適当に動いてるんだと思うし」


「・・・・・・・」


 その後、伊織いおりは十秒ほど固まっていた。彼女の心のうちを代弁するとしたら、『もっと早く言ってよ、今までの時間と労力が完全に無駄じゃないの』といったところか。






 気を取り直して、吊り天秤の正確さを確かめる伊織いおり。片方の皿に両手をかざして、彼女は言う。


「富士山」


 なんとも壮大なスケール。しかしまぁ、それは別にイイだろう。そして、もう一方の皿にも富士山を乗せた伊織いおり。すると悪魔の腕は、いつまで経っても動かない。微動だにすら、しない。


「・・・本物じゃないかな?」


「そんな! そんなこと、ないよ! だってワタシは元春もとはるくんのこと、こんなに好きなのに! それなのに、あんな・・・、あんな結果になるなんて、そんなの可笑しいよ!」


 僕も可笑しいとは思う。伊織いおりに対してめ気味の僕の愛情が、いつもベタベタしてくる伊織いおりの愛情に勝ってしまうなんて・・・。それも、完勝してしまうなんて・・・。


「ワタシは絶対に、元春もとはるくんへの愛情を示すから!」


 そう言って、伊織いおりは吊り天秤の皿に両手をかざす。


「ワタシの、元春もとはるくんへの愛情!」


 気合いを入れて叫んだ伊織いおりはその直後、隣の皿に両手をかざす。そして更なる気合いで叫ぶ。


「地球!!」


 ・・・いや、その勝負はどう考えても負けると思うんだけど。


 僕の予想どおり、完敗だった。その後、伊織いおりは対戦相手を次々と変えていった。つまり、連敗しまくったのだ。そのどれもが完敗だった。そして二十回を超える勝負の末・・・。


「一円玉!!」


 やはり完敗だった。


「ど、どうして・・・」


 地面に両手を突いて項垂うなだれた伊織いおり。だけど項垂うなだれたいのは僕の方である。まさか一円玉に完敗するような愛情しか持ってもらえないなんて、それはもう、『愛情は存在していない』と言えるのではないだろうか。


 そんな懸念をいだく僕を余所よそに、伊織いおりは立ち上がり、まだ勝負を挑もうとする。これ以上、なにと戦うつもりなのだろうか。そのとき、ふとした考えが僕の脳内に浮かぶ。


「ワタシの、元春もとはるくんへの愛情!」


 吊り天秤の皿に両手をかざし、やはり気合いを込めて叫んだ伊織いおり。その瞬間、僕はもう一方の皿に両手をかざして、言う。


伊織いおりの、カネへの執着」


「え?」


 突然のことに声を漏らして体を固めた伊織いおり。すると程なくして、天秤の結果が出る。勝者は『カネへの執着』だった。しかも、完勝だった。


「な、なにしてるの・・・? 元春もとはるくん・・・?」


 自分でこんなことを言うのはどうかと思うけれど、僕の家は相当な金持ちである。それなりの規模の多角経営をしているため、かなりの収益を上げている。しかしながら、僕は普通の中学生である。小遣いも一般的な額だし、お年玉や誕生日プレゼントも同様だ。それは、『子供のうちから大金を手にするとろくなことがない』という両親の考えによるモノだ。


 とはいえ、将来的にはウチの資産は全てが僕のモノになる。僕は一人っ子だからだ。どうやら伊織いおりはそれを狙っているのだろう。よって僕は、またしても吊り天秤の皿に両手をかざす。


伊織いおりに対する、僕の愛情」


「ねぇ・・・、元春もとはるくん?」


伊織いおりの、カネへの執着」


 結果は、やはり『カネへの執着』の完勝。これでハッキリとした。伊織いおりは僕を愛しているのではなくて、カネを愛しているのだ。僕が将来的に入手するカネを愛しているのだ。しかし、そのことは彼女も気付いていなかったのだろう。もしも気付いていたのなら、互いの愛情を比べるなどという最初の勝負はしなかった筈だ。


「・・・伊織いおり、別れよう」


「そ、そんな・・・。イヤッ! イヤだよっ!!」


 僕は吊り天秤を片手に、泣き崩れた伊織いおりがいる公園をあとにした。



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