第11話 再会の約束

 翌日、二人は早朝にホテルを出た。レンタカーを返却して、バスや電車を乗り継ぎ、目的地へ向かう。電車の中で上喰がゴソゴソとビニール袋を開け、中から菓子パンを取って食べ出した。

「噛田、これ食べていい?」

「いいよ」

「あざす」

 ほとんど人のいない電車内に、上喰の咀嚼音が響く。二人は朝食をコンビニで買ったのだが、噛田は不思議と食欲が沸かなかった。これは人生で初めてのことだった。

(仕事で忙しい日も、飲み会で飲みすぎた翌日も、人を殺した日も、朝は自然とお腹が空いたのに)

 後ろの窓に目を向けると、既に電車は都心を離れ、自然豊かな郊外を駆けていた。雪化粧した山肌は向こうから昇ってくる朝日に照らされ、キラキラと瞬いていた。

 その一切の汚れを知らない白い煌めきは、都会のネオンよりずっと幻想的で純粋に満ちていた。

 更に景色を見ようと視線を移すと、横の上喰が目に入った。

 景色そっちのけで食事に夢中らしく、クリームパンと牛乳をそれぞれ片手に持つ彼の姿はどこか可愛らしく見えた。背は160センチの噛田より高いのに、これから遠足に向かう小学生のように思えて仕方がなかった。

 だが向かう場所は、彼の断頭台だ。

 二人は閑散とした駅で降車し、バス停でバスを待った。時刻表を見た途端、上喰が素っ頓狂な声を上げた。

「一時間に一本!? すっくなっ!!こんなんで生活できんの?」

「都心に慣れているとびっくりするよね。私の故郷もこんな感じだったよ」

 彼はへぇ〜と呟くと、時間を確認してから近くのベンチに腰を下ろし、スマホをいじり出した。と思いきや、軽くガッツポーズをして立ち上がった。

「どうしたの」

 彼は嬉しげにスマホを見せた。ゲームの画面をスクリーンショットしたものだ。

「ガチャ、いいの出た。こいつ環境入りなんだ」

「環境入り?」

「すげえ強いってこと」

 上喰は再びスマホに目を戻し、噛田は彼の横に腰を下ろした。そっと寄りかかっても彼はこちらを見るだけで、何も言わなかった。

 バスで降りてから、その場所まで、二人はひたすら歩いた。人っこ一人いない道を、どこまでも歩き続けた。廃墟の群れが見えてくる。

 かつて時代の波に乗って輝いていたであろう、背の高いビル達は、今や世間から忘れ去られ、大自然の一部に還ろうとしていた。

「廃墟と聞くと怖いイメージがあったけど」

 噛田は誰にともなく呟いた。

「ここはとても暖かい。まるで来た人を分け隔てなく歓迎してくれているようだ。そんな気がする」

「それな」

 上喰が答えた。

「俺も歓迎されているといいな」

 やがてあの建物が見えてきた。他の建物と等しく廃れているが、比較的丈夫そうに見える。二人はマスクを装着して侵入し、最上階を目指して登り出した。

 扉を開けると、冷たい風が勢いよく吹き込んだ。たちまち階段や天井、壁から埃が舞い上がり、白いスチームのように二人を取り巻いた。今まで停滞していた空間と、流動を続ける外の世界が繋がった瞬間だ。

「うわ、きったねぇ」

 上喰が噛田の手を引いて外に出た。落下防止のフェンスが張り巡らされていたが、ほとんどが破損し、錆びつき、朽ち果てていた。おかげで本来の役割は果たせておらず、ただ枯れ草のように風に揺れるだけのオブジェとなっていた。

 噛田は正面のフェンスの方へ近寄った。緑化が進む廃墟群から、今し方一羽の鳥が飛び立った。太陽の光を受けて力強く羽ばたく姿と、地上に縛られた廃墟の群れはひどく対照的に見えた。

 廃ビルと自然が一体化した景色は、人類が滅んだ後の世界のようで切なくも見入ってしまう美しさがあった。

「お、ここから飛べるぜ」

 彼がこちらへ手招きする。屋上の一角から下を覗き込んでいた。影に覆われた地面はまるで闇そのもので、落ちたらそのまま飲み込まれてしまいそうな、底知れぬ気配があった。

 噛田は自然と上喰の手を取る。彼は不思議そうにこちらを見つめた。

「ビビってんの?」

「そうだ」

 噛田は正直に話した。

「君を失うことが恐ろしい」

「マジかよ。もう覚悟決めてたんだけど」

 彼はポケットの中からUSBメモリを取り出し、右手で弄んだ。彼が言うには、この中に母が父を殺した証拠があるらしい。

 噛田は蛙田殺しの翌日に、上喰から全てを聞かされていた。彼の半生や、自分と出会った経緯を洗いざらい話してくれたのだ。

「俺のお袋殺しを邪魔して、今度は俺の自決まで邪魔する気か?」

「否定はできない」

「今までと同じだって。俺を後ろから押す。それだけでいいんだ」

 上喰はUSBメモリを足元に置くと、屋上の淵に両足をかけた。

「早く背中を押せよ、殺人鬼。お前に殺されるなら本望だから」

 噛田は長く沈黙し、やがて分かったと答えた。同時に懐から封筒を取り出すとUSBメモリの上に置く。そして上喰の横へ移動し、彼の背中に腕を回した。

「何でだよ」

「もういいかなって。両親の墓じまいもしたし、家の後始末も済ませた。会社の方も既に退職した」

 上喰は首を傾げた直後、あぁと頷いた。

「だから最近羽振りが良かったんだ。退職金が入ったから」

「そうさ。職場の皆には申し訳ないけど。今頃、業務が増えて大変だろうな」

 上喰は最後の心配がそれかいと笑った。

「つーか、遺書まで書いてたなら言ってくれよ。ずっと俺、勘違いしてたじゃん」

「ごめんごめん」

 二人はしばらく雑談をした後に、それとなく地上を見下ろした。あんなに暗かった地表は今や太陽に照らされ、先ほどの禍々しさは鳴りを潜めていた。

 なんて事のない、いつも歩いているコンクリートそのものだった。

「じゃあ飛ぶか」

「そうだね」

 噛田は上喰の背中を押し、自分も前のめりに体勢を崩す。

落ちる寸前、上喰は爽やかな声で叫んだ。

「あばよ。地獄でな」

「ああ!」

 午前八時二十七分。二人の影が澄み渡った空を舞い、地表へ真っ直ぐに落ちていった。

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