第10話 最後のターゲット

 俺の人生は一言で言うとゴミだった。二人の底辺が無計画にやることヤって生まれ、学校で恵まれた奴らと同じ部屋に押し込まれ、劣等感と惨めさに満ちた毎日の繰り返し。

 一番酷かったのはあの時だろうか。

 床に広がる血溜まり、その上でうずくまる男と奥へ転がっていくビールの缶、そして奴を見下ろす女の激しい息遣い。これは夢でも何でもない。俺がまだガキだった頃に見てしまった、お袋が親父(だった男)をぶっ殺した時だ。

「何見てんの。これ捨てるの手伝って」

 お袋は俺にそう言い放ち、机の上にあったちっちゃいポリ袋を隅のタンスに突っ込んだ。すぐに毒薬だとガキの俺でも分かった。

 お袋は若くて見た目はいいので、毎晩ガールズバーで働いては虜にした男から金銭を貢がせるような奴だった。

 そして殺された男は動画サイトで一攫千金を狙いたいと仕事を辞めたが、伸び悩んだ末にガールズバーで浪費していたところをお袋に捕まったのだ。

 こんな二人の元で生まれた俺が当然まともなはずがない。幼少期に刷り込まれたクソみたいな価値観を、高校生にもなってまで引きずっているのが何よりの証拠だ。

 だから、いつか死んでやろうとずっと思っていた。

 でも社会はこんな俺を十七まで生かしてくれた。せめて恩を返そうと、お袋を殺す決意をした。そう思って近くの階段で突き落とそうと、機会をうかがっていたのだ。

 そして気まぐれに仕掛けたカメラに、あいつが映った。


【間もなく目的地です】

 突然の機械音声にはっと目を開ける。車の窓からは観覧車のゴンドラが映っていた。隣で運転している噛田がこちらをチラッと見た。

「よく眠れた?」

「多分」

 自分の半生を反省していたと言う気はなかった。体を起こすと、車は駐車場へ入っていくところだった。休日の遊園地は大盛況らしく、大小様々な車種がすし詰めになっており、奥には数台の大型トラックがひっそりと身を寄せ合っていた。

 なんとか車を止めて降りた途端、賑やかな音楽が出迎えてくれた。

「今日も楽しもうね!」

「おうよ!ここのアトラクション、全部制覇しようぜ!」

 二人はそう笑い合い、意気揚々と受付へ歩き出した。

 あっという間の時間だった。ジェットコースターやお化け屋敷、空中ブランコを全部巡り、何とも高い昼食(見た目はすごく映えた)を取り、最後は観覧車でパーク一帯を一望した。夕陽が差し込むゴンドラの中、上喰はひたすら窓の外を眺めていた。

 いつもならぼんやりとネットを見ていただろうが、今回は特別だった。水色の空はどこまでも明るく、太陽に照らされた雲は、ピンクや紫のグラデーションに染まっている。

 もし今ここで目覚めたら、朝焼けだと勘違いしてしまうだろう。そんな綺麗な景色を前に、上喰はただ息を呑んでいた。

「楽しかったかい?」

 噛田が眠たそうな声で尋ねる。疲れで意識が朦朧としているのか、半開きの目でこちらへ微笑みかけていた。

「おうよ。今日もありがとな」

 そして彼から微かに目を逸らし、今まで言いたかったことを一つ吐き出した。

「今までお前には迷惑かけてきたな。悪かったよ」

 噛田は「上喰君」と呟き、隣においでと手招きした。移動すると、微かにゴンドラが揺れた。そろそろ下降し始める頃合いだった。

 噛田は上喰の肩に手を回し、体を引き寄せた。

「君はずっと、私といる間にそう感じてたのかい」

「そりゃそうだろ。俺に振り回される日々のどこが楽しいんだよ」

「私は楽しかったよ。最初は驚いたけど、でも今は君との時間が楽しくて仕方がない」

 上喰の肩に顔を寄せ、蕩けた声で呟いた。どこか泣きそうな子供を思わせる声だった。

「ずっと私の傍にいてくれないか」

 ゴンドラが降りていく。上喰は返事の代わりに彼からそっと離れ、元の席に着いた。

 予約していたホテルの部屋に入り、二人はベッドの上に向かい合って座った。噛田はすっかり元の調子に戻ったらしく、どこか気まずそうに頬を掻いていた。

「さっきはすまないね」

「観覧車のことか?」

 彼は無言で頷いた。

「謝んなくていいって」

 噛田のスマホを開くと、直近のスケジュールが書かれていた。昨日は映画を見て回り、一昨日は野球観戦、その前は噛田と一緒に彼の実家を訪れたのだ。

 てっきり噛田の親の顔を見れると思っていたのだが、その予想は容易く裏切られたのだった。明日の予定を確かめると、大きく息を吐いた。

「明日で終わりなんだから」

 ネットニュースを開く。隅っこに数週間前に高校生(おそらく鼠谷)が事故死したという一文がポツン。これだけだった。蛙田の方はどこにも載っていなかった。

 次に別のサイトを開いたところで、噛田がベッドに横たわる。いつもなら必ずシャワーを浴びるか、せめて上着は脱ぐはずだろうに。

「上着片付けるよ」

 噛田はモゾモゾとコートを脱いで上喰に手渡す。妙に重たいコートをハンガーにかけ、彼の横に潜り込む。

「夕飯になったら起こすね」

「んー」

 上喰は目を閉じた。

 噛田はその様子を確認し、彼の手からスマホをそっと回収し、画面を開いた。

「いよいよか……」

 スマホの画面に表示されているのは、廃ビルの屋上だった。街外れの一角にある廃墟群の一つであり、他の建物より比較的頑丈そうに見えた。ここに行く目的は一つ。

 ターゲットの始末だ。噛田は隣で眠る上喰の横顔を眺め、髪をそっと撫でた。車の時とうって変わり、心地良さそうにすやすやと寝息を立てている。

 しばらく髪を撫でていた手を止め、その手を天井にかざした。彼と出会ったきっかけは、この手で人を殺した時だった。

 そしてその最後は、同じ自分の手で締めくくられることになるのだ。

「これでいいんだ」

 噛田は自分にそう言い聞かせベッドから離れた。そしてシャワールームへ行く前に、再び上喰へ視線を向けた。

 この計画に支障が出なければ、明日が命日になるだろう。

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