第2話 スコーンとの対価

 少年は噛田と共にアパートの一室に入った。彼はいそいそと靴を脱ぐと、好奇心のままに室内を観察し出した。普段から中は綺麗にしてあるので、いつ人を入れても大丈夫にしてあったのだが、噛田は彼の躊躇のなさに驚いてしまった。

「へぇ〜案外普通だな」

 彼はキョロキョロと首を巡らせ、手近にあった座椅子に腰を下ろした。

「殺人鬼って感じがなさすぎる」

「うん。ま、まあね」

(別に趣味で殺してるわけじゃないし……)

 噛田はカーペットの端に正座した。座椅子は本来自分のものだったが、今は少年が我が物顔で陣取っていたからだ。彼は背もたれに寄りかかり、偉そうにふんぞり返った。

「でもさっき言った通り、お前を見張るために、今日はここに泊まらせてもらうぜ」

「本気だったんだ」

 噛田は困惑な表情のまま首をすくめた。少年はショルダーバッグから着替えを取り、バッグを適当に投げた。外では暗くて見えなかったが、相応の準備をして来たらしい。

「私は別に気にしないけど」

 噛田はカバンを拾い、シワがよらないようハンガーにかけた。

「家族が心配するんじゃないか?」

「別に。俺がいなくても平気だから」

 それにと彼は続ける。

「最初にここへ誘ったのはお前だろ。ここで立ち話もアレだし、家(うち)に上がって行かないかって言ったじゃん」

「そうだけど……」

 噛田は口ごもりながら、先程の自分の言動を激しく後悔した。

「でもまさか、本当に乗ってくるなんて思わなかったんだ。だって、普通は拒否するだろう?殺人鬼からの招待なんてさ」

「俺は普通じゃないから」

 噛田はひとまずキッチンへ向かった。適当に二人分の紅茶を淹れ、ティーカップに注ぐ。ついでに買って来たマシュマロと作り置きのスコーンを皿に並べて持っていく。

「ずっと外にいて寒かっただろう。紅茶で良かったかい?」

「お、気が利く」

 噛田は紅茶やお茶請けをローテーブルに置き、少年の横に腰を下ろした。彼は早速スコーンをつまみ、紅茶を一気に半分も飲んだ。

「美味い美味い」

「良かった〜。スコーンはちょっと甘すぎたと思ってたんだ」

 少年は別にこんなもんだろともう一つ手を伸ばす。噛田は素早く皿を手前に引き寄せた。彼の手は空を切った。

「その前に、さっきの紙を見せてくれるかな。私に殺して欲しいと言っていたけど、素性を知らないと答えられない。社会のゴミ共とはどういうことなんだ」

「いいぜ」

 少年はスコーンから目を離さずに先程のメモを出した。

「上からいじめてる奴、ロリコン、体罰教師。こいつらに生きる価値はねえ」

 写真を一枚ずつ観察してみる。全員普通の人にしか見えない。

「消した方が社会のためになる」

 噛田はそっと少年の方へ視線を上げた。

「じゃあ君は、社会のために私へ殺しを命じるのか。個人的な恨みではなく?」

「そうだ」

 自慢げに語る少年を前に、思わず言葉を失った。

 彼の姿はまるで、過去の自分そっくりだったからだ。

 人を幸せにする方法はたくさんあるが、この社会では必ず誰かが不幸な思いをしてしまう。そのためには、周囲のためにならない人間を減らすしかない。自分は喜んでその役割を全うしよう。

 噛田は物心がついた時から、そんな決意を胸に生きて来た。だから殺人への忌避感も罪悪感もない。あるのは周囲の人達に、平和に過ごして欲しいという願いだけ。

 それを話すと、少年は興奮げに体を揺らした。

「分かってるじゃん!」

 そして挑戦的な笑みを浮かべ、じゃあさと続けた。

「じゃあやってくれるよな。こいつらの排除」

 噛田は目を瞑り、じっくり考えた。彼が嘘をついている可能性もある、下手をすれば、無実の人を手にかけることとなる。つまりこの場合は……。

「分かった。その代わり、しっかり下調べさせて」

 少年はだよなと笑った。

「いいぜ。こっちには動かぬ証拠もあるんだ。賢い選択をしたな」

 噛田はあぁと苦笑いした。まず殺すためにもターゲットの素性を探らなくてはいけない。カレンダーに記された休みの日数を数える。あらかじめ取っておいた休暇だが、別の用途に使うことが決定してしまったようだ。

 少年はこちらへ手を伸ばした。

「俺は上喰大地(うわばみだいち)だ。よろしくな殺人鬼」

 噛田も応じた。

「私は噛田利美(かんだとしみ)だ。次からはそう呼んでくれ」

 彼は噛田と握手をする……と見せかけ、スコーンの乗った皿から一つをくすねた。

実に見事な早技だった。

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