第6話 変わらないという選択

「懐かしいなぁ」

 公園についた俊夫は、思わずそう呟いた。

「ここで俺達は出会ったんだ。ブランコに乗っていた俺に、呉が話しかけてきたんだっけ」

「そうそう。あの時は俺達揃って学校が嫌いだったんだ」

 当時のことは鮮明に覚えている。家の空気の重さに耐えかねて玄関を飛び出し、住宅街を逃げるように走り、ここへ辿り着いた。どうすることもできずにブランコに揺られていた時に、呉と出会った。

 親友のやたら明るい声が、薄暗い夕暮れを切り裂いてくれた。

 錆びついたブランコと鉄棒だけの空間に足を踏み入れる。うっすら積もった雪をサクサクと踏みながら、俊夫は周囲の景色を眺めた。

(春になったら、子供達はここに来てくれるだろうか)

「おーい」

 振り向きざまに雪玉が飛んでくる。柔らかく冷たい塊が、服に当たってほろほろと崩れた。呉が大袈裟なまでに笑っていた。

「やったな」

 俊夫も土のついていない綺麗な雪をかき集めて返す。呉は横に避けたが、直後に足を滑らせた。黒いシルエットが雪の上に倒れ、大の字に広がる。

 たまらず俊夫も笑い出す。

「だっさ!」

「うっせえ!」

 ひとしきり遊び、笑ったところで二人は外で雪を払い、錆びたブランコに腰掛けた。すっかり気持ちも息も上ったところで、呉は「嫌だなあ」と呟いた。

「ずっとこうしていたかったな」

 親友は俊夫の隣で俯いた。笑顔を浮かべる気力も、もはや残っていないようだった。

「どうしてそう思ったんだ」

「中学校の頃のこと、覚えているか?俺がお前の前でスカートを見せた時のこと」

 俊夫はもちろんと返した。呉が女だと気づいた時であり、自分達の関係が離れた時だった。

「お前の困った顔を見た時に気づいたんだ。今までのようにはいられないって。俺達はどこかで関係を変えないといけないって」

 俊夫は呉との関係を確かめた。友人にしてはあまりに近く、恋人にしては離れすぎている。そんな二人を世間はどう見るのか、考えただけで息が詰まるようだった。

「前に行ったけど、俺は専門の大学に行くんだ。ファッション系の」

「すごいじゃん」

「ありがと。だからさ、ここにはもっと戻って来れなくなる」

 呉は俊夫の方を向いた。

「俺達、今日限りでお別れだ。俊夫はもう、俺に縛られなくていい。自分だけの人生を謳歌してくれ」

「呉……」

「俺は弱いから、今の関係を変える覚悟がなかった。俊夫と恋人になる道も、自分がこの個性を捨てる道も考えたけど、やっぱりダメだった。俺は自分を変える覚悟がなかった」

 呉は悔しげに唇を噛み、拳を握った。

「俺みたいな逸れ者は、誰とも関わっちゃいけなかったのさ」

 ある程度こうなると想像はしていた。

 だが、実際に聞くと疑問ばかりが湧いてくる。

(呉は自分がおかしいから俺と別れようと言いたいのか?どうして世間と違うからって別れないといけない?突然言われた俺の気持ちはどうなる?)

 俊夫は激しく首を横に振った。

「俺達はずっと親友だ。絶対に別れない」

「でもよ」

「お前が逸れ者なら俺も逸れ者だ。事実、小学校の時はそうだったじゃねえかよ」

 そして呉に正面から向き直った。

「俺は呉と出会う前、ずっと消えたかったんだ。同級生と仲良くできなくて、家に籠るようになった。家族に迷惑かけている自分は、生きてちゃいけないと思っていた。今の俺がいるのはな、お前のおかげでもあるんだ」

 呉は静かに俊夫を見つめた。

「だから、ずっとこのままでいてくれよ。周りに合わせなくていい。関係性を変えようとも思わなくていい。俺は、今のお前と今まで通りの仲でいたいんだ」

 俊夫は言葉を切り、もっと早く言えば良かったと付け足した。こんなこと言われても呉だって困るだろうと躊躇していた。

 でもそれで呉が俊夫の気持ちを誤解してしまったのなら、その責任は自分にある。

 呉は目を伏せた。

「そんなこと言っていいのか?昨日みたいな誤解をされることだってたくさんあるぞ。双方の気持ちがこれから変わらないとも限らない」

「その時はその時だ。二人でたくさん悩んで、解決策を見つけていこう。もし別れの可能性があったとしても……今はまだ、こうして一緒にいたいんだ」

 二人の間に沈黙が降りた。

 俊夫は空を仰いだ。自分の気持ちは全て伝えられた。これでもう後悔はない。呉の気持ちが変わらなかったとしても、それは仕方がないことだ。

「俊夫」

 呉は頭を下げた。

「俺が悪かった。お前の気持ちを分かった気になってた。自分勝手だった」

 俊夫は慌てて頭を上げるよう促した。

「呉も呉なりに悩んで、考えていたんだろう。お前は悪くない、俺が悪かったんだ」

 今度は呉が慌て出した。

「い、いや、俺の方が悪いよ……」

 しばらくそんなやり取りを続けていると、奇妙な音が聞こえた。

 二人の腹が鳴った音だった。俊夫は呉と顔を見合わせた後に爆笑した。

「夕飯の時間か」

「もうそんな時間か」

 俊夫はどうしようかと呉に聞くと、親友はスマホを開いた。

「近くのレストラン空いてるってよ」

「じゃあそこ行くか」

 呉は一歩進んで振り返る。俊夫の顔を伺いながら、尋ねるように言った。

「もし俺が遠くに行っても、また会ってくれるか?」

「もちろんだ」

 呉の笑顔が、周囲に広がりゆく夕暮れの中に浮かぶ。俊夫は更に力強く続けた。

「俺達は親友だからな」

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年が暮れる 桜橋 渡(さくらばしわたる) @sakurabasiwataru

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