第4話 双方の主張

 俊夫は無言のままバス停まで戻り、やってきた車両へ乗り込む。向かう先は煌びやかさとは真逆の薄闇が広がる世界。時折ガタンと揺れるバスの中にいるのは、自分含め数人だけ。皆スマホや景色に視線を向けたまま、目には見えない個の空間に浸っていた。

 俊夫は時計を見た。会った時間が午後一時だが、今は十九時。本当にあっという間だった。ゲーセンやスポーツセンター、映画館と見て回ったが、覚えているのは親友の様々な表情だった。どんな場所でも、何があっても、いつもずっと笑っていた。

 ふと窓ガラスに映る自分の顔が目に入る。酷く疲れ切った、見るに耐えない顔だった。

 呉はこんな自分と一緒にいて楽しかっただろうか。ずっと親友にリードされていて、支えられてばかりだった。

 俊夫は自身の顔をぼんやりと見つめ、呉の最後の言葉を思い返した。

(後腐れとは、どういう意味なのだろう)

 そして明日の予定に対しても、呉は何か言いかけていた気がした。あれはいったい何だったのだろうか……。

 あの時聞くことのできなかった自分は、つくづく臆病者である。

 再び親友との会話を思い返す。呉は自分と遊んでくれたのは俊夫だけと言っていたが、それは自分もだった。呉は家に閉じこもっていた自分を連れ出してくれた。外には楽しいこともあると教えてくれた。

 自分は呉との触れ合いで、再び外の世界に目を向けることができたのだ。

「呉……」

 いつしか回想は過去へ飛んでいた。俊夫にとって呉は、出会った時期からかけがえのない親友だったのだ。二人の間には決して切れない友情があると、確かに信じていた。

 それは驚くことに、今も全く変わっていなかった。

「そうか」

 俊夫が前を向いた時、バスが停止していることに気づいた。いつしか車内には彼だけが残っていた。慌てて料金を払って降車し、木造の小屋に一次避難する。再び降り出す雪を眺めながら、俊夫は短く息を吐いた。

 呉に対して無意識に抱いていた感情に、ようやく気づくことができたのだ。

「そういうことだったのか」

 どうして呉が女性扱いされることを恐れていたのか、中学に上がった時に距離を置いてしまったのか。やっと知ることができた。

 もし明日機会があるのなら、親友に打ち明けなければいけない。そのためには過去のある出来事、俊夫が家に籠るようになったきっかけについて話さないといけないが、今更恐れてはいられない。

 俊夫はコートの襟を正し、勢いよく外へ飛び出た。雪の道を力強く踏み締め、大股で歩き出す。

 大事な親友から目を逸らすのは、もう終わりにしよう。


 俊夫と別れた後、呉はショーウィンドウを眺めながら通りを歩いていた。ガラスの向こうには、流行りの服を着たマネキンがポーズを決めている。

 白くフワフワした帽子、淡いピンクのロングコート、高級そうなヒールの高いブーツ。どれも可愛らしいが、値段は決して可愛くはない。

 呉は目の前のコートに下がった値札と、自分の革ジャンを交互に眺めた。

(コートに四万も使えねえよ。この革ジャンを二枚買ってもお釣りが来るほどだぜ)

 風が強く吹いた。呉は思わずマフラーを押さえ、店の中へ入る。店内にはまだ人がちらほらとおり、幸いにも店員がこちらに気づく様子はない。

 目立たないよう静かに移動しつつ、室内を恐る恐る見回す。普段は立ち入らないブティックはどこか異国のようで、陽気に流れるクリスマスソングだけが心の拠り所になっていた。

 季節もののセーターやトップスを眺めてみる。少し体に当ててみようかなと手に取ろうとしたが、値段を見てはっと我に帰る。自分のような者が触れてはならないと手を引っ込め、その場を後にした。

(何を今更……。俺はこうやって生きていくと、子供の時に決めたんじゃないか)


 呉の趣味嗜好は小学校の頃から始まっていた。ランドセルの色を選ぶ時に、呉は無意識に青を選んでいた。

 だがそれを聞いた両親は大いに戸惑い、呉に赤にするよう求めた。理由を聞いてもいつか分かるとだけ濁され、渋々赤を選んだのだった。

 呉はブティックを離れて彷徨ったが、ある場所で足を止めた。子供用の玩具を扱う場所で、今年流行った特撮ヒーローものの商品が大々的に宣伝されていた。

「あ、これよく見てたなぁ」

 好奇心のまま、商品棚の間を歩き出す。

 好きなものを一人で楽しむ習慣も、子供の頃から一緒だった。

 小学生の呉は一人で学校生活を満喫していた。朝は好きな特撮を鑑賞し、休み時間は昆虫図鑑を眺め、密かに持ち込んだフィギュアで遊んだ。

 元々転校生だった呉は、元から同級生との交流は薄かったのだ。父の転勤で学校を変わったのだが、前の学校生活と何も変わりはしなかった。

 どこへ行っても呉は理解されることもなく、一人だった。

 店内放送にはっと顔を上げる。閉店が近いらしく、店の音楽が蛍の光というスコットランドの民謡曲に変わった。

 慌てて店の出口へ向かうと、ブティックの方は既に無人に近く、店員が場違いな身なりの呉へ控えめに会釈した。

 急ぎ足で店を去る呉を見送るように、蛍の光のなだらかなメロディーと歌声が流れ続けていた。

 呉は歩きながら明日の予定を思い返した。俊夫には最後の方はあえて隠しておいた。

 勘のいいあいつなら、自分の意図に気づくかも知れないと思ったから。

 中学に上がった時のことは忘れられない。明るさを取り繕いながらスカートを広げた自分の前で、俊夫が浮かべていた表情を。

(これで終わりにしよう。あいつを悩ませるのも、俺達の仲も明日が最後だ)

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