第3話 世間との隔たり
元の服に着替えた二人はスポーツセンターを出て、人気のカフェまで移動した。俊夫が少し気になっていた店で、食事を取る予定となっていた。時刻は昼に差し掛かろうとしていた。
俊夫は空腹からか自然と早足になり、頭の中は店のメニューでいっぱいになっていた。
「今の俺なら俺全部いけるよ」
呉が道案内をしながら、自信たっぷりの口調で言う。
「さっき見てたんだけど、ボリュームセットってのがあるらしいぜ。ハンバーグとガーリックライス、ナポリタンがある感じ。食後にはコーヒーか紅茶か選べるんだってよ」
俺デザートつけようかな〜とも言うので、無理するなよと返した。
「俊夫は決まったか?」
「あっちで考えるよ。どれも美味そうで全然決まらないから」
店の前にはたくさんの車が止まっており、かなり混んでいることが予想できた。
(少し待たされるかな)
そう俊夫が思っていると、呉が突然立ち止まった。店に入るわけでもなく、その場で立ち尽くし、一点を見つめている。
視線の先には入り口付近に置かれたブラックボードがあり、そこには可愛らしいフォントで『本日限定カップルデー♡』と記されていた。
「大丈夫か?」
呉はビクッと肩を上下させ、何がと返した。そして再び歩き出す。
「人が多いからさ。待たされたらだるいな〜って。それだけ」
「そうか……」
俊夫は何も言えないまま、呉の後に続いて入店した。内装はよくある故綺麗なカフェテリアだ。雪だるまの置物やクリスマスツリーの飾りがあちこちに置かれ、柱に巻きついたイルミネーションが至極控えめに光っていた。
呉が小声で呟いた。
「もうクリスマスは過ぎてるのによ」
早速店員がやって来る。俊夫が二名ですと答えると、彼女はにこやかな笑顔でこう言った。
「本日はカップルデーとなっております。カップルの方でしたら、こちらの商品が半額に……」
「すみません」
呉が店員の言葉を遮った。
「カップルじゃないので、通常料金でお願いします」
店員は一瞬驚いたが、すぐにかしこまりましたと頭を下げ、二人を空いている席へ案内した。
移動中、何組かのカップルがこちらを不思議そうな顔で見つめていたが、どうにか奥の席まで辿り着く。
呉は席に座ると俊夫にメニューを渡し、机に突っ伏した。
「俺はもう決めたから」
「ありがとう」
そうは言ったものの、集中できるはずがなかった。カップルと思われたということはつまり、呉は女性とみなされたのだ。俊夫はこんなサービスがあるとは知らずに提案した、自分の間抜けさを責めた。
「ごめんな」
「ん?」
呉が顔を上げる。
「カップル割があるなんて知らなかったんだ。決してそういう意味じゃないんだ」
こんな見苦しい言い訳があるだろうか。俊夫が後悔に苛まれていると、目の前の親友は何でだよと笑った。
「俊夫は悪くないじゃん。俺達はカップルじゃなくて親友だから」
そして「恥ずいな」と頬を掻いた。
「こんな服装でも女ってバレるんだな。子供の頃の俊夫は気づかなかったのによ」
返答に困っていると、親友は「しょうがないか」と俊夫から顔を背けるように外を向いた。そして消え入りそうなか細い声で呟いた。
「俺の覚悟ができてないだけさ」
それから映画にも行ったのだが、あまり内容は覚えていなかった。二人が見たいと決めていたアクション映画で、主演俳優の演技がすごいと期待していたのだが、カフェでの出来事が再び起きてしまったのだ。
今度は俊夫が「親友です」と通常料金に変えてもらった。
だが、二回目は流石に気持ちが滅入ってしまい、さあ映画を楽しもう!と切り替えることなんてできなかった。呉はあくまで気にしないと主張していたが、俊夫の方はそうはいかなかった。
目の前では派手な映像がひたすら流れていく。俊夫は座席に座りながら、味の薄いポップコーンを食べてはコーラを流し込む。隣の親友は微動だにしていないが、暗がりの中でその表情を窺うことはできなかった。
しかし、俊夫はかえってそれが有り難かった。表情が顔に出やすい自分はきっと限りなく沈みきっているだろうから、それを直視されない状況が唯一の救いだった。
夕方、二人は会話もないままシネマの外へ出た。空はすでに暗く、降り出した雪の中で、イルミネーションが輝いていた。この後の予定はないが、二人の足は何となく大通りの方へ向かっていた。
「綺麗だな〜」
俊夫の前を歩きながら、呉が呟く。
「そうだな」
突然親友が振り返る。屈託のない笑顔を浮かべていた。
「今日は楽しかったな!」
「ああ」
「明日が待ち遠しいぜ」
確か水族館とショッピングモールを巡る予定だったはずだ。自分は特に買いたいものはないが、豊富な品揃えのある店内や、季節限定の商品を見るのも悪くはない。
だが、呉は
「それなんだけどさ……」
と言葉を切った。俊夫は「どうした?」と尋ねたが返事はない。
やがて大通りにある公園が目に入る。整備された道の両脇にベンチが据えられ、街路樹が等間隔で並んでいる。
それだけの場所だが、今の時期はたくさんの人が行き交っていた。俊夫の目を引いたのは、男女の二人組の多さだった。この時期はどんな場所も彼らの巣窟であり、都心部となると彼らを見かけるのは避けられないようだった。
「戻ろう」
呉に呼びかけたが、その場に立ち尽くしたまま動かない。肩を叩くも反応はない。
心配になって前に回り込むと、親友は思い詰めた表情でカップル達を見つめていた。
眉間には皺が寄り、唇は硬く引き結ばれている。
「呉」
俊夫の呼びかけると、ようやくこちらに気づいた。
「ああ、悪いな。ぼーっとしてた」
「大丈夫か?今日はもう帰ろう」
「そうだな。別に疲れてる訳じゃないが、明日に備えておくか」
そう言って呉は踵を返し、再び先頭を歩き出す。先程の暗さは一瞬で消え、いつもの様子に戻っていた。
だが、俊夫はそれがかえって不安だった。
「何か無理してないか?」
「何が〜?」
呉は振り向かずに聞き返す。俊夫は一呼吸置くと、恐る恐る話し出した。
「カフェや映画館でのこと。俺達、よくカップル扱いされてたけど、でも親友だろ。呉は……何度も間違われて、嫌な思いとかしなかったか?」
自分でも要領を得ない問いとは分かっている。だが、尋ねずにはいられなかった。親友の心情を知りたかった。
「俊夫は……」
親友が振り返る。
「俺が女扱いされたくないと思ってるのか?」
無言で頷くと、呉はよく分かってるじゃんと笑った。
「子供の頃からそうさ。何となく可愛いのが苦手でさ、女子の会話にも入らなかったんだ。ちゃんと遊んでくれたのお前だけだよ」
「そうなのか……」
「そ。だから今日も遊んでくれたのには感謝しかないってこと。てっきり断られるかと思ってたから!」
呉はそう言うと大声で笑った。
「明日は今日以上に楽しもうぜ。後腐れないようにな」
「後腐れ……」
俊夫が返事に困っていると、呉は再び歩き出す。てっきりそのままバス停まで戻るかと思っていたが、親友は途中で別れると言い出した。
「用事を思い出したんだ。帰りは一人でも大丈夫だろ?」
「ああ、もちろん……」
「悪いな。明日もまた同じ場所で会おう!」
呉はそういうと踵を返し、手を振りながらイルミネーションの向こうへ消えていった。雪の降る公園に、俊夫だけがポツンと取り残された。
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