第2話 拭えぬ喪失感

 俊夫は最寄りのバス停で降車し、粉雪の降る道を歩き出した。

 ここに来るのは本当に久しぶりのことで、懐かしい住宅街を眺めながら深く呼吸する。

 白い煙でメガネが曇った。

「懐かしいな」

 そんな言葉が自然と出た。そして待ち合わせの場所が見えてくると、俊夫は思わず足を止める。かつて呉と遊んでいた公園は、雪だけが降り積もる寂しい空間になっていた。二人が遊んでいたシーソーやジャングルジムは皆撤去され、残っているのは錆びついたブランコと鉄棒だけだ。どちらも離れた場所に置かれ、誰かの訪れを静かに待っていた。

 入り口に行こうとした時、どこからか足音が聞こえてきた。俊夫は思わず塀の陰に隠れる。こんな日に公園に来る奴と言ったら、あいつしかいない。

 息を潜めていると、携帯にメッセージが届いた。

『今公園に着いた。雪降ってるから気をつけてな』

 顔を上げ、恐る恐る公園の方を見る。公園の入り口に、いつの間にかポツンと人が立っていた。片足に体重をかけ、携帯を見つめている。

 間違いない。一目で呉と分かった。黒髪のマッシュに、革ジャン、ジーンズをかっこよく着こなしていた。

 俊夫は覚悟を決め、重い一歩を踏み出した。

「よお」

 親友が振り返る。片手を上げ、雪を踏みながら駆け寄ってきた。二人は手袋越しにハイタッチした。呉の頬はほんのり赤く染まり、大きく丸い黒目は輝いているように見えた。

「俊夫、全然変わってないな!」

「呉こそ」

 二人は歩きながら互いに近況を話し合った。県外の高校に通っていた呉は勉強も趣味も充実させているらしく、大学は専門を志望しているそうだ。俊夫はずっと勉強に明け暮れていたことを話すと、呉は真面目かと笑った。

「今日はめっちゃ遊ぼうな。ゲーセンとスポーツセンター行って、あとお前が行きたがってたカフェと映画な。途中バスに乗るけど、道案内は俺がやるから」

「ありがとよ」

 二人は少し離れた都心で遊ぶ予定を立てていた。子供の頃は公園や駄菓子屋で満足していたが、高校生にもなると郊外を離れ、都心部で遊ぶのが当たり前になっていた。

 幼少期の頃は憧れの場所でもあった大都会は、今や数ある遊び場の内の一つだった。

呉がそうだと呟く。

 「ゲーセン行く前にさ、あそこの駄菓子屋寄ろうぜ。瓶ラムネ飲みたい」

 その駄菓子屋は昔よく行っていたが、今では閉店している。お婆ちゃんが経営していたのだが、高齢のため切り盛りできなくなったのだ。それを話すと、呉は酷く驚いた。

「マジかあ〜!! 遠くにいたから全然知らなかったわ。残念すぎる……!」

「俺も驚いたよ。もっと通えば良かったな」

 俊夫が言い終えた所で、呉が大きくくしゃみをした。思わずふっと笑ってしまう。

「革ジャンじゃ寒いだろ。よく瓶ラムネ飲もうとしたな」

 呉は寒くないと言うが、声が微かに震えていた。見た目重視で服を選ぶセンスも、あの頃と変わっていなかったようだ。

「呉、今日はマフラー貸すよ。俺はコート着てるから平気」

「都心に出ればあったかくなるさ。俺は強いから、これくらい余裕」

 そう言うと呉は少し離れたバス停まで走り出し、木造の小屋に駆け込んだ。

 慌てて追いかけると、親友は隅っこでうずくまりながら、引きつった笑みを浮かべていた。

「早くバス来ねえかな〜。ゲームしたくてしかたねえぜ」

 俊夫は半ば強引に呉にマフラーを押し付けた。

「暑いから持っててくれ」

 呉は渋々受け取り、首に巻いた。ただでさえシュッとした顔が、より小さくなった。

「分かったよ。俊夫のそう言う所、相変わらずだよな」

 そしてバスに乗った二人は早速ゲームセンターに向かった。室内は暖房で思いの外暑く、俊夫達はすぐにコートやマフラーを脱いだ。アーケードゲームは子供の時に見た時より種類も数も増えており、二人は取り憑かれたように様々な筐体を見て回った。財布の中の小銭と相談しながら、リズムゲームやホッケー、メダルゲームを堪能した。

 スポーツセンターでは持ってきたジャージにそれぞれ着替え、空いていたバトミントンコートを使った。日頃運動量の少ない俊夫はすぐにへばってしまったが、呉の方は抜群の運動神経で容赦ないスマッシュをお見舞いしてきた。遊びなので点数などはつけていなかったが、勝敗は一目瞭然であった。

 俊夫は脇のベンチに倒れるように座り、靴を脱いだ。汗が際限なく吹き出し、熱さで頭がくらくらする。靴下や上着も脱いでしまいたいが、公共の場でやるわけにはいかない。

 シャワーを浴びたいなと思った時だった。首に冷たい何かが当たる。

「うわっ」

「へへっ」

 呉がスポーツドリンクを押し付けていた。俊夫のように大量の汗をかいており、肩を上下させながら荒い呼吸を繰り返していた。

「お互い汗やばいな〜。シャワーでも浴びようぜ」

 呉は横に腰掛け、自分の分をぐびぐびと飲んでいく。親友の頬はより赤みを増し、細い首筋の表面にはいくつもの汗が流れていた。

 何となくその様子を見つめていると、呉が俊夫の視線に気づく。そしてペットボトルから口を離し、何見てんだよと肩をこづいた。

「お前も飲めよ。温くなるぞ」

 俊夫は慌てて蓋を開けた。乾いた喉が一瞬で潤い、脳が冷やされていく感覚になる。一口で半分ほど飲んだ辺りで、呉がさてと立ち上がる。

 親友はジャージの両袖を肩までたくし上げ、二の腕を露わにしていた。程よく筋肉がついた、引き締まった腕だった。

「じゃあ俺はシャワー浴びてくるわ」

 俊夫はしばらく残ると言うと、分かったと爽やかな笑顔で走り去っていった。後ろ姿を見送りながら、呉の変わらなさを改めて実感していた。

 運動神経の良さ、爽やかな笑顔、さりげなく気遣える優しさ……。だが、変わった箇所も確かにあった。

 二人の身長は170センチの俊夫の方がずっと高く、呉は多く見積もっても160センチより下だった。更に腕も呉の方がずっと細い。この分だとジャージの下に隠れた体も女性らしくなっているのだろう。

 俊夫はゆっくりと立ち上がり、シャワールームへ歩き出した。普通の幼馴染の成長ならドキドキの一つでもしたのだろうが、今は喪失感でいっぱいだった。

 あの時遊んでいた親友は、同性だと思って接していた呉は、もういないのだ。

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