第5話 パパ、どうして?
ビリーが手を拭いて立ち上がり、花柄の袋を持ってきた。その袋は紙袋の中で大切に保管されていた。昔のものにしては綺麗で、所々補修された後があった。
先生が「何度か洗ったのよ」と説明した。
「そのままにするのは忍びなくてね。いつでも返せるように綺麗にしておきたかったの」
「ありがとうございます……。これをパパが持ってたんだ……」
「そう。大事にしてねって僕にくれたんだ」
ビリーが椅子に戻り、温もりが残った紅茶を一気に飲んだ。
「じゃあそろそろ僕の話をするね。僕が戦争で家も両親をなくしたことは知ってるね?」
「うん」
僕と学校にいる時に話していたことだ。
「僕の家族は、アパートが倒壊して死んじゃったんだ。今より西側で危険な場所にいたから、いつ倒れてもおかしくなかったみたい。僕だけはお使いで家を出ていたから無事だったんだ」
ビリーは窓の外に顔を向けた。
「そこからは、ずっと外を彷徨っていたよ。家もお金もないから、寒さを凌げる場所を見つけては、リスみたいに体を丸めて眠ったんだ。お腹はいつもペコペコで、色々な場所から食べ物を集めるだけで一日が過ぎていった」
想像するだけで胸が痛かった。最愛の家族をいきなり失うだけでなく、ご飯やベッドもない生活を強いられる。自分なら決して耐えられなかっただろう。
「でもそんな生活じゃやっぱり限界だった。食べ物も見つからなくて、服もボロボロになって……。もうダメだと思った時、僕は君のパパと出会った」
ビリーはカップに口をつけたが、空と分かると先生にお代わりを求めた。そして花柄の袋を天井にかざした。
「パパは僕に気づくと、この袋をくれたんだ。中にはクッキーが入っていて、僕は気づいたらそれを次々と口に入れていた。甘い生地の中にほんのり辛いスパイスが混ざっていて、噛む度にサクサクと音を立てながら、口の中でほどけていったんだ。すごく美味しかった。食べ終わった後は体が温かくなってたよ」
僕は話を聞きながら、ビリーの横顔を眺めた。この上なく幸せそうな、夢心地な気持ちでいっぱいになっていた。
「君のパパは僕の汚れた頭を撫で、どうだった?と聞いてきた。もちろん美味しかった!と答えると、やっぱりと笑っていた。僕は急に申し訳なくなって、残りのクッキーを袋ごと返したんだ。君のパパは食べてもいいよと言ってたけど、僕の良心が許せなかったんだ。押し問答の末に、君のパパは残りのクッキーを僕と分け合ってくれた」
「えっ」
思わず声が出た。パパは生姜が苦手だったはずじゃ……。
でもビリーはううんと首を横に振った。
「君のパパはジンジャークッキーを美味しそうに食べてたよ。でも、その後にこのクッキーはスパイスをたくさん使うから、他のクッキーよりお金がかかる。だから食べることに罪悪感を覚えてしまうからだって。元々贅沢とかが嫌いだったけど、家族を持ってからはよりその気持ちが強くなったって言ってた」
僕は小刻みに体を揺らした。とても落ち着いてはいられなかった。
「で、でも、どうして……? パパがお金を使わないのは知ってたけど、僕やママには何も言わなかったよ?」
「きっと、あなた達には何不自由なく暮らして欲しかったのよ」
先生が呟く。
「大切な家族に、ひもじい思いをさせたくなかったんじゃないかしら」
「ねえ、ビリー。パパは、僕達のことで何か言ってた?」
ビ リーはたくさん言ってたと即答した。
「全部は覚えてないけど……。ジェイコブは自慢の息子で、ママのように優しく育ってくれて嬉しい。こんな別れはしたくなかったけど、あの子にはいつまでも幸せでいて欲しい」
「ママには?」
「いつも迷惑をかけてすまなかった。最後に君のクッキーを食べることが出来てよかった。いつまでも愛してる。そう僕に聞かせてくれたよ」
君のパパは恥ずかしがり屋なだけで、ジェイコブ達が大好きだったんだね。
そう言いながら、ビリーは目頭を押さえた。
いつも何も話さないパパ。僕達の話をずっと聞いているだけのパパ。最後にクッキーを袋に入れ、大丈夫と家を出ていったパパ。でも心の中では、ずっと僕やママを想っていた。幸せを願っていた。愛していた。
(優しい僕のパパ)
それでも……。
「でも、僕はパパにもっと話して欲しかった。ビリーのその言葉を、パパの口から聞きたかった」
言い終えた直後、はっと顔を上げた。今の言葉こそ自分の本心だったのだ。目元がじんわりと熱くなり、何かが頬を伝う。僕は顔を手で覆い、口を固く閉ざす。
ビリーの手が背中を優しくさすった。
僕は声を上げて泣いた。心の奥のわだかまりが、涙や悲しみと共にほどけていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます