第4話 学校の裏側
ビリーの家は学校の裏側(ビリーは西側と呼んでいる)にある、古いアパートだった。かなり長い年月が経っているらしく、本来は真っ白だったはずの建物は、煤や灰で汚れ切っていた。日陰に並ぶ植木鉢の花はほとんどが萎れ、窓は全て閉ざされていた。
僕の知っている街とは、あまりにかけ離れた風景だった。
「こんな場所あったんだ」
思わずそう呟くと、ビリーはそうなんだよと返した。
「時々ここに友達を呼ぶんだけど、皆そう言うんだ。多分、君は学校の東側に住んでるね?」
「うん。西側に来るのは今日が初めてなんだ。ママもここに来たことはないと思う」
「やっぱりね」
ビリーはそれっきり口を閉ざしたが、三階の階段を上がったところで立ち止まり、窓の外を指差す。向こうに四角く区切られた広い土地と、奥に見慣れない建物があった。
しかしアパートよりずっとボロボロで、見るからに誰も住んでいないと分かった。
「あれは軍の兵隊さんが集まる基地。戦う日に各地から集まって、それから向こうの戦場に行くんだ」
つまりパパはここから戦争に行ったのだ。同時に僕は、街の端にある焼け野原を連想した。戦争は西側でも起きていたらしい。
「東側にも焼け野原や壊れた戦車があるよ。僕らの街は戦争だらけだったんだね」
しかし、ビリーは首をふるふると横に振った。
「それは戦争じゃなくて、訓練した跡地だと思う。ここは土地が狭いから、まとまった訓練をするのが難しかったんだ。本当に近くで戦争が起きていたら、この街の人達は皆逃げていたはずだよ」
「言われてみると、そうだったね……」
「僕も全く知らなかったよ。先生が教えてくれたんだ」
そしてビリーは手近のドアをノックした。程なくして先生らしき声が返ってきた。柔らかい女性の声だが、学校ではほとんど聞いたことがない。
「先生はいつも職員室にいるから、ちゃんと会った生徒は少ないんだ。さ、おいで」
「お邪魔します」
僕は鞄を持ち直し、緊張を胸に部屋へ入った。
先生は突然の訪問にも関わらず、僕を出迎えてくれた。紅茶を人数分淹れ、クッキーと一緒にご馳走してくれた(幸いクッキーはチョコチップだった)。
先生の見た目は初老の女性で、肩まで伸ばした金髪を一つにまとめ、ゆったりしたワンピースを着ている。表情は穏やかそのものだが、確かに顔色は良くなかった。
ビリーと僕は先生に学校で交わした話を語った。先生は頷きながら聞いていたが、やがて静かに瞼を閉じた。過去の記憶を思い出すかのような、そんな表情だった。
「ジェイコブ君のお父様とは何度か会ったことがあるわ。ここは基地が近いから、よく下見に来ていたの。当時ここに来る人はほとんどいなかったから、思わず声をかけちゃって……よく話す人だったわ」
すごく意外だった。いつも聞き役だった静かなパパが、外で誰かとおしゃべりする姿なんて、ほとんど想像できなかった。
「パパはどんな何を話していましたか?」
「あなた達家族のことよ。ジェイコブ君の成長やお母様の料理について、楽しそうに語っていたわ」
「僕のパパ、家では全然喋らなかったんです。てっきり興味がないのかと、ずっと思ってました」
先生は微かに微笑した。
「恥ずかしがり屋だったんじゃないかしら。少なくとも、あなた達のことは大好きだったはずよ」
「気持ち分かるなぁ」
ビリーがチョコチップクッキーを摘みながら呟く。
「親しい人ほど恥ずかしくなるよね。正直に気持ちを伝えるのって、意外と難しいんだよ」
そうかな? と言いかけたが、僕にも思い当たる節があった。いつからか、僕は気持ちを伝えることに慎重になっていた。相手を傷つけたくないからとか、嫌な思いをさせたらどうしようとか、そんなことばかり考えるようになっていた。
「僕もそうかも。パパのことを悪く言えないや」
「何も悪いことじゃないのよ」
先生がそっと僕の肩に手を置く。
「相手の気持ちを考えることってすごく難しいのよ。大人でも苦手な人はたくさんいるわ。ジェイコブ君は、お父様の奥ゆかしい部分を引き継いだのね」
しかし、先生の言葉にはあまり共感できなかった。自分の気持ちを伝えないことが奥ゆかしさなら、まるで自分の気持ちを伝えることが自惚れみたいになってしまう。
「じゃあ、いよいよあれを持ってくるね」
ビリーが手を拭いて立ち上がり、花柄の袋を持ってきた。その袋は紙袋の中で大切に保管されていた。昔のものにしては綺麗で、所々補修された後があった。
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