第2話 暗い家

「ただいま」

 家に入ってそう呼びかける。返事はない。代わりに聞こえてくるのは、ママの啜り泣く声だった。

 今日は早く帰ったはずなのにと思いつつ、靴の汚れを落として中へ入る。

 ママはキッチンの隅で泣いていた。古い木製の椅子に腰掛け、両手で顔を覆っている。

「ママ。大丈夫?」

 ママがビクッと体を震わせて顔を上げる。僕に気づいた途端、ゆっくりと立ち上がり、ふらふらと歩み寄ってくる。足取りは病人のように頼りなく、両目はずっと泣いていたせいで充血していた。

 僕が何も言えないでいると、ママがそっと抱きしめてくる。

「ごめんね。ご飯まだ出来てないの」

 奥のキッチンには切られた野菜や魚が並んでいたが、見るからに表面が乾いていた。火を通せば食べられそうだが、今のママに続きをさせるわけにはいかなかった。

「僕がやっておくよ。ママは休んでいて」

「でも……」

 ママはしばらくためらったが、やがてごめんねと言いながらリビングへ歩いて行った。

 僕は鞄を置いてキッチンに入り、料理の続きを再開した。下処理された魚のそばにはパン粉や小麦粉が置かれてあり、ムニエルを作ろうとしたらしかった。この料理なら前に作ったことがある。ずっと前のことで、まだパパが生きていた頃のことだった。

 魚にパン粉と小麦粉をまぶし、フライパンで焼いていく。途中で付け合わせの人参とじゃがいもを放り込む。調味料の塩胡椒をまぶすと、いい香りが漂ってきた。

戦争中はあまり食糧が手に入らなかったから、ムニエルのような料理とは最近縁がなかったのだ。

 でもママはあの出来事から精神が不安定になってしまい、料理、それもクッキーを焼くことができなくなっていた。

 完成した料理を皿に乗せて持っていくと、ママは布を体に巻き付けていた。

「できたよ」

「ありがとう。大変だったでしょう」

 カトラリーを持ってくるわと立ち上がったが、どうにか座るよう言い聞かせた。

今はすっかり泣き虫になってしまったけど、本当のママは優しくて思いやりがある人だった。僕の自慢のママだったんだ。

 キッチンへ戻り、カトラリー一式を取る。フォークが一本足りない。隅の戸棚を開けてみると、家族の写真が置かれていた。僕とママと、パパが笑顔で写っていた。

 手に取ろうとしたが、埃がつきそうなのでやめた。

「ジェイコブ。大丈夫?」

 ママが不安げに呼ぶ。

「今戻るよ」

 僕は戸棚を閉じてリビングへ戻った。本当のママは優しくて、思いやりがある人だった。僕の自慢のママだった。

 パパが戦争で死ななければ、せめてママの前でクッキーを食べてくれたら、こうならずに済んだかも知れないのだ。

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