ジンジャークッキー
桜橋 渡(さくらばしわたる)
第1話 明るい街
僕はジンジャークッキーが苦手だ。
クッキーの癖にピリッとするなんて生意気だ。
匂いを嗅ぐのもダメなのに。
今日もあの子は僕の隣で、ジンジャークッキーを食べている。
◇
僕の学校は街外れの丘の上にある。
ほとんどの人は都心の学校に行ってしまうため、ここに通う生徒も、先生もとても少ない。先生達は皆いつも悲しげで、授業を終えては
「家族を大事にするんだよ」
「今日も元気に学ぼうね」
と言ってくるんだ。
そんな僕は、今日も自習室で一人勉強に励んでいた。一人の方がとても捗るし、窓の外をぼんやり見ても何も言われないからだ。
皆のいない教室はいつもと違った雰囲気があって好きだった。
雲一つない空は青く、鳥が鳴いている。今日はとても天気が良いから、夜は星も綺麗に映るだろう。
丘の上から、自分の住む街を見下ろす。煉瓦造りの家が身を寄せ合い、その間には細い道がくねくねと伸びている。たくさんの洗濯物が風に揺れている。もっと目が良ければ街を歩く人達の姿が、耳が良ければ楽しそうな会話が聞こえてくるだろう。
小さくこじんまりとした場所だが、僕にとっては大切な場所だった。
視線をさらに上に上げると、街の端が見えてくる。ボロボロの家に草木が焼けた野原、もっと目が良ければ壊れた戦車も見えてくるだろう。
僕らの国は、少し前まで戦争をしていたのだ。
突然ドアが開く音。振り向くと、同級生のビリーがポツンと立っていた。ほとんど話さないから、彼のことはよく知らない。でもここに来るのは初めてのことだった。
「やあ、どうしたの?」
「勉強しに来たんだ。ここにいてもいいかな?」
「いいよ」
彼は僕の横に座り、ノートと教科書を開く。びっしりと数式が書き込まれ、白紙の部分がほとんどなかった。教科書もだいぶ読み込んだのか酷くボロボロで、買い替えが必要だと感じる程だった。
こんなに勤勉な子なんだと驚きながらも、僕はそれを悟られないようノートを取り出し、何か書こうとした。隣で猛勉強されては、景色を見る気分には到底なれない。
僕は多少の居心地の悪さを感じながらも、問題を解き続けた。
しばらくそんな時間が続いた頃だろうか。ほとんど会話も交わさないまま日が暮れてゆき、教室が夕焼け色に染まり出した時だった。
僕はある匂いに気づき、顔をあげた。
シナモンのピリッとした匂い。甘い生地が焼けた匂い。これは間違いない。ビリーは勉強の手を止め、袋いっぱいに入ったジンジャークッキーを食べていた。サクサクとした音と共に、部屋の沈黙が砕かれていく。
僕は鼻を手で抑えたい衝動に駆られながらも、時計を見るふりをして席を立った。
「そろそろ帰らなきゃ」
「もう帰るの?」
ビリーはきょとんとした顔で僕を見上げた。ガリ勉とは思えないような、年相応の子供っぽい顔だった。僕はそうだよと返し、扉の前まで早歩きした。
「日が暮れるから。君は帰らないの?」
「先生がまだ仕事してるから、ここで待ってるの」
立ち去りかけた足を止め、振り返る。
「先生?」
ビリーはこくりと頷いた。
「僕、幼い時に親が死んじゃって、家がないんだ。今は先生の家で住んでいる。先生と親は、昔仲が良かったみたい」
嫌な記憶が蘇る。あの大切な家族を失った日に、家から明かりが消えたのだ。今もそこは薄暗い場所で、考えただけで暗い気持ちでいっぱいになるのだった。
僕は視線を泳がせながらも、何とか言った。
「嫌なこと聞いちゃったね。ごめんね」
僕はそう言いながら自習室を立ち去り、学校の外に飛び出す。校庭は薄暗く、影がはっきりと浮かび上がり、日向と日陰が綺麗に分かれていた。僕の影が長く歪に伸びていた。
家に帰りたくない。でもいつまでも帰らないとママが泣いてしまう。家族は僕しかいないから、放っておくわけにはいかない。覚悟を決め、校門の外へ足を踏み出した。
もしパパが生きていたら、こうはならなかったんだ。
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