Vの閉口

有栖サカグチ

世界

 カチリと、嫌に硬くて、何より冷たい音と共にその産業廃棄物は胴体を起こした。実に適当なプラスチックのボディと精緻な電気回路の組み合わせで完成された、人の形を模したロボットである。

 それは、型番で言うなればVJ-0631/GR4-V2であり、プロジェクト上ではたった一文字、"V"だ。実際製作者達にはそう呼ばれていた記憶すらある。


 機械は手術台を思い起こすような無機質なベッドの上で意識を取り戻した。


 ロボットに性自認や生殖機能もあったものではない。とはいえこの機械の自我はとある男をモデルとしているのだから、"彼"と呼んで差支えが無いしその機械は自らを男性的に見ている傾向がある。全くもって不合理な配慮ではあるが、開発当時はその説明がない限り一部からは意見が寄せられたものである。


 さて、ベッドの上で目を覚ました彼は仰向けの状態から胴体を起こし、背が地面に対して寸分も狂わず垂直になった。


 彼は意識や自我がある。様々な数式を瞬く内に処理する演算能力がある。ありとあらゆる動詞や形容詞や名詞、辞書やデータベースにある事は全て理解している。おまけにあらゆる言語に通じている翻訳機でもある。

 そんな彼にも今の状況がよく分かっていないのが事実だ。状況をひとつひとつ整理してみようか。


 まず、この空間に関して。

 真四角な間取りで全体の広さは4,5mほど、高さは2mあるか、少し高いかというくらい。キッチンも収納も無く本や古臭い機械で溢れているところを見ると、ここは書斎や実験室やもしくは私室、と言っても過言では無い。

 全体にはとにかく物が散らかっている。例えばこのベッドの下あたりにはいつかの科学者向けの雑誌が数冊。10月、6月、7月号と煩雑で無造作な並びになっている。

 部屋の左隅にベッドがあるなら、対角には小さく、質素な扉がある。その対角から右、Vからすると前。そこには大きな本棚が4つほど並んでいる。右を見ると、机がありデスクライトがその天板を照らしている。いや、照らしているのはそこに突っ伏している男の髪だ。


 次に整理すべくはこのベッドで目を覚ました理由だろうか。

 そもそも、かなりの知恵を持つVにとってもこの部屋も、そこの寝ている男にも見覚えがない。

 というか実際、Vには記憶が欠けている。

 何ペタバイトとあるハズの記憶領域ストレージがスカスカなのである。

 ふと目を覚ましたら、もうこのベッドの上。工場や店頭でもなくこの冷たいベッドの上で意識を取り戻したのだ。

 だと言うのにも関わらず知識だけはやたらとある。例えばそこの2つ目の本棚の上から二段目、左端から五つ数えたあの本の事だ。その本は「朗読者」。今は存在しない国だが、ドイツの小説家のベルンハルト・シュリンクが著者であり、大昔に映画にもされている。

 あの本は初っ端から性的な内容で随分衝撃的だが、歴史に残る真なる名作。


 Vは己の指パーツでページに触れたことも無いが、その詳細は知っているのだ。

 その上でもう一度部屋を見渡したとてここが何処なのか、とんと見当がつかない。

 おまけにあそこで突っ伏している男もだ。やはりVにらあの男が誰だか分からなかった。自分を作った人々はあのような人間ではなかった、それだけは分かったのだが。


 Vはベッドから脚を垂らし、床に立った。着地の影響か、完璧に対称に造られているハズのボディが少しグラつく。とはいえベッドから床に降りただけで左脚パーツがこうも不安定になることは無いのだが、Vにはそこは気にならないようだ。


 ベッドから降りて右を向いたVは、そこの男を起こすことに決めた。首にかかるくらいのパーマがかかった、銀髪混じりな黒髪が机に寝ているのを見て、Vは脳内検索をかけた。そのような特徴の人間は今までのVの記録に無い。彼の親族が自分の製作に関わっていたり、あるいは彼がイメチェンしたり、そういったことでは無いようだ。


 ますます彼の事が気になったか、無理にでも叩き起こして尋問でもする気である。


 Vは彼の肩を軽く掴み、揺さぶる。起きない。

 自慢のカーボンファイバー製の肘パーツで背中を叩く。起きない。


 たった二手で、Vの擬似脳は最適な分析結果を算出した。"部屋に使えそうな物が無いか確認しろ"と。

 そうしてまず目に付いたのが一本のペンだ。

 彼のデスクの右側にはペンケースがあり、そこに数本のペンや消しゴムがまとめてある。

 反対側に、何やらケースに入った物々しい一本のペンがあった。

 知識として、これが何かVは知っていた。


 好奇心というのか、Vはこれのペン先ではなくその反対の方を男の腕に思い切り押し付けた。ノック部分がカチリと沈みこんだかと思えば、瞬間的にその男の腕をはじめとして体全体がピクリと痙攣した。

 いわゆるビリビリペンである。


 しかし、これはあまり効果的では無い。そもそもこの男の手元にあったペンなのだから、男は割とこれに慣れていたのだろう。あまり起きる気配がない。


 仕方なくVはまた部屋をひっくり返して、何が使えそうなものが無いものかと奔走した。

 扉の近くに何か小さな箱があったので、Vはそれを手に取ろうと、しゃがみ込んだ。

 箱には小さなシールが貼ってあり、それで封をしているようだ。かなり年代物なのか、シールは非常に剥がしづらい。


シールの端に指パーツの一番先端を引っ掛けて最適な方向に最適な力をかけ続ける。しかしそう上手くいくものでは無い。


 しばらくVがそのシールと格闘していると、彼の背後から突然、コトッと音がした。まるで革靴が木の床にひっそりと触れ合ったような音だ。


 音を聞いてしまったようで、反射的にVは振り向き、シールと格闘していたその左腕を後方、そしてやや上に向ける。

 先程までシールを剥がそうとしていたその手の形はもう影も形もなく、凶悪な武器へと変貌していた。

 肘部分から先が、ひとつの巨大な銃の形に一気に変化したのだ。

 やはり知識として自分にこの機能があったのは記憶していたはずだが、実際に取り出してみると、これは何と禍々しい物か。

 なにか懐かしい風でもあるが、少し驚きがある。


 さて、銃を向けられたその音は、こちらも反射的に両腕を上げている。先程の男だ。ビリビリペンで起きていたのか、寝起きとは思えない顔をしている。

 銃口を見て何かブツブツと呟いたかと思えば、さっさとメモをとっていた。


「あぁ、V。君起きていたのか…」


 今気付いたように男は話しかけてきた。何やら敵意は無いらしいので、Vはその腕を普通に戻して、立ち上がった。


「色々聞きたいだろうけど、ゆっくり落ち着いて聞いてくれ…?こっちも疲れててね…」


 男は自分を"ヴァル"と名乗って、どっかりと椅子に座した。


「何から話そうかな〜…」


 男…ヴァルはどこからか取り出したコーヒーを啜ってリラックスしているようだ。


「まぁ、まずこれは言っておこう。君は27に製造された完全自立思考型生命殺戮兵器だ。もっと良いバージョンが12年前に出てからは君達は用済みになった。」


 落胆という感情を知らぬが、恐らくそれに近い感情プロトコル。それがVの中に巻き起こっていた。いや、どちらかと言うと衝撃の方が強いのであろうか。Vは動けずに、そのプラスチックの面を固まらせている。


「で、3年前に始まった戦争ではむしろ現行品だけじゃ足りないから、君たちがまた倉庫から引っ張り出された。でも去年戦争が終わっちゃって、また新しいバージョンが出たからかな、君たち"VJ"シリーズは本当に要らない子って扱いになっちゃってさぁ。嫌だよねぇ…国の人。」


 ある種、なるほどという感情もVには発現していた。通りで自分の知っている情報が若干古いのだと。

 とはいえいまだにショックである事には変わらない。

 男はVが返事をせずともぺらぺらと喋り続けるようだ。


「廃棄場でスクラップにもなれず転がってるやつをいくつか見繕って、起動できるか試したんだよね。まぁ、起きたのは君だけだったけどさ。」


「ア…ドウ…ン、ダ…???」


「…発声コアは復旧出来なかったか。まぁ、とりあえず僕はやらなきゃ行けないことがある。君たちの製作者に会うんだ。会って、殺す。だから君には協力してもらいたいんだ。いいかい?」


 細長い男の体にはあまり迫力がないが、その瞳には確かに何かが宿っている。少なくともVには、そう写ったのだった。

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