第4話 死なせない



「ケンタウロスのステーキ」を注文した死刑囚、神田進次郎。30歳。

隣人とのトラブルで相手を殺傷。殺人罪である。

 初犯……というより、彼が最初に犯した犯罪も殺人。

『人間の燃えているところが見たい』そんな理由で、寝ている母親にガソリンをかけて焼き殺し、自宅が全焼。

冬場のことだったので火が裏山まで燃え広がる大火災となり、

10棟が全焼。神田の家族3人を含む4人死亡。9人が重軽傷を負う大事件だった。


 にも関わらず、当時10歳だった神田は少年法によって更生施設に送られるに留まった。


 真冬の日の刑務所。

 神田の元に、弁護士連合から5名が集まり、神田と面会をおこなっている。


「……死刑なんじゃねえの?」


 神田は弁護士に言い放った。


「安心したまえ。君を殺させはしない」


 弁護士の小泉亨は神田に対しアルカイックスマイルを浮かべた。

 神田は口に含んだばかりの飴をボリボリ噛み砕くと、


「……ま、どっちでもいいけどよ。別に」


「死刑なんて前時代的な法律は撤廃すべきだ。

 私たちは君に対する校正を諦めないよ!」


「……うん。なんか……すげー自信じゃん」


「大丈夫。ラストミールに、我々が言った通りのオーダーをしたんだろう?」


「ああ……(突然笑い出す)ケンタウロスの焼き肉だっけ……バカだよな食えるわけねえじゃんそんなん」


「そう。でもそれを用意しない限り、国が君を守ってくれるよ。前時代的な法律からね」



 ……一方、九州は菊池市。

朝方、山井は渓谷に訪れると、哲が川の真ん中で馬に乗っていた。

馬は冬の凍てついた川に直立しており、哲もろとも微動だに動かなかった。


「……哲さん」


 山井が話しかけても、哲は無反応だった。


「……ケンタウロスのステーキを……作ってくれませんか」


 すると哲は初めて山井を見、静かに、それでも通る声で、まるで塵でも払うかのように答えた。


「……食いてえ奴に会わせろ」





 同日夜。日野刑務所。面会室。

にやついている神田に対し、哲は目を閉じて座っていた。


「あんた? 馬鹿なオーダー引き受けたの……まじウケるんだけど」


「……」


「おもしれえよ。食わせてちょうだいよ。ケンタウロスの焼き肉?」


「……わかった」


 すると突然哲の目がカッ!!と開き、

どこからか用意したまな板と包丁とガスコンロを取り出した。


「マジで? 実演してくれんの? ウケるんだけど。俺手伝おうか?」


「喋んな!!……黙ってみてな」


 ニヤニヤしていた神田だが、哲に怒鳴られ、生まれて初めて怒られた子供のようにすくみ上がった。


 まず、哲は肉塊の表面を軽く叩き、全体の厚みを均一に整える。その手つきは熟練の職人そのものだった。
次に、まな板の上で肉を丁寧に整形し、肉を薄く伸ばしたり、小刀で細かい筋を刻み込むことでイメージを肉に込める。


「これで形は整った」


 哲は肉塊をそっとアイスボックスにしまい、

次にソース作りに取りかかる。ソースの材料は赤ワイン、バルサミコ酢、蜂蜜、そしてほんの一滴の梅酢――

「神話の地中海」を意識した味わいを再現するための特製レシピだ。


 フライパンにバターを溶かし、香ばしい音とともに肉を焼き始める。熱された油が跳ねるたび、肉から立ち上る香りが厨房全体に広がる。


「焼き加減は……ミディアムレアだ」


 哲はタイマーを使わない。全ては経験に基づいた感覚で仕上げられる。

片面が程よく焼けたところでひっくり返し、香草を一つまみ振りかけると、フライパンの中はまるで草原の香りが広がったかのようだった。

最後に、ソースを肉に絡めながら軽く煮詰め、陶器の皿にそっと盛り付ける。添えられたのは、新鮮なルッコラと軽く炙ったトマト。


「完成だ」


 哲は静かに呟き、皿を手に取った。

「食え」


 神田は料理を前にして……



「ああ? ざけんなよこれがケンタウロスの肉だ?」


「黙って食え!!」


 その一言に、神田は意を決したようにナイフとフォークを手に取った。

 彼がナイフを肉に入れると、柔らかく抵抗なく切れた。肉の断面からは、ジューシーな肉汁が溢れ出し、芳醇な香りが立ち上る。


「……え…… え……」
 

 椎名は小さく呟きながら、一切れを口に運んだ。歯で肉を噛みしめた瞬間、瞳を見開いた。

「これ……これが……」


 甘さ、酸味、そして塩気が絶妙なバランスで舌の上を踊る。香草の爽やかな香りが後味に残り、肉の濃厚な旨味を引き立てる。


 神田は無言のまま、一口一口を大切に味わった。その表情は徐々に穏やかになり、最後の一切れを食べ終えると、しばらく皿をじっと見つめていた。
神田の目には涙が浮かんでいた。

哲はそんな彼を一瞥すると、皿を片付けながら静かに言った。


「うめえか」


 その言葉の意味を神田が理解したかどうかはわからない。しかし彼は、生まれて初めて人生を考えるかのように、哲を見上げていた。 

 

 ……震えていた。


「お、俺……俺…… おれさ、俺…… ……死にたくねえよお」


 神田は泣き崩れた。


「死ぬのが怖えよお…… 哲さん!! お巡りさん!! 弁護士さん!!

 生きてたい!! 俺死にたくねえよお!!

 どうしよう……ラストミール食っちゃった……ケンタウロスの肉食っちゃったよ俺!!

 じゃあ死ぬって事じゃん!! やだよ!! 生きていてえよ!!」


 日野刑務所に、神田の泣き叫ぶ声が響いたという。

哲は、神田の声を聞きながら、調理器具を片付けた。


 ……後日、神田は判決を受け入れた。

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