第16話

煙草の匂い。汗の匂い。キーボードを打つ音。紙をめくる音。たまにくしゃみ。微かな寝息。


別にドラマチックな人生を送ってきたわけでもない。親が居ないとか。恋人からDVを受けて逃げているとか。


ただ気づいたら若葉の居場所はここになって、仕事はほとんど服を着ない業務になって、年を取っていただけだ。


若葉は寝返りを打つとスマホを取り出して充電器に差した。イヤホンをつけてお気に入りの音楽を聴く。


その間、少しだけ一日を振り返った。


今日の衣装はいまいちだった。派手ではない事をじゅうぶん自覚しているから、衣装だけは派手にするのがモットーなのに。

だけど良いお客さんが来てくれた。

タカヒロだ。

彼の雰囲気は好きだ。


優しい口調となれない態度に、あと30分話していたら確実に好意を抱いていただろう。

そんな人ともう会えないなんて…悲しすぎる。


若葉はスマホを胸の上に置いて盛大なため息をついた。



好きって。



好きっていう感情はどういうものだったっけ?



不意に鞄につけたティラノザウルスのキーホルダーが目に入る。


若葉はそれを鞄から取ると握り締めた。

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