蛇王様のお妃さま

彩戸ゆめ

第1話 蛇王様のお妃さま

 アゼリア公爵家の長女である私ルシアナ・アゼリアは、母を早くに亡くし、父と継母、それに異母妹という家族のもとで育った。


 しかし、継母であるレオノーラは私を疎ましく思っていたらしく、一度たりとも愛情をかけてくれたことはなかった。


 さらに継母の実子である四歳年下の異母妹のサフィーナも、母の影響を受けて私を侮るように育ってしまい、いつしか私は家の中で冷遇される存在となってしまったのである。


 幼かったからうっすらとしか覚えていないけれど、私の母が生きている頃は、公爵家にふさわしい子女教育を施され、家庭教師や侍女たちにも大切に扱われていたように思う。


 母は優しく、穏やかな人だった。

 その母が病で亡くなると、父は家のことを回すためにと再婚を急いだ。


 元々、政略結婚で結ばれた母に、それほど思い入れがなかったのだろう。

 父は、母と違って華やかな継母に夢中になり、すぐにサフィーナが生まれた。


 その翌年に跡継ぎとなる弟ニコルが生まれると、家の中はすっかり継母中心の生活になった。


 継母は先妻の娘である私が疎ましかったのだろう。


 段々と私の居場所はなくなっていき、母が健在だったころに使っていた広々とした部屋から、窓が小さく狭い部屋へと移された。

 侍女も継母のもとで働く人間に替わり、私を軽んじているのが見え透いていた。


 そんな環境で暮らしながらも、私は母から教わった礼節や優しさを絶やすことなく守り、日々を静かに過ごしていた。


 幸い、本や物語を読むことが好きだったので、ひとり部屋で過ごしていてもそれほど苦痛には感じなかった。


 父は私のことよりもサフィーナや弟のニコルを可愛がり、私が陰でどれほど雑に扱われているかなんて気にも留めていない。

 それどころか、継母の言葉を鵜呑みにして、私を「出来の悪い娘」と疎ましく思っているようだった。


 だから公爵家の娘だというのに、私には婚約者の一人もなく、舞踏会にエスコートされることもなく、ただひっそり公爵家の片隅でひっそり生きていくしかないのだと諦めていた。







 思いがけない転機が起こったのは、私が十七歳を迎えた年の春だ。


 私たちの国――サラムラント王国は、古くから蛇神の末裔を戴くという隣国グラテア王国との同盟を強化しようとしており、その証として、サラムラント王国の王女をグラテア王国に嫁がせることになった。


 グラテア王国は、蛇神を祖として崇める国で、その王族は、代々何らかの「蛇の特徴」を帯びて生まれる。


 世代ごとに違いはあるが、たとえば金色の蛇の瞳を持つ者もいれば、腕や背中に蛇の鱗のような皮膚が現れる者、そして稀に、生まれながらにして長い黒髪が蛇のように見える者もいるのだという。


 中でも現在のグラテア王国の王である『蛇王』は、瞳がまるで爬虫類のようで、さらに頬に数枚の鱗が浮き出ているらしい。


 それだけを見ると恐ろしげな風貌の異形のようにも思えるが、一方で「深い叡智と慈悲を併せ持つ」と言われ、グラテア王国の民たちにとっては絶対的な存在だった。


 とはいえ、グラテア王国の女性はその神性――つまり蛇神の末裔である王の威光になすすべなく圧倒されてしまい、「尊敬するが結婚を考えられない」という者がほとんどだった。


 王の容姿に畏れを抱いているというよりも、その血筋が神聖なものであるがゆえ、近寄りがたく感じてしまうのだそうだ。


 そうした事情もあり、蛇王は自国内で花嫁を得ることが難しかった。

 そこで、王族同士の縁組としてサラムラント王国の王女を迎える話が持ち上がったのだ。


 サラムラント王国の王女フローレス王女は、その名のとおり可憐で、宮廷での舞踏会や芸術の催しでも常に話題の中心にいる存在だった。

 次代のサラムラント王国を担う王女として、国中から憧れられている。


 そんなフローレス王女が隣国の蛇王と結婚することに、皆が祝福しつつも、やはり一部では「蛇のような特徴を持つ王に嫁ぐなんて、お可哀想に」と噂する者もいた。


 しかし、この縁組は両国にとって重要な同盟の証だ。二人の結婚によって、同盟関係は一層深まり、共に栄えていくだろう。


 誰もがそう期待していた。





 だが事態は突如として大きく変わる。

 なんと、蛇王のもとへ嫁ぐ予定だったフローレス王女が、近衛の騎士ユリシスと駆け落ちしてしまったのだ。


 もちろん王宮中が大騒ぎになり、国王は激怒した。


 フローレス王女とユリシスを見つけ出すように命じたものの、二人は既に国境を越えて遥か遠くまで逃げてしまったらしく、追跡は難航を極めた。


 同盟の決裂を恐れる宰相らは、「代わりの王女を用意しなければならない」とうろたえた。

 しかし、王家には他に適齢の王女はいなかった。


 そこで、血筋や身分を考慮して「公爵家や侯爵家など、王家に準じる高貴な家柄の令嬢を花嫁候補として推挙する」という案が持ち上がる。


 サラムラント王国の名門貴族から一人を選び出し、急ぎグラテア王国に送り込もうとしたのだ。


 だが、そう簡単には進まなかった。


 国内には、蛇王は恐ろしい蛇そのものだったからフローレス王女が逃げ出したのだという噂が広がり、誰一人として蛇王との結婚を引き受けようとする者がいなかったのだ。


 そんな中、私の父は、考えるよりも早く「それならば、うちの娘を」と申し出てしまった。


 もともと私を厄介者扱いしていた公爵家にとって、「蛇王の花嫁」という大役を果たせれば、公爵家としての面子は立つ。

 さらに、この結婚によって私という存在を「処分」できるとさえ考えたのだろう。


 なにしろ、私は公爵家から見れば「目の上のたんこぶ」でしかなかったのだから。


 父の提案を受けた王宮側は、すぐに私の身辺調査を行った。

 社交界で姿を見たこともない私を、当初は「本当にアゼリア公爵家の長女なのか」と疑っていたようだ。


 しかし、母が元々は侯爵家出身という血統の良さもあり、「大きな問題はない」と判断されたようだった。


 私自身は、まさか自分が王女の代わりに隣国に嫁ぐことになるとは夢にも思わなかったが、この話は急速に進み、「花嫁としてふさわしい準備をせよ」という王命が下された。


 その知らせを受け取ったとき、私は正直なところ驚きしかなかった。


 これまで私の結婚どころか、婚約の話すら出たことがなかったし、そもそも「蛇王に嫁ぐ」ということがどういうことなのか、まるで想像もつかなかったからだ。


 けれど、私をないものとして扱う公爵家に居続けるよりは、何かが変わるかもしれない……そんな淡い期待もあった。


 だから、私は一晩じっくり考えた末、この話を受け入れることにした。


 この決断に対して、継母のレオノーラや異母妹のサフィーナはあからさまに嘲笑した。


「まさか蛇と結婚することになるなんて、お気の毒さま」

「私だったらそんな恐ろしい相手、お姉様と違って絶対にお断りするわ」


 などと、面と向かって言ってくる。

 公爵家の使用人たちも、私のことを遠巻きに嘲りの目で見ていた。


 でも、どうせ居場所がないのなら、どこにいても同じだ、

 だったら新しい世界に飛び込んでみようと決心した。






 こうして私は、王の養女になって、サラムラント王国の宮廷から正式に「蛇王のもとへ赴く花嫁」として認められた。


 半年ほどマナーや教養の勉強を詰め込んで、グラテア国へと向かう。

 出発の日、誰もが遠巻きに見守る中、元家族たちの見送りはなかった。


 国王と王妃は見送ってくれたが、どこか申し訳なさそうな表情だった。


 本来嫁ぐはずだったフローレス王女が駆け落ちしてしまったのは、当然グラテア国にも知られている。

 身代わりでしかない私が、良く思われないのは確実だろう。


 でもどうせ公爵家にいても同じこと。


 深い叡智と慈悲を併せ持つ蛇王の慈悲にすがり、お飾りの妻として、国の片隅にでも置いてもらえないか頼んでみようと思っている。


 サラムラント王国からグラテア王国へは、馬車で三週間ほどかかる遠い道のりだった。


 初めての長旅に不安もあったが、私には数人の侍女と護衛騎士がついており、移動もさほど過酷ではなかった。


 また、国境を越えたあたりからはグラテア王国の迎えの兵たちが合流し、私を王都ラトゥムへと案内してくれた。


 その途中、グラテア王国の荘厳な地形や豊かな自然、そして所々に残る蛇神信仰の祠などを目にし、私は徐々にこの国に興味を抱き始める。


 グラテア王国の王都ラトゥムに到着したのは夕暮れ時だった。


 私を乗せた馬車が王城の門をくぐると、そこには大理石で造られた巨大な蛇の彫像が立っている。


 堂々とした姿はまるで生きているかのようで、見る者に荘厳な印象を与えた。


 迎えの侍女たちに案内されるまま、私は王城の廊下を歩いた。

 とても静かで、聞こえてくるのは私の足音と衣擦れの音だけ。


 通された部屋は広く、美しく、隣国の花嫁として丁重にもてなされていることがひしひしと伝わってくる。


 もしかして歓迎されているのだろうか……?


 期待してはいけないと思いつつも、どこか落ち着かない心持ちでいた。


 「蛇王」という恐ろしくも神聖な存在は、いったいどのような方なのだろうか。


 噂では「頬に鱗があり、瞳は蛇の如く縦に裂けている」「畏怖の念を抱かせる威厳を持つ」などと聞くが、その姿を自分の目で見たことがない以上、想像ばかりが膨らんでしまう。


 やがて、新たに案内役としてやって来た宰相らしき初老の男性に、「これより蛇王陛下に拝謁願います」と告げられ、私の緊張は頂点に達した。


 通されたのは玉座の間で、中央には高い椅子が据えられている。


 そこに座していたグラテア王国の王、すなわち蛇王であるアシュレイ・グラテア陛下は、私が思い描いていたよりも、ずっと普通の人間に近い印象だった。


 確かに瞳は、ほんのり金色で縦に細い瞳孔を持っていたし、左の頬には細やかな鱗が数枚浮かんでいた。

 だが、そのお姿は端正で、肌は白く、漆黒の髪が長く伸びている。


 何より、その表情は穏やかで、冷酷な印象など微塵もない。

 私は心の中で「あれ?」と拍子抜けしてしまった。


 蛇王は静かに立ち上がると、私の前まで来て、手を差し出した。

 そしてゆっくりと微笑んで、低く柔らかな声で言葉をかけてくれた。


「ようこそ、グラテア王国へ。あなたがサラムラント王国のルシアナ王女ですね。私はこの国の王、アシュレイ・グラテアと申します。あなたが少しでも安心してここで暮らせるように願います」


 反射的にその手を取ると、少し冷んやりしていた。

 やはり蛇だからだろうか。


 そんな風に考えていると、私は自分が想像していた「蛇王への恐れ」がすうっと消えていくのを感じた。


 確かに瞳は蛇を思わせる形状であり、頬に鱗があることも事実だ。

 だが、そこに不気味な印象はなく、むしろ余計な飾りが剥ぎ取られた「神聖さ」のようなものが漂っている。


 王の声は落ち着いているし、その仕草からは優しさが滲み出ている。

 私は思わず深く頭を下げ、「この度はわたくしごときを温かく迎えていただき、ありがとうございます」と答えるばかりだった。





 その後、私は正式な儀式でアシュレイ陛下の婚約者として紹介された。


 周囲の貴族たち、特にグラテア王国の重臣や貴族たちは、やはり「蛇王陛下の花嫁候補」というだけで私のことを珍しげに見ていた。


 どこか敬遠するような視線や、逆に「陛下に近づけるなど恐れ多い」という声も聞こえてきたが、アシュレイ陛下自身はそんな空気を払うように、私の隣で丁寧に言葉を尽くし、周囲との橋渡しをしてくれた。


 私が礼儀正しく応対すると、陛下は安心したように微笑み、まるで「あなたはここにいていいんですよ」と言ってくれているようだった。


 私はしばらく王城で暮らしながら、この国の文化や習慣を学び、同時にサラムラント王国との縁組に関する様々な公務に同行する日々を送った。


 隣国ならではの習わしや神事、宮廷のルールなどは全くの未知だったけれど、そんな私にグラテア王国の者たちは皆、丁寧に教えてくれる。


 特に、アシュレイ陛下に近侍する家臣たちは、私が知りたいと願えばすぐに対応してくれた。


 ある日、私はアシュレイ陛下に、ずっと気になっていた疑問を尋ねてみることにした。


「あの……どうしてこの国の皆様は、私にこんなに良くしてくださるんですか?」


 すると、アシュレイ陛下は静かに微笑んで答えてくれた。


「グラテアの女性たちは、私を尊敬してくれてはいますが、どこか神聖不可侵の存在であるかのように扱いますから、私に近寄ろうという女性は、この国にはほとんどいないのです。外の国から来た使節団などは、私の見た目を恐ろしいと思うようですね。だからあなたが普通に接してくれるというだけで、私はとても嬉しく思いますよ」


 思わず胸が熱くなった。たとえ蛇の特徴を持っていても、アシュレイ陛下はこうして優しく、穏やかに振る舞ってくれる。

 それに何より、私をひとりの人間として見てくれている。


 この国にきてまだ日も浅いが、私にとってそれがどれほど救いになるか、言葉では言い尽くせない。


 その後、正式な婚約発表の式典が執り行われ、私はグラテア王国の「王妃候補」として国内外に公表された。


 サラムラント王国の使節も出席していたが、フローレス王女の駆け落ちの件があり、どこか居心地悪そうな様子だった。


 しかし、アシュレイ陛下はそんな気まずさを微塵も口にせず、終始笑顔で対応し、列席者たちの緊張を解こうと努力していた。


 その姿に、私はますます惹かれていった。






 やがて季節が変わり、私たちの結婚式が厳かに行われた。


 グラテア王国の伝統的な儀式では、大きな祭壇に蛇神の彫像を捧げ、蛇王がその血筋と神聖なる存在であることを示す。


 私は純白のドレスに身を包み、アシュレイ陛下の隣で誓いの言葉を捧げた。


 真っ直ぐに見つめ合う瞳――金の瞳を持つ陛下と、ありふれた黒い瞳を持つ私。


 けれど、もう釣り合わないなどとは思わない。

 私たちはそっと口づけをして、深い絆を確かめ合った。


 挙式が終わると、グラテア王国の民衆が王城前の広場に集い、祝福の声を上げた。


 花びらが舞い、歓声がこだまする。

 私は今まで感じたことのない幸福感に包まれていた。公爵家では味わえなかった、誰かに大切にされる感覚、歓迎される気持ち。


 アシュレイ陛下は私の手を握りながら微笑み、


「私はあなたを守ります。必ず幸せにします」


 と告げてくれた。

 その言葉に、私は込み上げる涙をこらえきれず、ただ頷くしかなかった。





 結婚後、私はグラテア王国の王妃としての務めをこなしつつも、アシュレイ陛下との平穏な日々を過ごしていた。


 陛下は公務で忙しい合間にも、私のことを常に気にかけてくれる。

 王城内の侍女や近侍たちも、私が思っていた以上に温かく、最初こそ「外国の方」という戸惑いはあったようだが、今ではすっかり打ち解けている。


 私は王族としての責務を学びながらも、心は不思議と穏やかなままだった。


 そして、一年が経った頃、サラムラント王国で行われる大きな式典に、グラテア王国の王妃として私が招かれることになった。 

 もちろん、アシュレイ陛下も一緒だ。


 これは両国の友好を深める重要な儀式であり、王妃となった私が初めて里帰りするような形でもある。


 公爵家を出た時は、私は「厄介払い」同然の扱いを受けていたが、今やグラテア王国の王妃。


 もう以前の私ではない。元の家族に会っても、悲しくはならない。



 サラムラント王国の王宮に到着すると、国王と王妃が盛大に私たちを出迎えてくれた。


 フローレス王女の件で面目を失うかと思われたサラムラント王国だったが、私がグラテア王国に嫁いだことで、同盟関係は維持され、むしろ正式な「王妃」としての私を迎え入れられる形になったのだ。


 国王はどこか恐縮しながらも笑顔を取り繕い、「よく戻ってくれた、ルシアナ……ではなく、グラテア王国の王妃殿下」と私に声をかけてきた。


 王宮の大広間で行われる式典には、サラムラント王国の名だたる貴族たちが集まった。


 そこには当然、父であるサレシュ・アゼリア公爵と継母のレオノーラ、異母妹のサフィーナも姿を見せていた。異母弟のニコルはまだ社交界デビューをしていないので、姿がない。


 彼らは私に気づくや否や、まるで幽霊でも見たかのような表情をした。

 私を恐れているというよりは、その隣に立つアシュレイ陛下の存在に気圧されているのだろう。


 それに今の私は「他国の王妃」。むしろ公爵家が頭を下げる側なのだ。昔のように私を見下した態度など取れようはずもない。


 呆然としたような父の姿と悔しそうな継母とサフィーナの姿を見ても、虚しさだけが胸をよぎった。


 式典が進む中、私は父とも言葉を交わす機会を与えられた。

 父は所在なさげに私の前に立ち、ぎこちない笑みを浮かべて言う。


「ルシアナ……いや、王妃殿下。ご立派になられたな。まさか、こうして再会する日が来ようとは……」


 かつての父は私を「出来の悪い娘」と侮っていたのに。

 私は心の中で複雑な感情を覚えつつ、静かに微笑んで返した。


「お久しぶりです、お父様。私はグラテア王国で幸せに過ごしております。アシュレイ陛下にはとても良くしていただいて……本当の家族のように大切にしてくださっています」


 その言葉に、父はどこかうろたえたような顔をした。

 隣で聞いていた継母とサフィーナも、かつて私を虐げたことを暴露されるのかと目を泳がせた。


 アシュレイ陛下と出会う前なら、そうしたかもしれない。


 でも今は私を守ってくれる夫――蛇王アシュレイがいる。だから、過去を蒸し返す必要など感じなかった。すでに、私は新たな人生を歩んでいるのだから。


「そ、そうか。それは良かった。わがアゼリア公爵家とグラテア国の間に縁が結ばれたのは大変喜ばしい。これからもよろしく頼むぞ」


 気を取り直した父の言葉を否定しようと口を開いた私の前に、アシュレイ陛下がやってきた。


 そしてはっきりとした口調で宣言した。


「ルシアナを大切にしなかった者とは、今後一切関わりを持つつもりはない。彼女がお前たちの家でどのような扱いを受けてきたのか、私が知らないとでも思ったのか。彼女はもうグラテア王国の王妃だ。今後、無礼を働くようなことがあれば、国交上でも黙ってはいない。そのことを胸に刻むように」


 その言葉に、アゼリア公爵家の面々――父も継母も、異母妹も、恥辱に顔を歪ませた。


 でもそれをいい気味だと思うのではなく、私はアシュレイ陛下が憤ってくださるほどに、「守りたい」と思ってくれている事実が、ただ嬉しい。


 あの家族との辛い思い出は、一生拭えないかもしれない。

 でも、アシュレイ陛下がこれほど私を思ってくれているのなら、それだけで十分に報われる。


「そうですね。私はもうアゼリア公爵家の娘ではありませんから。もうお会いすることはないと思いますが、どうぞお元気で」


 そう言って、かつての家族の横を通り過ぎる。


 その後、私とアシュレイ陛下はサラムラント王国での式典を滞りなく終えた。


 国王や王妃は、私がグラテア王国の王妃として堂々と振る舞う姿にどこか安堵した様子だった。


 駆け落ちしたフローレス王女は、まだ見つからないらしい。

 私がアシュレイ陛下と結婚したのも、元はフローレス王女が駆け落ちしたからなので、どうか遠い国で幸せになって欲しいと思う。


 式典が終わり、私たちはすぐに帰国することにした。


 馬車が走り出し、サラムラント王国の王宮が徐々に遠ざかっていく。

 窓から外を見れば、懐かしいような、寂しいような気持ちも沸き起こるが、同時に解放感もあった。


 これで私は本当の意味で、あの家から自由になれたのだ。アシュレイ陛下は私の表情を読み取ってくれたのか、そっと問いかける。


「サラムラント王国は、あなたにとって故郷でしょう。もっと滞在しても良かったのに」


 私は少し考えてから、小さく首を振った。


「幸せな思い出は、陛下のそばにしかありませんから。……陛下がいるところが、私の帰る場所です」


 その言葉を聞いて、アシュレイ陛下は安心したように微笑んだ。


「私もあなたがそばにいるからこそ、心が安らぐのです。ルシアナ、あなたをこれからもずっと、大切にします」


 私も微笑み返し、手を握り合う。

 あの公爵家で冷遇されていた頃には想像もできなかったほどの温もりが、私のそばにある。


 蛇王と呼ばれるアシュレイ陛下は、確かに外見は一般的な人とは少し違うかもしれない。

 けれど、私がこれまでに出会ったどんな人よりも優しい人だ。


 だからこそ、私はこの人を心から愛し、その愛に応えたいと思う。


 それからしばらく馬車に揺られ、グラテア王国への帰路を進む。


 私は、これからの未来のことを考えていた。

 公務で忙しい日々が続くだろうし、いずれはこの国の後継者を生む可能性もある。


 もし、私とアシュレイ陛下との間に子どもが授かったら、その子も蛇神の末裔として何らかの特徴を持つかもしれない。


 でも、私はそれを恐れるどころか、むしろ楽しみにさえ感じている。

 私たちの大切な子がどんな姿をしていても、きっと愛おしいのだろう、と。






 やがて季節が巡り、サラムラント王国での式典から数年後。私が産んだ第一子は、やはり金色の瞳を持ち、生まれたときから小さな鱗が首筋に浮かんでいた。


 それを見たアシュレイ陛下は満面の笑みを浮かべ、「ようこそ、この世界へ。私とルシアナの宝物よ」と言って、小さな蛇神の末裔に優しく口づけを贈った。


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蛇王様のお妃さま 彩戸ゆめ @ayayume

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