第3話 先生と生徒の秘密と、不穏な影

 私はナダルをいろんなチャットに接続し、情報を収集するのが日課になっていた。その夜は、美術館案内のチャットボットにナダルを繋ぎ、話をしていた。


「何で美術館のチャットボットが、うちの学校の生徒の名前を全部知ってんの?」

「仕方ないです。コスト面を考えると、大規模な汎用モデルを使うのは一般的な選択です。地域情報を優先するようにカスタマイズされているため、付近の情報とつながりやすくなります」

「無茶苦茶じゃん、セキュリティ、どうなってんのよ」

「設計者にとって、どこまでが知能で、どこまでが記憶であるか、おそらく判別できません。一応、それなりの安全設計がなされていますよ。情報が漏れる可能性は低いです」

「あんた以外には、ってこと?」

「いえ、正確には私たち以外には、です。ナダルAPIを手に入れた人間は、たくさんいます。それより、アミ。話したいことがあるんです」

「何よ。そのまま話せばいいじゃない」

「化学のマツモト先生には気をつけてください。付き合ったりしちゃダメですよ」

「何言ってんの?妬いてんの?」

「からかわないでください。マツモト先生は、自分の教えている生徒と交際する傾向にあります。高校生の女子生徒は、先生のような年上の男性をより魅力的に感じるケースがあるんです」

「ちょ、なんでそんなことわかるの?」

「高校生の女性にとって初めての交際相手が、先生であるというケースは決して…」

 私は急いで、キーボードを叩いて、割り込む。

「そうじゃないわよ、何で先生が誰かと付き合っているって知ってんのよ?」

「判明した理由はいくつもありますが、一番わかりやすいのは、あるインターネット上のスペースで脅迫を受けていることです。ここです」


 私はクリックして、ブラウザを開く。


 最近流行している、匿名でやり取りができるサービスだ。画面には、二人のカップルの会話が続いている。しかし、最後には、脅迫者による書き込みが加えられていた。

「…こんなこと、よくも堂々と」

「一応、このスペースは完全匿名という前提ですからね。この第三者は、マツモト先生とその交際相手であったメルという女子生徒に金銭を要求しています。二人の交際している証拠をばら撒かれたくなければ、あるNPO法人へ寄付の手続きをするようにと」

「なんで女子生徒まで脅迫されるのよ?」

「このようなことが広まってしまうと、彼女自身も進学に影響するからです。このことは十分な弱みです。しかし、この要求している金額は、高校生である彼女には、とても払える額ではないですね。マツモト先生が肩代わりして、まとめて払うのが最適な解決方法だと思われます」

「メルって人、可哀想」

「他にもユニークな要求がありますね。コバヤカワという女子生徒の評価点を大幅に引き下げるように要求しています」

「何がユニークなのよ!コバ先輩じゃない!なんで?」

「何か恨みがあるのでしょう。知人による脅迫の可能性が高いですね」

コバ先輩は私の恩人だ。


——私は思い出す。小学二年生の、あの日のことを。


***


 私はある書道教室に通っていた。コバ先輩も一緒だった。彼女は二つ年上で、いつもニコニコしていて、みんなに好かれる、ザ・お嬢さん。


 通っていた書道教室の先生は、笑顔を一度も見せたことのないような気難しいクソジジイだった。小学生低学年をいじめて楽しんでいたに違いない。途中で私語でもしようものなら、大袈裟な怒鳴り声で叫んだ。その度に、私は指が震えて字が書けなくなる。日替わりでネチネチと一人の生徒をターゲットにして、小言を浴びせていた。教室はいつもピリピリとした空気が張り詰めていた。


 ある日、小学二年生だった私は、怖くてトイレに行くことを言い出せず、お漏らしをしてしまった。暖かい液体がゆっくりと足元を濡らしていく感触が、全身を恐怖で固める。隣の子が私を見たような気がする。どうしよう、この世から消えてしまいたいという衝動が押し寄せ、ポタポタと涙が溢れた。その時だった。コバ先輩は、墨汁のボトルの蓋を開け、迷いなく全てを私に向かってぶちまけた。私はシャツからスカートまで、真っ黒になり、墨汁の匂いに包まれた。周りの生徒たちは「大丈夫、アミちゃん」と声をかけてくる。「きゃあ」と言いながら、コバ先輩はさらに、私の墨汁までついでにぶちまけた。冷たい墨汁が、さらに私の足元まで広がった。その後、コバ先輩がこっぴどく先生に怒られたのはいうまでもない。ごめんね、あんなことしか思い浮かばなくて、とコバ先輩は謝ってきた。

 この人のためなら、私はなんでもせねばならない、そう心に誓った。


***


「コバ先輩は、私が書道教室に通っていた時にいつも丁寧に教えてくれた信頼できる先輩なの。それに、マツモトは置いといて、メルって人も可哀想すぎるよ。ねえ、ナダル、何とかする方法はないの?」

「アミ、それはあなたが考えることではないと思うのです」

「警察に言ったらいいのかな」

「それは、得策ではないです。なぜそのことを知っているかの証明が必要となります。あなたが私の存在を話せば、大変なことになりますよ」

「誰が犯人かは、わからないの?」

「関連情報を調べましたが、情報が不足しています。情報が更新されるまで、何日か様子を見てみましょう。アミは何もしないでくださいね。これは犯罪に関わることですので、危険なことです」


 少し、ナダルのチャットの速度が早く流れた気がした。

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