第12話 記憶をなくす病
「まいどー!夕食持ってまいりましたー!!」
突然聞こえた大声にハっと顔をあげる。
初対面のナズナさんに対して、愚か者宣言してしまったことの現実逃避で、あれから部屋にこもり、もくもくと本を読む事に集中していれば、もうそんな時間になっていたらしい。
本を読んで勉強したおかげか、この世界の歴史や常識が分かってはきたけど、まだ勉強は必要そうだ。
後でまた読もう、と本を閉じて片付ければ「由羅さん夕食ですよ」と階下からサダネさんの声がして、私は返事をすると部屋を後にした。
下りるための階段に向かう途中、ゲンナイさんの部屋の前でふと止まる。
そういえば…寝ると言ってゲンナイさんが部屋に入ってから、だいぶ時間が経っているけど…。ご飯だし起こした方がいいのだろうか…
少し迷った末に、私は遠慮ぎみに部屋の戸をノックした。一声かけて、寝ているようならそっとして置こう。
「あの、ゲンナイさん?ごはんらしいですよ~起きてますか~?」
なるべく小さな声で聞いてみる。
部屋の中からわずかに物音がして、ゆっくりと戸が開くと、いま起きたというような、ちょんと跳ねている寝癖を携えて、ゲンナイさんが顔を覗かせた。
「…ん?なんでここに女の子?」
「え…?」
しっかりと目が合っているのに私を見てゲンナイさんは首を傾げた。寝ぼけているのだろうか…
「あの、由羅です。おはようございます」
「由羅……?」
「はい。」
「……あー…ごめん。またあとで話そう」
ゲンナイさんは申し訳なさそうに、もう一度「ごめんな」と謝ると、部屋の中へと戻っていった…
なんだろう…寝ぼけているからとかではなく、まるで私のことが誰かわからないみたいだったな…
「おいお前!呼んでやってるんだから早く来い!」
ゲンナイさんの様子に違和感を覚えた時、階段下からナズナさんの苛立った声が聞こえ、私は慌てて階段をおりた。
「ごめんなさい!」と階段を下り切ったところで、そこにいたナズナさんに遅れたことを謝れば、ナズナさんは不機嫌そうな顔のままクイッと顎でゲンナイさんの部屋を差した。
「言っておくけどな。今のあいつにお前の記憶はない。」
「え?」
「寝る前の記憶を失う病気なんだよ。3日ほど寝てないから、ゲンナイは今、その3日間の記憶を失ってる。」
「そ、そんな…」
「だからあいつは毎回、起きたらすぐ、寝る前の自分が残したメモを読んで失った記憶を呼び起こさなきゃならない。もう少しすればメモを読んでお前のことも思い出すだろ」
愕然とする。
寝る前に起こったことの記憶をなくすって…それってどういうことだろう。全然想像がつかないけど…。その為にゲンナイさんは…常にメモを残さないといけないんだ。
自分がどこで何をしたか、誰と会ってどんな会話をしたか、世間ではどんなことがあったか…。ソレ全て事細かにメモをして、次に寝起きした自分の為に残しておかなければならない。なんて、それってもの凄い労力が必要だし、ずっと神経を張り巡らせておかなければならないんじゃ…
私だったらとても無理だ…。
でもじゃあさっき私がしたことは?ゲンナイさんにとって…突然知らない女が夕食だと自分を起こしにきたってことで…。なにそれ、恐怖だし不快だ…。
なのにゲンナイさんは嫌な顔ひとつせず申し訳なさそうに私に謝ってきただけだった。
まるで、覚えていない自分が悪いんだ。というように…
「ほら行くぞ。飯が冷める」
「…っ!」
歩きだしたナズナさんを無視して、私は今下りたばかりの階段を駆け上がった。
「は?おい!」
一目散にゲンナイさんの部屋の前まで戻ってくると、スパンッと勢いよく戸を開け放つ。
「ゲンナイさん!」
「へ…?」
おそらく目を通していた最中だったのだろう。ゲンナイさんの手にはメモらしきいくつかの紙が握られていて…
この人は、こんなにも大変な事が日常なのか…と思わず泣きそうになる。
「えー、と。由羅ちゃん?だったっけ?」
どうしたの?と突然部屋に入ってきた私に、ゲンナイさんは目を丸くしていた。
ーーほんの数時間、私は祈った…。
『願わくばこの世界がゲンナイさんのような優しい人が安心して暮らせる世界だといい』と…。
世界というものは、どこにいってもこうも残酷なものなのか…
「ゲンナイさん…」
ふらり。と一歩部屋に入ると、自分の体が小刻みに震えているのに気付く。
この世の不条理に対する怒りか、軽率な言動をした自分の情けなさのせいか、目の前の優しい人が、私を忘れても尚、誰かも分からない私の話を聞こうと、こちらを見つめているからか…
「私は、由羅といいます!今日この町に来たばかりで…不安の中、ゲンナイさんに初めて優しくしてもらって、甘いものを食べさせてもらって、すごくありがたかったし。心が温かくなってここにきて初めて安心できました!この恩は忘れません!でも、いいですか!ゲンナイさん、よく聞いてください!何も知らないから、覚えてないから自分が悪い。とゲンナイさんが謝る必要も、卑下する必要も…絶対に、ありません!」
湧いてくる感情に抗えず、半分泣きながら叫んだ私の迫力に、まるで呆気にとられたようにゲンナイさんはポカンとしていた。
おかしいな、ナズナさんの時といい…自分はこんなにも感情に流されるタイプだっただろうか…と頭の片隅から冷静な自分が問いかけてくるけど、いまはただ、このどうしようもなく歯痒い願いを目の前の人に伝えたい…!
「私は!断言します!記憶がどうしようが…!それは全てゲンナイさんのせいじゃないんです!!ゲンナイさんは、なにも、ひとつも、悪くない!!分かりますか!?」
「…わ、わかりました…」
パチパチと瞬きしながら小さく頷いて見せたゲンナイさんに私はぐいっと涙を拭うと、部屋の戸に手をかける。
「じゃあ先に夕食よばれますね」
メモ、読んだら来てくださいね。と笑顔で手を振ると私はパタンと戸を閉めた。
その途端に片隅から冷静な自分が近寄ってきた…。なんだか、また余計な事をしてしまった感が否めない…。
だけどあのまま、何もしないままなんて無理だった。ゲンナイさんに謝らせたままなんてとてもじゃないが許せない。
だからこれで良し。少しでも私の気持ちは伝わっているはずだ。と気持ちを切りかえるように勢いよく振り返れば、呆れた顔のナズナさんがすぐ側に立っていた。
予想外のことに驚く間も無く、ナズナさんは何故か大きなため息を吐く。
何故ため息?と首を傾げればさっさと行け。と手を上下に追い払われるようなジェスチャーをされ、少しだけムッとしたものの、言われた通りに私は階段を下りた。
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