第5話
爽やかな春風に唆されるようにして、私は2人の女の子と親しくなりました。
いわゆる、大学デビューというものでしょうか。
新しい生活で心機一転、頑張ってみようと思ったのです。
他人と近しい距離感で接することが苦手な私でしたから、初めて彼女たちに話しかけたときは、どこかぎこちなかったかもしれません。
ですが、そんな私にも彼女たちは優しく接してくれました。
ある日、私は合コンというものに誘われました。
人間関係に疎い私でも、その言葉くらいは知っていました。
勿論、不安な気持ちもありました。
ですが、あの時の私はまだ、未知なるイベントに心を躍らせることができたのです。
それに……終わってしまった過去を忘れるための良い機会だとも考えました。
私たち3人の目の前に、同じく3人の男子が座っていました。
学部は異なるようでしたが、どうやら全員が私と同じ大学の学生なようでした。
3人とも会話がお上手で、サッカーやテニスといった部活やサークルでの活躍を話してくれました。
それから、私にいくつか質問をしてきました。
好きな食べ物とか、趣味とか、他愛もない内容ばかりでしたが、私の発言に相槌を打ちながら、ごく自然に話しやすいリズムを刻んでくれるのです。
この方々なら、一匹狼だった私でも自然と仲良くなれる。
そんな予感がしました。
合コンがお開きになったところで、彼らの1人が、この後2件目に飲みに行かないかと誘ってきました。
私は頷きました。
もう少しお話すれば、本当の友達になれる気がしたからです。
しかし、彼は私の手をぎゅっと握ると、そのまま飲み屋街から少し外れた方角へと歩き出しました。
街の光が徐々にピンク色に輝き始め、不安になった私は、何というお店に向かっているのか尋ねました。
すると彼は……私の手を握る力をぐっと強めたのです。
非力な私では成す術なく、彼に引っ張られるようにして辿り着いたのは、大人の男女がお泊りするホテルでした。
私は怖くなって、泣きそうになってしまいました。
高校時代は、学級委員という肩書きのおかげで、正しくない行いをする者には思ったことをそのまま伝えることができました。
しかし、大学生活とは各々が自分たちの責任で自由を手にすることができる、いわば大人の世界。
目の前の彼は、そんな涙目の私を見て醜悪な笑みを浮かべていました。
ああ、私の選んだこの世界では、これが正義なのだと悟りました。
自分自身の欲望に忠実になることが、決して悪いことだとは思いません。
しかし当の私はといえば、これまでの人生で本気になって欲しいものを追いかけたことはあったでしょうか。
私は他人を押しのけてまで、それを掴み取ろうという気にはどうしてもなれませんでした。
ただ流されるままに地元の大学を選んだ、あの頃の選択は愚かでした。
もっと勉強していたら……春貴さんと同じ大学に進学していたら……
正義はまた違ったものになっていたことでしょう。
しかし、どんなに後悔しても、もう遅い。
私はこのまま彼に大切なものを奪われてしまうのでしょう。
自ら幸せの一片を手放した私には、奪われる側が相応しいのかもしれません。
でも、願わくば私の初めては、春貴さんに捧げたかった……
こうしてホテルの入り口へと一歩足を踏み入れそうになった、その時。
「待ちなさい!征也!」
後方から、鋭い声が響きました。
突然のことに驚き振り返ると、そこには大層美人な女性が、険しい表情で彼を睨んでいました。
一見するとお淑やかそうに見える彼女は、しかし彼のことを鋭い眼光で突き刺し、逃がしません。
「待て、ち、違うんだ透羽。この子はさっきたまたま会って……」
気づけば私から手を放し、しどろもどろになりながら言い訳をする彼。
そんな彼に、彼女は一歩、また一歩と近づいていき……
バシーン
私は衝撃を受けました。
彼女は彼の顔面を思いっきり平手打ちしたのです。
彼の頬は真っ赤に染まっていました。
あのときの彼女が、どんな気持ちで彼を叩いたのか。
それは彼女の泣き出しそうな表情を見れば、言わずもがな明らかでした。
しかし、私には何をすることもできず。
このチャンスを逃がすまいと、私はその場から全力で逃げ出したのです。
ああ、これで私も、身勝手な学生の仲間入りです。
私は、ただただ弱かった。
そしてそのことは、翌週以降の大学生活で、大いに思い知らされることになりました。
それまで仲良くしてくれていた2人の女の子が、私のことを無視して省きにするようになったのです。
後になって知ったのですが、彼女たちは合コンで私ばかりが男子たちに話しかけられたのが酷くつまらなかったそうです。
そして、私を2次会に誘った彼の恋人―――宮崎さんという方は、2人のサークルの先輩だったらしく、彼女たちは図らずも先輩の彼氏を合コンに誘ってしまったという形になり。
居心地の悪くなった彼女たちは、サークル内の関係修復のために、私を利用したのです。
私が宮崎さんの彼氏である征也を誑かして合コンに呼び、挙句の果てにホテルへと誘ったと。
私は同じ講義を受ける学生の皆から後ろ指を刺されるようになり、たちまち1人ぼっちになりました。
1匹狼となることは、高校時代からのことですし特段苦しくはないはずでした。
しかし私は……
何故なのでしょう。耐えられない痛みを覚えてしまいました。
私は高校時代を回想しました。
それは、決して思い出さないようにしていた過去。
最終学年で過ごした、放課後の教室での日々。
私は本当に、1人ぼっちだったのでしょうか。
堅物で曲がったことの許せない、面倒な性格の私にも、優しい言葉を掛けてくれた人物が、確かにいました。
一度温もりを覚えてしまうと、もう元には戻れないのです。
私はあの日々が、恋しくて恋しくて仕方がなくなってしまいました。
暫くして、宮崎先輩はサークルを辞めました。
すると途端に、友達だった2人は私への無視を辞めて、再び接近してきたのです。
気持ちが悪くて仕方ありませんでした。
私は彼女たちを突き放しました。
結果、ますます私の陰口は広まり、最早誰とも仲良くすることは叶わなくなってしまいました。
噂によれば、宮崎先輩はあれから別の彼氏を作ることもなく、常に単独行動をしているようでした。
美人な先輩なので、同じ講義を受ける男子たちがよく噂をしていました。
私には、彼女のように強くは生きられないと思いました。
しかしある日、それは偶然に構内で宮崎先輩とすれ違ったときのこと。
彼女は私の噂のことを知っていたのでしょう。
すれ違いざまに耳元でそっと……ごめんなさいと、呟いたのです。
その瞬間の彼女は、とても悲しそうな表情をしていて。
宮崎先輩は何も悪くありません。
むしろ、助けてもらったのは私の方なのに。
私は、何と言葉を返すべきだったのでしょうか。
あの日、あの表情を見てしまった私は、宮崎先輩も決して強いわけではなく、どこにでもいる1人の女性であるということに気づいてしまったのです。
けれど、あの時の私にはまだ、彼女と話す勇気はなくて。
けれど、1人ぼっちでいる生活にも耐えられなくて。
家に帰った私は―――あの、禁断のヘッドフォンへと、手を伸ばしました。
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